2月18日は、日本の前衛芸術家・音楽家・平和運動活動家である、オノ・ヨーコ(小野 洋子)の誕生日です。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。
オノ・ヨーコ(小野 洋子、1933年〈昭和8年〉2月18日 - )は、日本の前衛芸術家、音楽家、平和運動活動家。1969年にビートルズのメンバーだったジョン・レノンと結婚。共に平和活動、音楽、創作活動を行ったことでも知られている。ニュースクール大学でジョン・ケージが開いた作曲講座の出席者らと1960年代の前衛運動を主導し、「フルクサス」の関係者でもあった。
1953年、20歳の時に家族と共に父親の赴任先であるニューヨーク郊外のスカーズデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学、音楽と詩を学ぶ。
サラ・ローレンス大学在学中の1956年に一柳慧と出会い、同大学を退学し結婚、前衛芸術活動を開始する。
1961年、後の夫になる米国の映像作家アンソニー・コックスと出会う。
1962年、29歳で自殺を図り精神病院に入れられる。ヨーコに憧れニューヨークから来日したアンソニー・コックスが 、ヨーコを口説き落とし退院させた。11月28日に結婚しようとするが、一柳との離婚が法的に成立しておらず、1963年3月1日に結婚は「無効」とされてしまう。同年の6月6日に再度結婚をする。1963年8月8日、娘キョーコをもうける。
1964年、ニューヨークに戻り、活動を再開する。1966年にロンドンの現代芸術協会の招きで渡英し、活動の場をロンドンに移した。その時期にジョン・レノンと関係を持ちはじめる。コックスとは1969年2月2日に離婚した。
1969年3月20日、ジブラルタルで結婚。米国では「ミドルネーム方式」を選ぶことも可能で、本名はヨーコ・オノ・レノンとなり、ジョンはジョン・ウィンストン・オノ・レノンとなった。
当時、激化するベトナム戦争に反対して、『ベッド・イン』や『ウォー・イズ・オーヴァー』ポスター・キャンペーンなどの独自の「愛と平和」活動を展開した。
1969年12月、プラスティック・オノ・バンドのファースト・アルバム『平和の祈りをこめて』を発表した。
1970年12月、ファースト・アルバム『ヨーコの心』を発表した。
1971年3月、『フライ』を発表した。
1980年、ショーンが5歳になったことを契機としてレノンは音楽活動を再開し、同年11月17日に共作アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表した。しかし、その後間もない12月8日にレノンは自宅、ダコタ・アパートメンツ前でマーク・チャップマンによって射殺される。チャップマンの銃口はヨーコにも向けられたものの一難を逃れた。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ後、13日目に当たる同年9月23日、ニューヨーク・タイムズの日曜版に"Imagine all the people living life in peace"という一面広告を掲載した。これを受けて米国政府は、放送局に「イマジン」のオンエアの自粛を求めた。
2004年10月、朝日カルチャーセンター主催、新宿の住友ホールで行われた講演会で「アルカーイダをどう思いますか?」と訊かれ、「人のことを批判したり考えるよりも、自分の健康について考えたほうがいいです」と答えている。
2009年9月、プラスティック・オノ・バンドとして、ショーン・レノンや小山田圭吾らと共に音楽活動を再開した。
2021年11月、雑誌『ザ・ニューヨーカー』が、オノが「公的生活から引退した」と発表した。 ビートルズ・ビジネスについては、現在はオノの息子ショーンがレノン家の代表を務める。
2023年、50年暮らしたダコタ・ハウスを離れ、ジョンと一緒に購入したニューヨーク州フランクリン近郊にある広大な農場に引っ越しした。










