2月9日は、イングランド出身のロックミュージシャン(木管楽器・キーボード・ギター他)、プロデューサーのイアン・マクドナルド(Ian McDonald)の命日です。プログレッシブロックバンド「キング・クリムゾン」やアメリカのロックバンド「フォリナー」などを結成したことで知られる。2022年2月9日、癌により死去。75歳没。
イアン・マクドナルド(Ian McDonald、1946年6月25日 - 2022年2月9日)は、イングランド出身のロックミュージシャン、マルチプレイヤー、音楽プロデューサー。
「キング・クリムゾン」「フォリナー」などの創設メンバーとして活動した。
1969年1月、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップは幾つかのメンバー・チェンジを経て、マクドナルド(木管楽器、メロトロン、ボーカル)、ロバート・フリップ(ギター)、マイケル・ジャイルズ(ドラムス、ボーカル)、グレッグ・レイク(ベース、ボーカル)の顔ぶれになっていた。同月13日、彼等はフラム・パレス・ロード・カフェ(Fulham Palace Road Café)の地下室に楽器と機材を運び入れてリハーサルを始めた。この日からシンフィールドがローディーとして照明と音響を担当することになった。同月22日、バンドの名前がキング・クリムゾンになり、月末にはデヴィッド・エントホーヴェン(David Enthoven)とジョン・ゲイドン(John Gaydon) がマネージャーに着任した。演奏活動が始まり、シンフィールドは作詞と照明を担当する「演奏しないメンバー」として正式に加入した。
同年7月5日、キング・クリムゾンはローリング・ストーンズのハイドパーク・フリーコンサートに出演して話題を集め、10月にプログレッシブ・ロック史に残るデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』を発表した。マクドナルドはシンフィールドとの共作「クリムゾン・キングの宮殿」「風に語りて」を提供し、オリジナル曲の作曲でも核となる役割を果たした。また「21世紀のスキッツォイド・マン」で畳みかけるサクソフォーン、「風に語りて」で優しく奏でられるフルート、「エピタフ」で荘厳に響くメロトロンといった具合に、マルチプレイヤーとしての資質を全開させた。
しかしアルバム発表後のアメリカ・ツアーに疲弊し、ツアー終了後の1969年末にジャイルズともども脱退した。
1970年5月から7月にかけて、ジャイルズと彼の弟で元GG&Fのピーター・ジャイルズ(ベース)と共にレコーディングを行ない、シンフィールドと共作した20分を超える組曲「バードマン」を含むアルバム『マクドナルド・アンド・ジャイルズ』を1971年1月に発表した。
その後数年にわたってセッション・プレイヤーや音楽プロデューサーとして活動。治療から帰国直後、最初にT・レックスの大ヒット作『電気の武者』(1971年)に参加してサクソフォーンを吹いたことは有名。キング・クリムゾンの『レッド』(1974年)でもメンバーのジョン・ウェットンの招きでサクソフォーンを吹いた。プロデューサーとしてダリル・ウェイズ・ウルフ『カニス・ループス』(1973年)、フループ『当世仮面舞踏会』(1975年)、ファイアーバレー(Fireballet)『はげ山の一夜 (Night On Bald Mountain)』(1975年)などを手がけた。
1977年、英米混成バンドのフォリナーを結成してデビュー。商業的成功にも恵まれるが、アルバム3枚で脱退。
1996年末、スティーヴ・ハケットの日本公演に参加。「クリムゾン・キングの宮殿」や「風に語りて」も披露した。
1999年、初のソロ・アルバム『ドライヴァーズ・アイズ』を発表。ハケット、ウェットン、ゲイリー・ブルッカー、ピーター・フランプトンなどの豪華ゲストを迎え、ポップでありつつもプログレッシブ・ロック色も感じさせる作品を完成させた。
その後、ジャイルズ兄弟やキング・クリムゾンの1971年までの歴代メンバーたちと21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成し、ライブ活動を行っていたが、ジャイルズの後任ドラマーだったイアン・ウォーレスの病死により、2007年に活動停止。
2013年からはHoney Westというバンドに参加し、ニューヨークに在住してライブ活動を行った。
2022年2月9日、癌により75歳で死去。
キング・クリムゾン - Wikipedia
マクドナルド・アンド・ジャイルズ - Wikipedia
フォリナー - Wikipedia