2023年10月5日木曜日

緒形拳



10月5日は、俳優の緒形拳の命日です。2008年10月5日没。71歳。

緒形 拳(おがた けん、1937年(昭和12年)7月20日 - 2008年(平成20年)10月5日)は、日本の俳優。旧芸名および本名は緒形 明伸(おがた あきのぶ)。血液型はB型。趣味は絵手紙と水墨画。

東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身、千葉県千葉市育ち。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。義理の娘(直人の妻)に女優の仙道敦子、孫に緒形敦(直人の息子)がいる。

1958年に新国劇に入団し、辰巳の付き人となる。1960年、新国劇のもう1人の看板俳優、島田正吾に見出され、『遠い一つの道』で主人公のボクサー役に抜擢された。作品は映画化され、映画デビューも果たす。

1965年、NHKのディレクター吉田直哉により大河ドラマ『太閤記』の主役に抜擢され、新国劇の活動も兼務して1年活動した。引き続き1966年の大河ドラマ『源義経』に武蔵坊弁慶役で出演し、2年続けて大河に出演する稀有な活動をし、その後も数々の大河ドラマに出演し、常連俳優の1人として活躍した。同年、新国劇所属の女優・高倉典江と結婚。1968年、新国劇を退団。映画・テレビドラマに活躍の場を移した。テレビドラマ『必殺仕掛人』シリーズの藤枝梅安を演じて多くのファンを得て映画化もされ、『必殺必中仕事屋稼業』にも出演した。

1978年に公開された映画『鬼畜』に主演し、数々の男優賞を受賞する。その後も1979年に『復讐するは我にあり』、1983年に『楢山節考』に主演した。合間に出演した1981年の映画『魔界転生』では、宮本武蔵に扮して柳生十兵衛(千葉真一)と激闘を演じ、新国劇で培った殺陣を披露している。1999年、池端俊策監督の『あつもの』で「フランス・ベノデ映画祭グランプリ」を受ける。

2000年、紫綬褒章を受章。同年に山﨑努も受章している。

2008年10月4日、自宅で体調が急変。栃木県下都賀郡壬生町の獨協医科大学病院に運ばれて肝臓破裂の緊急手術を受けるが、翌10月5日の午後11時53分、肝癌により死去した。緒形の最期は家族と長年の友人であった津川雅彦が看取った。

30代まではテレビドラマを中心に名を高め、40代に入ってから映画主演の仕事へ大きくシフトした。若い頃に主演作がほとんどないという、比較的珍しいタイプの映画スターである。晩年までテレビの仕事にも愛着を持って2時間ドラマなどもこまめに主演し、親しかった勝新太郎から「テレビなんてくだらない仕事は辞めろ」と迫られたこともある。

引用元:緒形拳 - Wikipedia










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