2025年7月20日日曜日

石橋凌 (ARB・俳優)



7月20日は、俳優・ミュージシャンの石橋凌(いしばし りょう)の誕生日です。1977年にロックバンド「ARB(アレキサンダー・ラグタイム・バンド)」に加入したことでデビューすることとなる。以降「ARB」やソロで音楽活動の傍ら俳優としても活動する。

石橋 凌(いしばし りょう、1956年7月20日 - )は、日本の音楽家、俳優。本名:石橋 秀樹(いしばし ひでき)。血液型はAB型。ENTER the DEE所属で、かつてはアパッチに所属していた。

アメリカの映画俳優組合(SAG)の会員で、アメリカではゴールデン・メディア・グループが代理人となっている。

福岡県久留米市出身。妻は女優の原田美枝子、長女は歌手の優河、次女は石橋静河。娘2人の上に一般人の息子がいる。

福岡県立久留米高等学校を卒業後、地元のバンド、アップル・ツリーのボーカリストとしてセミプロ活動を行う。その折、KBCラジオ「歌え!若者」に出演した際に、ディレクターであった岸川均の目に留まり、彼の勧めで1977年、ボーカリストとしてARBのオーディションに参加、加入した。

デビュー時に所属したシンコーミュージックはアイドルグループとして売り出そうとし、ピンク・レディーの前座を務めたこともある。1978年10月にシングル「野良犬」でデビューするも、方向性の違いから1年足らずでシンコーミュージックから独立した。

独立したものの、レコードの売れ行きやコンサートの動員に悩んでいた20代半ばに、ドラマーの相原誠とともに赴いたスポーツクラブで、金子正次と松田優作に出会う。松田に自身の悩みを相談するなど交流したのち、松田が監督する映画『ア・ホーマンス』に誘われ出演する。それまで演劇経験がほとんどなかった石橋は、松田から厳しい指導を受け、キネマ旬報新人男優賞を受賞し、本格的に映画俳優を志す。大河ドラマ『武田信玄』、映画『ボクの女に手を出すな』『Aサインデイズ』などに出演した。

尊敬していた松田優作が病死したことを受け、1990年にARBを解散して音楽活動を封印、俳優業に専念した。

『クロッシング・ガード』(1995年)の演技がアメリカで認められた後、1997年にARBを再結成。第4期ARBとして1998年2月にシングル「TOKYO OUTSIDER」で復活。音楽活動と俳優業と両立していたが、2006年3月1日に石橋が脱退を表明。ARBは活動を再度休止した。

石橋自身「追う役より追われる役の方が多かった」と話すほど、かつてはヤクザ役が多かったが、現在は刑事や判事など多彩な役柄を演ずる俳優として知られる。1995年よりアメリカ映画俳優組合(SAG)の会員となる。

2006年6月1日に鈍牛倶楽部からスティングカンパニーへ移籍、2008年4月にエイベックスへ移籍。

引用元:石橋凌 - Wikipedia
















ARB (バンド) - Wikipedia



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