2025年5月16日金曜日

トレイシー・ハイド



5月16日は、イギリスの元女優・子役だった、トレイシー・ハイド(Tracy Hyde)の誕生日です。1971年に公開された映画「小さな恋のメロディ」でメロディ・パーキンス役を演じたことで有名となった。80年代末には女優を引退している。

トレイシー・ハイド(Tracy Hyde、1959年5月16日 - )は、イギリスの元・女優、元・子役。映画『小さな恋のメロディ』のメロディ役で知られている。

8歳からバレエを習い、キッズモデルとして雑誌に載っていた。それが映画監督であり脚本家のアンドリュー・バーキン(ジェーン・バーキンの兄)の目にとまり、オーディションを受けるように勧められる。そしてトレイシーは見事『小さな恋のメロディ』のメロディ役を射止めることとなった。その後、イギリスでBBCなどのいくつかのTVシリーズに出演。日本でも1972年に沖雅也を相手役にした映画が企画された。しかし勉強を続けることを望み、女優業を休業。秘書養成学校を卒業したあと法律事務所で秘書として働いていた。その間も日本からの声援は衰えることはなく、カレンダーが発売されたり、「ロードショー (Roadshow)」誌の「お気に入り女優」にランクインしていた。1977年には同誌の招聘(しょうへい)で来日もしている。

1980年代に再び女優として復帰し、いくつかの映画やテレビに出演したりした。1982年の映画『アリス (Alice)』ではジャック・ワイルドと再び共演した。1988年の英テレビ番組『ザ・ビル (The Bill)』あたりまで出演していたが、その後女優を辞めた。

1994年になって、日本のバラエティ番組が探し当てレポーターを派遣しマーク・レスターと再会した。1999年にも日本の別番組でマーク・レスターと共に近況が紹介されたりした。結婚後、3人の子供を設けてフランス北部ノルマンディの広大な牧場で暮らしていたが、再婚後はロンドンに戻りケネルショップを家業として営んでいると述べていた。下記の2022年の来日時のインタビューでは、フランス南西部コニャックの有名な生産地域に居住。工場で1年間コニャック作りをやっていたり、馬も飼っていたり、母と子供が居住するロンドンとを往き来しているとのこと。

2022年、コロナ禍で1年遅れの『小さな恋のメロディ』日本公開50周年(2021年)を記念した特別上映に合わせてマーク・レスターと来日し、10月15日 - 30日の間に京都みなみ会館、横浜シネマノヴェチェント、10月25日にはヒューマントラストシネマ渋谷で、それぞれイベント上映され、舞台挨拶やサイン会、撮影会、懇親会など日本のファンとの交流会が行なわれた。

引用元:トレイシー・ハイド - Wikipedia






















小さな恋のメロディ - Wikipedia マーク・レスターとトレイシー・ハイド



2025年5月15日木曜日

南明奈



5月15日は、タレント・ファッションモデル・グラビアアイドルの南明奈(みなみ あきな)の誕生日です。愛称「アッキーナ」を名付けたのは『Hana*chu→』編集部のスタッフで、モデルの愛称を一人一人決める時に「響きが外国人っぽいし、いいんじゃない?」と簡単に決められたため、当時はダサいと思って気に入らなかった。

南 明奈(みなみ あきな、1989年〈平成元年〉5月15日 - )は、日本のタレント、女優、ファッションモデル、元グラビアアイドル。オスカープロモーション、TWIN PLANETを経てフリーランス(2021年から)。夫はよゐこの濱口優。一児の母。

2001年、小学校6年生の時、原宿で母親と買い物をしている際にオスカープロモーションにスカウトされる。その後、レッスン期間などを経て横浜市立上の宮中学校2年生の時から主婦の友社のティーンファッション誌『Hana*chu→』のモデルとして活動。この際に現行の愛称「アッキーナ」をスタッフから名付けられる。

2006年2月10日、1st写真集・1stDVDをリリース。これに前後して本格的にグラビア雑誌に登場するようになる。

2006年、『Hana*chu→』のモデルを卒業し、同じ出版社のギャル系ファッション雑誌『Cawaii!』へ活動の場を移す。

2007年9月、フリースタイルカンパニーに移籍(マネージャーとともにオスカーより独立)。これに伴い公式サイト、ブログが一部リニューアルされ、オスカーでの表記は削除された。また、従来はグラビア中心の活動であったが、独立後はトーク番組やバラエティ番組、ドラマやCMなどにも積極的に出演している。

2009年2月、『クイズ!ヘキサゴンII』にてローラーブレードユニット「南明奈のスーパーマイルドセブン」を結成。

2018年5月25日、交際中だった濱口優との結婚を濱口が自身のインスタグラムで報告。

2021年11月19日、所属事務所TWIN PLANETを退所したことを報告。以降は個人事務所で活動予定。

2022年7月18日、男児の誕生が発表される。9月22日、仕事復帰を報告。

引用元:南明奈 - Wikipedia



























2025年5月14日水曜日

ジャック・ブルース



5月14日は、スコットランド出身のミュージシャン、ジャック・ブルース(Jack Bruce)の誕生日です。主にベーシストやハーモニカ、リードボーカリストとして1960年代からさまざまなバンドやユニットに関わってきたが、1966年から1968年まで活動したクリーム(バンド)での活躍が一番に印象に残る。後続のハードロックバンドに多大なる影響を与えた。2014年10月25日に死去。71歳没。

ジャック・ブルース(Jack Bruce、本名ジョン・サイモン・アッシャー・ブルース、1943年5月14日 - 2014年10月25日)は、スコットランドのミュージシャン。ロック・バンドのクリームに在籍して、リード・ボーカル、ベース、ハーモニカ、チェロ、ピアノなどを担当した。

アンプを大音量で鳴らし、常にベースソロのような状態で弾く演奏技術は同世代及び後のベーシスト達に多大な影響を与え、ロック界を代表するベーシストの一人と見なされる。

ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第6位に選ばれている。

2014年10月25日、サフォークの自宅で家族に見守られながら息を引き取った。享年71歳。

死因について英国メディアは肝臓の病気を患っていたと伝えている。

葬儀にはベイカーとクラプトンも参列した。クラプトンはフェイスブックで「偉大な音楽家であり作曲家だった。私に多大なインスピレーションをもたらした」とコメントを発表した。

引用元:ジャック・ブルース - Wikipedia












BBM (バンド) - Wikipedia


クリーム (バンド) - Wikipedia



2025年5月13日火曜日

山田パンダ (かぐや姫)



5月13日は、フォークシンガーでフォークグループ「かぐや姫」の元メンバーだった、山田パンダ(やまだ パンダ)の誕生日です。「かぐや姫」では主にボーカルとウッドベース(コントラバス)を担当していた。

山田 パンダ(やまだ パンダ、1945年〈昭和20年〉5月13日 - )は、フォークシンガー、元かぐや姫メンバーである。本名は山田嗣人(やまだ つぐと)、別名に山田つぐと。

明大在学中は放送研究会に属し、日本テレビでアルバイトに明け暮れ、この頃福留功男と知り合う。シュリークスから第二次かぐや姫に参加。ボーカルとウッドベース(コントラバス)を担当。作詞・作曲の代表曲は「僕の胸でおやすみ」「けれど生きている」(かぐや姫)。人気曲はかぐや姫時代の「黄色い船」「こもれ陽」「眼をとじて」「おはようおやすみ日曜日」、ソロの「風の街」など。

かぐや姫解散後も音楽活動を続け、吉野恵子・山田智秀(弟)の3人で「パンダフルハウス」を結成したほか、山本コウタローと「山本山田」としても活動。「バージンブルー」をヒットさせたSALLYのプロデュースなども手懸けたが、その後は主夫業に専念し『山田パンダの保父してみたら』(1993)を出版。その間俳優活動も行い、「ヨイショ」(1974)、「あこがれ共同隊」(1975)、「天皇の料理番」(1980)に出演。渥美清に「浅草日記」を楽曲提供した。1991年保育補助員に応募する。2000年に「かぐや姫」の再結成に参加したことが起因となり、2001年池田森・山田勝久(山田パンダの息子)と「PANDA//SON(山田パンダとパンダさん)」を結成。

2005年に還暦を迎え60歳となったことを公表したが、それまでは1946年生まれとしていた。これはデビュー時に、師と仰ぐ吉田拓郎が自分より年下ではマズイと同学年としたため。そのためずっとタメだと思ってきた拓郎からは「おい、バカやろー」と呼ばれ続けてきた。

南こうせつから第二次かぐや姫に参加を依頼された際、既にラジオパーソナリティとして収入もあり、当初は断った。しかし3度目のオファーの電話の際、妻から「そんなに誘われてるなら、受けてあげれば」と背中を押されて加入を決意したという。

引用元:山田パンダ - Wikipedia












シュリークス - Wikipedia


パンダフルハウス - Wikipedia


かぐや姫 (フォークグループ) - Wikipedia



2025年5月12日月曜日

裕木奈江 (NAE・田沢奈江・田沢奈々・田辺奈江)



5月12日は、女優・歌手の裕木奈江(ゆうき なえ)の誕生日です。「田沢奈江」や「田辺奈江」名義での活動歴あり。1990年公開の「曖・昧・Me」に主演、歌手活動も兼ねる。代表作に「ウーマンドリーム」「ポケベルが鳴らなくて」「光の雨」「硫黄島からの手紙」など。海外では「NAE」名義で活動する。

裕木 奈江(ゆうき なえ、1970年〈昭和45年〉5月12日 - )は、日本の女優、歌手。

神奈川県横浜市瀬谷区出身。テックスエージェンシー所属。海外ではNAE名義で活動する。

1987年9月から1988年5月まで伊藤正次演劇研究所にて研究生として学んだ後、東京アクターズスタジオの第1期生となる。

1988年公開の映画『ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー』に本名の田沢 奈江名義で出演する。1990年公開の『曖・昧・Me』に主演する。裕木 奈江の芸名は作家の五木寛之が付けた。

1990年代にテレビドラマ・CM・歌番組などのテレビ番組に出演し、JRAのCMで高倉健と共演、フジテレビ系連続ドラマ『ウーマンドリーム』(1992年)の挿入歌「泣いてないってば」以後8枚のアルバムを発売、ニッポン放送の深夜番組『裕木奈江のオールナイトニッポン』のパーソナリティ、などでアイドルとして人気を博す。

1992年放送のフジテレビ系スペシャルドラマ『北の国から'92巣立ち』で、黒板純(吉岡秀隆)の恋人である松田タマコとして、純の子を妊娠して中絶する役を演ずる。1993年放送の日本テレビ系連続ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』で、緒形拳が演ずる友人の父と不倫に陥り家庭を壊す役を演ずる。これら女性から共感を得難い役柄を自然体で演じ、ドラマ制作に関連するトラブルを契機に、「ぶりっ子」「嫌いな女優No.1」などと女性雑誌から“女性の敵”などと激しくバッシングされる。この騒動についてのちに「忙しかったので、バッシングを気にしている暇がなかった」「3 - 4時間ほどしか毎日寝る時間がなく、後から騒動を知ったほどだった」と語る。

1997年に所属事務所「IMADOKI」が倒産して「コムスシフト」へ移籍すると、アイドル業から退いて女優業を推め、20代半ばからテレビ・ラジオ進出以前からの古巣であった映画界や舞台を中心に活動する。

1999年の写真集『UNRELEASED FILMS』で初めてオールヌードを披露し、2001年公開の映画『光の雨』で永田洋子をモデルとする冷酷非情な新左翼幹部を「劇中劇」で演ずる。

2006年4月にクリント・イーストウッドが監督する映画『硫黄島からの手紙』にNAE名義で出演する。以降ハリウッド映画出演時はNAE名義を使用し、同年7月に日本の舞台『無頼の女房』で作家坂口安吾の妻役を演ずる。

2007年にデヴィッド・リンチが監督する映画『インランド・エンパイア』に出演し、同年アイスランド映画『レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー』に日本人メイド役で出演する。

2017年 デヴィッド・リンチが脚本と監督を担う海外ドラマ『ツイン・ピークス The Return』にアジア人で唯一デヴィッド・リンチ監督から直接キャスティングされる。アメリカSHOWTIMEで5月21日から9月3日まで、日本はWOWOWで7月22日から放送する。

引用元:裕木奈江 - Wikipedia































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