2024年5月5日日曜日

渋谷哲平



5月5日は、俳優・アイドル歌手の渋谷哲平(しぶや てっぺい)の誕生日です。1978年にアイドル歌手としてデビューして人気を得た。その後俳優として活動。

渋谷 哲平(しぶや てっぺい、1961年5月5日 - )は、日本の俳優、元アイドル歌手。本名、澁谷 恵紀(しぶや しげのり)。サンミュージックプロダクション、BRISKcorporationを経て、現在BESPOKE JAMに所属。

神奈川県横浜市生まれ。中学3年のとき、日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出場。加山雄三の「ぼくの妹に」を歌い合格し、第20回決戦大会(1977年4月放送)で最優秀賞に輝く(同大会の他の合格者には石野真子がいた)。堀越高等学校に進学してレッスンを受け、1978年2月、日本コロムビアから「朝日に向かって」で歌手デビュー。同年「Deep (ディープ)」で第20回日本レコード大賞新人賞を受賞。1980年3月に堀越高等学校を卒業。卒業時の同期生に石野真子(1年留年)、松田聖子、岩崎良美がいた。

その後、俳優に転身し、多数のテレビドラマ、舞台、映画に脇役として出演した。とんねるずのみなさんのおかげですなどバラエティ番組でも活躍した。

既婚。妻は元ヤングメイツ(レッツゴーヤングのバックダンサー)のメンバー。子供は一男一女。

2015年1月30日に放送された「中居正広の金曜日のスマたちへ」の太川陽介&藤吉久美子夫妻特集において、嘗てNHKの「レッツゴーヤング」内で結成された「サンデーズ」を川崎麻世と共に復活出演。太川陽介の代表曲である『Lui-Lui』をダンスしながら熱唱した。

引用元:渋谷哲平 - Wikipedia



















2024年5月4日土曜日

近藤房之助



5月4日は、ブルース歌手の近藤房之助(こんどう ふさのすけ)の誕生日です。「B.B.クィーンズ」でアニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマ(のちにオープニング)「おどるポンポコリン」が大ヒットした。

近藤 房之助(こんどう ふさのすけ、1951年5月4日 - )は、日本のブルース歌手。所属レコード会社はビーイング。

愛知県刈谷市出身。子供あり。通称は「房さん」。

1951年 - 愛知県刈谷市に生まれる

1973年 - 愛知県名古屋市今池にあったブルース・ライブハウス「おーぷんはうす」を拠点にして、永田鹿悟、和田昇、棚橋善夫らと日本ブルース愛好会名古屋支部を結成。

1976年 - ブレイクダウン参加。一年間で120カ所の全国コンサートを行う。1986年 - ブレイクダウン解散。

1987年 - 近藤房之助 & ONE ARM結成。織田哲郎、TUBE、亜蘭知子らと「渚のオールスターズ」に参加。1989年 - 「渚のオールスターズ」活動休止。

1990年 - アルバム『You'll never break my "HEART OF STONE live at PIT INN"』でソロデビュー。同時に、B.B.クィーンズを結成。1992年 - B.B.クィーンズ活動休止。

1993年 - 前田亘輝 & HIS BLUES FRIENDSに参加、オリジナル2曲収録。

2010年 - テレビ東京系アニメ『しまじろう ヘソカ』のエンディングテーマ及び大塚製薬「カロリーメイト」CMソングを担当。

2011年 - 坪倉唯子、増崎孝司、宇徳敬子とB.B.クィーンズ再始動。

引用元:近藤房之助 - Wikipedia










B.B.クィーンズ - Wikipedia



2024年5月3日金曜日

横塚沙弥加 (ちゃんさや)



5月3日は、群馬出身で群馬在住のフリーモデル、横塚沙弥加(よこづか さやか)の誕生日です。ラジオ(FMぐんま)やテレビ(群馬テレビ)などでも活躍している。

1990年5月3日生。みどり市出身。愛称は“ちゃんさや”。

事務所に所属せず、群馬県を拠点に活動しているフリーモデル。

FM GUNMA「WAI WAI Groovin’」の中継レポーターや、群馬テレビの県広報番組「ぐんま一番」に出演。ほかLIFESTYLE MAGAZINE「motto」のモデル出演など、多方面で活躍している。

今年4月には生まれ故郷であるみどり市の観光大使にも任命された。

引用元:【HUMAN】インタビュー特集 群馬の“輝く人” vol.06 | タウンぐんま



















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2024年5月2日木曜日

ジェフ・ハンネマン (元 スレイヤー)



5月2日は、アメリカのギタリスト、ジェフ・ハンネマンの命日です。スラッシュメタルバンド「スレイヤー」のギタリスト・作曲家だったが2011年に右腕を毒蜘蛛に噛まれたことで壊死性筋膜炎を発症。2013年5月2日、肝不全により死去。49歳没。

ジェフ・ハンネマン(Jeffry John "Jeff" Hanneman、1964年1月31日 - 2013年5月2日 )は、アメリカのミュージシャン。スラッシュメタルバンド・スレイヤーのギタリストとして知られる。

カリフォルニア州オークランド出身。父は第二次大戦中にノルマンディー上陸作戦に参加し、兄はベトナム戦争に従軍。退役軍人の多い家庭であったことから、戦争が家族間の共通の話題であった。ハンネマン自身もテレビで戦争映画を見たり、戦車や戦闘機のプラモデルを兄弟と一緒に作ったりして育つ。このことは後の彼の創作活動に影響を及ぼしている。特に象徴的なのが、ナチスの医師であるヨーゼフ・メンゲレによって強制収容所で行われた人体実験について書かれたエンジェル・オブ・デスである。この曲はスレイヤーの代表曲となると同時に、その歌詞の過激さが物議を醸した。

1981年にケリー・キングと出会ったことがきっかけとなりスレイヤーを結成。多くの曲で作曲を務め、「エンジェル・オブ・デス」の他、「レイン・イン・ブラッド」、「ウォー・アンサンブル」、「シーズンズ・イン・ジ・アビス」も彼の手によるものである。リフは自宅でオーバーダビングやドラムマシンを用いて作っており、必要に応じて他のメンバーの意見を参考にしている。

2011年に右腕を毒蜘蛛に噛まれたことで壊死性筋膜炎を発症し、療養のため一時的にバンド活動から離脱し、代役としてエクソダスのギタリストであるゲイリー・ホルトが参加した。

2013年5月2日、肝不全により死去。49歳没。

引用元:ジェフ・ハンネマン - Wikipedia












スレイヤー - Wikipedia デイヴ・ロンバード、トム・アラヤ、ジェフ・ハンネマン、ケリー・キング



2024年5月1日水曜日

阿木燿子



5月1日は、作詞家・女優・エッセイスト・小説家の阿木燿子(あき ようこ)の誕生日です。作詞家として宇崎竜童と組んで多数のヒット曲を生み出した。女優としても活動した。

阿木 燿子(あき ようこ、1945年5月1日 - )は、日本の作詞家・女優・小説家・エッセイスト。本名は木村 広子(旧姓は福田)。明治大学文学部卒業。夫はミュージシャン・俳優の宇崎竜童。

長野県長野市で出生、神奈川県横浜市出身。捜真女学校中学部・高等学部を卒業後の1964年、明治大学文学部史学地理学科に入学し、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の宇崎竜童(法学部)と出会う。宇崎は入部に訪れた阿木を一目見て、「あ、嫁が来た!」と思ったという。テレビ出演では「妻・阿木燿子を語る」と題されたコーナーでの本人トークで「先輩から校門での部員勧誘を命じられ、はじめに声をかけた女の子がうちの嫁なんですよ。声かけた瞬間に、この人、昔あったことあるかな?もしかしたらこの人俺の嫁になる人じゃないかな(と思った)」その時はそれをいうのはがまんしたが幸い入部してくれたから今があると語った。

作詞家としてのキャリアスタートは、1969年、グループ・サウンズのジュリーとバロンのデビュー曲「ブルー・ロンサム・ドリーム」(作曲は宇崎竜童)。1971年12月に宇崎と結婚。宇崎竜童が率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンドに書いた「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、1975年の大ヒット曲になった。

その後、多くは宇崎が作曲し阿木が作詞するというコンビで、多数のヒット曲を世に出す。特に山口百恵の全盛期から引退までのヒット曲の多くは、このコンビによるものである。

また、女優としてドラマや映画にも出演。出演作は多くはないが、大胆な濡れ場も演じて熟れた肉体を披露、独特のスローなテンポと相まって大人の女性を演じて見せた。また作家としても多数の著書があるなど、多才ぶりを発揮。

フラメンコにも挑戦し、「FLAMENCO曽根崎心中」(2001年度文化庁芸術祭舞踊部門・優秀賞)の公演プロデュースなどの活動がある。

2006年には、映画『TANNKA 短歌』で、初脚本・初監督を務める。

2016年には夫の宇崎とともに「いい夫婦の日 パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

2019年には夫の宇崎とともに「第10回岩谷時子賞 特別賞」を受賞

引用元:阿木燿子 - Wikipedia












夫・宇崎竜童とともに



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