2024年6月26日水曜日

ミック・ジョーンズ (元 ザ・クラッシュ)



6月26日は、イギリス・ロンドン出身のミュージシャン、ミック・ジョーンズの誕生日です。1976年から1983年までパンクロックバンド「ザ・クラッシュ」のギタリストとして活動、後に「ビッグ・オーディオ・ダイナマイト」や「カーボン/シリコン」などのバンドで活動している。

マイケル・ジェフリー・ジョーンズ(Michael Geoffrey Jones、1955年6月26日 - )は、イギリス・ロンドン出身のミュージシャン。元ザ・クラッシュのギタリスト ミック・ジョーンズ(Mick Jones)として最も知られている。

1983年にクラッシュを解雇され、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトをドン・レッツ等と結成、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトII、ビッグ・オーディオと名を変えてバンドを続けた。その後、仲間のトニー・ジェイムスとカーボン/シリコンを結成、2002年から2007年にかけて数枚のアルバムを発表した。

ローリング・ストーン誌「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」に於いて第13位に選ばれたミック・ジョーンズ(フォリナー)とは別人。

引用元:ミック・ジョーンズ (ザ・クラッシュ) - Wikipedia












ザ・クラッシュ - Wikipedia



2024年6月25日火曜日

沢田研二



6月25日は、歌手・俳優・ソングライターの沢田研二(さわだ けんじ)の誕生日です。「ザ・タイガース」や「PYG」のリードボーカルで一世を風靡、後にソロでも大ヒットを記録する。

沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、ソングライター。ザ・タイガース及び、PYGのボーカル。本名:澤田 研二(読み同じ)。身長171cm。血液型A型。

両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれで京都府京都市育ち。ニックネームは『ジュリー』。妻は女優の田中裕子。義弟は俳優の田中隆三。前妻は歌手の伊藤エミ。

1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ。アルバムも合わせた総売上は約1572万枚。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。

1995年、「これからは、自分のやりたい音楽を、やりたいようにやっていきたい」とセルフ・プロデュースを宣言し、23年ぶりのセルフ・プロデュースアルバム「sur←」を発表した。以降、現在に至るまで一貫して沢田自身がアルバムのプロデュースを手掛けている。

引用元:沢田研二 - Wikipedia























2024年6月24日月曜日

アーサー・ブラウン (クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン)



6月24日は、イングランドのロックシンガー兼ソングライターのアーサー・ブラウンの誕生日です。1968年にクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン名義で発表したシングル「ファイアー」のヒットでよく知られている。そのメイクは後のアリス・クーパーやキッスなどに影響を与える。現在もソロで活動中。

アーサー・ブラウン(Arthur Brown、1942年6月24日 - )は、華やかで大仰なパフォーマンスと力強く幅広いオペラボイスで知られるイングランドのロック・シンガー兼ソングライター。1960年代末からクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン、キングダム・カムなどのバンドでリード・シンガーを務め、さらにソロとして活動を続けた。長年に渡って、そのボーカル・スタイルと狂気じみたステージ上のペルソナとコンセプトで、幅広いミュージシャンに大きな影響を与えてきた。

ブラウンはショック・ロックとプログレッシブ・ロックのパイオニアであると考えられており、ヘヴィメタル音楽にも影響を与えている。彼は最も注目すべきクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン、キングダム・カムをはじめ、幾つかのグループのリード・シンガーを務めた。さらにソロ・シンガーとして活動を続け、ホークウィンド、ザ・フー、ジミ・ヘンドリックス、クラウス・シュルツェ、フランク・ザッパとの関係を続けた。

彼は1968年にクレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン名義で発表したシングル「ファイアー」(Fire)で最もよく知られている。このシングルは、イギリスとカナダのシングル・チャートで1位、アメリカのビルボード100で2位に達した。この曲が収録されたアルバム『クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン』はイギリスとアメリカのチャートでそれぞれ最高位2位と7位を記録した。

キングダム・カムのアルバム『ジャーニー』(1973年)は「振り返ってみるとドラムマシンを使用した最初のロックレコードの1つとして最もよく知られていたが、1973年にはまだ全く目新しかった」。

シングル「ファイアー」の成功の後、マスコミはブラウンが曲の冒頭で叫んだ一節を参照して、彼をしばしば「The God of Hellfire(地獄の炎の神)」と呼んでいる。

引用元:アーサー・ブラウン - Wikipedia















2024年6月23日日曜日

永田ルリ子 (元 おニャン子クラブ)



6月23日は、元アイドルの永田ルリ子(ながた ルリこ)の誕生日です。「おニャン子クラブ」の元メンバーで1987年9月20日の解散時まで在籍してその後結婚し引退している。会員番号18番。

永田 ルリ子(ながた ルリこ、1967年6月23日 - )は、日本の元アイドル。

1985年5月17日に『夕やけニャンニャン』のオーディションに合格し、おニャン子クラブの会員番号18番となる。メンバーがソロでレコードを出す際の「with おニャン子クラブ」にも複数参加している。

番組本によると、おニャン子クラブとしての歌の振り付けの飲み込みは永田が一番早く、加えて本来の振り付けにアレンジを加える自己流の振り付けをスタジオの隅でウォークマンを聴きながら踊っていたという。また、振り付けを覚えきれていないおニャン子クラブメンバーや新人おニャン子に教えていた一人が、永田であるという。

『夕やけニャンニャン』でとんねるずMCの「お習字の時間」のコーナーでアシスタントを務め、ルリルリの愛称で親しまれた。ソロデビューを希望していたが、ディレクターで現場責任者の笠井一二によって却下された。後に解散が決まった際にも、永田は芸能界での活動を希望して各方面に相談したりアプローチを計ったが、笠井に「君のような性格の女の子は芸能界で生き残るのは難しい。今まではおニャン子の一員として見て貰っていたがソロになれば周囲の目は容赦なく厳しくなる。普通の女の子として生活したほうがいい」と説得されたという。しかし、メンバー構成員としては高く評価され、初期メンバーのほとんどが卒業した1987年4月以降は、富川春美や城之内早苗と共にメンバーを引っ張り、リーダー的役割をこなすこともあった。また、おニャン子クラブの解散宣言(1987年6月15日)、最終回(1987年8月31日)での代表の言葉などを務めた。

おニャン子クラブ解散時、現役メンバーでは最年長で、唯一の20歳。その次の年長者は横田睦美の19歳。

仲が良かったメンバーは、同学年の新田恵利や中島美春、他に白石麻子、渡辺満里奈など。

おニャン子解散の翌年の1988年にテレビ製作会社のディレクターと結婚。おニャン子クラブ解散後は芸能界を引退し、解散後の再結成企画には一切参加していない。

引用元:永田ルリ子 - Wikipedia





















2024年6月22日土曜日

小林麻央



6月22日は、フリーアナウンサー・キャスター・タレントの小林麻央(こばやし まお)の命日です。姉は元フリーアナウンサーの小林麻耶、夫は歌舞伎俳優の十三代目市川團十郎。2017年6月22日没。34歳。

小林 麻央(こばやし まお、1982年〈昭和57年〉7月21日 - 2017年〈平成29年〉6月22日)は、日本のフリーアナウンサー、キャスター、タレント。本名・堀越 麻央(ほりこし まお)。旧姓・小林(こばやし)。 新潟県小千谷市生まれ、東京都育ち。最終所属はセント・フォース。

姉は元フリーアナウンサーの小林麻耶。夫は歌舞伎俳優の十三代目市川團十郎。長男は八代目市川新之助。

在学中に日本テレビ系恋愛トーク番組『恋のから騒ぎ』に出演し注目を集める。卒業後はセント・フォースに所属しフジテレビ系『めざましどようび』のお天気キャスターを務める。

2004年、『ジャンクSPORTS』の「ファンタスティックストーリー」を担当。2004年6月放送の『ピンクヒップガール』(フジテレビ関東ローカル)でドラマに初出演。その後、2005年にビデオシネマ『東京フレンズ』、フジテレビ系月9ドラマ『スローダンス』などに出演。『めざましどようび』出演開始以降、テレビ番組や女優業に関してはほぼフジテレビ専属状態が続いていたが、2006年1月3日放送の日本テレビ系『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』に出演したのを皮切りに、フジ以外の番組にも進出。2006年9月30日、『めざましどようび』のお天気キャスターを卒業。

2006年10月2日から日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』のサブキャスター(月 - 木曜担当)を務める(2010年3月31日まで)。

2007年4月12日からフジテレビ系バラエティ番組『奇跡体験!アンビリバボー』の進行役を担当。

2009年11月19日、イベントの記者会見で十一代目市川海老蔵との交際を認めた。

2010年1月29日、市川海老蔵と婚約発表会見を行う。3月3日に婚姻届を提出、7月29日にザ・プリンス パークタワー東京で挙式、結婚披露宴を行った。2011年7月25日、第一子である長女を出産。2013年3月22日、第二子である長男を出産。

長男の出産から約1年後に乳癌の兆候が確認されていた。しかし麻央本人が早期に対応できなかったため、後に重篤な症状を引き起こすに至る。

それ以降、非公開で闘病していたが、2016年5月19日に看病していた姉の麻耶がレギュラー出演している『バイキング』(フジテレビ)の放送中に突如倒れて長期の療養に入り、同年6月9日、麻央が「進行性がんで極秘入院」との記事がスポーツ報知にて報道されたことを受け、その日の午後に夫の海老蔵が緊急記者会見を開き、「妻・麻央が乳癌を患っている」と麻央の病気療養を明らかにした。

2017年6月22日夜、自宅で死去。34歳没。夫・海老蔵は、翌6月23日、シアターコクーン(東京都渋谷区)にて上演中の『市川海老蔵 第四回 自主公演 ABKAI 2017 〜石川五右衛門 外伝〜』公演の昼の部の終了後、同劇場にマスコミ各社を招いて14時30分から行われた記者会見で麻央の訃報を正式に公表した。

引用元:小林麻央 - Wikipedia



















2024年6月21日金曜日

夏まゆみ



6月21日は、ダンスプロデューサー・振付師・演出家の夏まゆみ(なつ まゆみ)の命日です。主に「モーニング娘。」を始めとする「ハロー!プロジェクト」や「AKB48」などの振り付けを担当していた。2023年6月21日没。61歳。

夏 まゆみ(なつ まゆみ、1962年3月23日 - 2023年6月21日)は、日本のダンスプロデューサー、コリオグラファー、演出家。ナツ・ファンキーハーツ代表。神奈川県出身。血液型O型

1980年、18歳でイギリスに渡り、その後、東京やニューヨークでダンスを学びつつ、役者・ダンサーとして活躍した。

1988年には、ダンスグループ「FUN-KEY HEARTS」を結成しイベントやショーの振り付けなどを手掛ける。

1992年からナインティナインや雨上がり決死隊等が所属していた吉本印天然素材のダンス指導、振り付けを8年間行う。

1993年、ニューヨークのアポロシアターにソロダンサーとして出演。

1997年、初めてNHK紅白歌合戦のステージングを担当。以後毎年20年以上にわたって続けた。

1998年、長野オリンピック閉会式での公式テーマソング振り付けを担当。同年、つんく♂プロデュースのモーニング娘。を立ち上げから育成・指導を行う。

2005年、秋元康総合プロデュースのもと、AKB48の指導に一般公募、立ち上げ前から約2年に亘って参加。劇場創設に力を注ぎ、合格者をプロフェッショナルへと指導、育成していった。さらに振り付け及び演出まで専任した。

2008年、マッスルミュージカル冬公演「~ザ・ベスト~」では、スーパーバイザーに就任。

2009年には、自ら考案した「FUN-KEY DANCING」を商標化。

2023年6月21日、がんのため死去。61歳没。訃報は同年7月6日、最後の著書『人はいつでも、誰だって「エース」になれる! 心とからだが輝く72(ナツ)の言葉』を出版したビジネス社によって公表された。

生涯で手掛けたアーティストは300組以上にも及ぶ。

引用元:夏まゆみ - Wikipedia















2024年6月20日木曜日

相武紗季



6月20日は、女優の相武紗季(あいぶ さき)の誕生日です。

相武 紗季(あいぶ さき、1985年6月20日 - )は、日本の女優。旧姓、同じ。結婚後の姓は非公表。既婚で2子の母。兵庫県宝塚市出身。ボックスコーポレーション所属。

父は元アメリカンフットボール選手、母は宝塚歌劇団卒業生の朱穂芽美、姉は元宝塚歌劇団星組娘役の音花ゆり。

高校球児に会いたい思いで2002年朝日放送「夏の高校野球PR女子高生」へ応募し、およそ1000人から選出される。帰省中のマネージャーが地元テレビで放送されていた当該PRビデオを目にしてスカウトし、芸能活動のため上京する。2003年、『WATER BOYS』(フジテレビ)で女優デビューする。

2004年から出演した「ミスタードーナツ」CMで、タカアンドトシとのコミカルな掛け合いで話題となる。女優業では『17才夏。〜屋上ガールズ〜』(ABCテレビ)、シナリオ登竜門大賞受賞作『なつのひかり。』(日本テレビ)など単発ドラマで主役を演じ、「よるドラシリーズ」新規作品最終作『どんまい!』(NHK総合)で連続ドラマ主役を初めて演じ、以降「CM女王ランキング」などに名を連ねる。演技を学んでいたアクターズクリニックで監督塩屋俊の目にとまり、映画『ビートキッズ』で初ヒロインを演じる。

2005年に『まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん』、『ドラえもん のび太の新魔界大冒険 〜7人の魔法使い〜』でヒロイン役などアニメ映画に声優として出演する。

2010年にPiper #8『THE LEFT STUFF』(演劇集団Piper公演)で初めて舞台に出演する。

2013年4月から8月までアメリカへ語学留学し、当初はサンフランシスコ、のちにボストンへ移る。帰国して9月11日にジレットの新製品発売記念イベント、10月からテレビドラマ『ミス・パイロット』(フジテレビ)それぞれに出演する。

2015年1月に友人を介して知り合った化粧品等の企画・制作及び販売、イベント制作など様々な事業を手掛ける会社を経営する5歳年上の一般人男性と、約1年半の交際期間を経て2016年5月3日に結婚。同日に所属事務所を通じて発表した。

引用元:相武紗季 - Wikipedia





















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