2025年6月24日火曜日

村下孝蔵



6月24日は、日本のフォークシンガー・シンガーソングライターの村下孝蔵(むらした こうぞう)の命日です。1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に、突如「気分が悪い」と訴え診察でCTの装置に入った時点で意識不明の昏睡状態に陥った。脳内出血が再発し僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。

村下 孝蔵(むらした こうぞう、1953年〈昭和28年〉2月28日 - 1999年〈平成11年〉6月24日)は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。『初恋』『踊り子』『ゆうこ』『陽だまり』など、恋愛をテーマとした数々のヒット曲がある。熊本県水俣市出身。

水俣市立水俣第一小学校、水俣市立水俣第一中学校、鎮西高等学校、日本デザイナー学院広島校インテリアデザイン科卒業。

1980年5月21日、27歳の時、シングル 「月あかり」でプロデビューした。同曲は前年発表した自主制作アルバム『それぞれの風』からのリカットシングルで、湯来温泉での思い出からイメージをふくらませて書かれたもの。

1981年1月にリリースされた2枚目のシングル「春雨」は、地道なプロモーションを重ねて、チャート最高位58位を記録、およそ3ヵ月半に渡ってチャートにランクイン。1982年発売の「ゆうこ(原題:ピアノを弾く女)」は、北海道札幌の有線で火がつき、全国ヒットになり、チャート最高位23位を記録、約7か月半にわたってチャートインした。

1983年、30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。

1987年9月にリリースしたシングル「陽だまり」が『めぞん一刻』の主題歌の一つとして起用された。1988年、神奈川県川崎市のCLUB CITTA'で行われたベンチャーズのライブにゲストとして出演。ベンチャーズと一緒に演奏するという夢を叶えた。

1989年、アルバム『野菊よ 僕は…』を発売。1992年発売のシングル「ロマンスカー」は「これが売れなきゃおかしい」という思いで制作し、完成時に村下が「やっと納得する作品が出来た!」と語った渾身の作品であったが売れず、須藤は「時代が違ってきたんだ」と感じたという。

1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に、突如「気分が悪い」と訴え当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていたが、診察でCTの装置に入った時点で意識不明の昏睡状態に陥った。診察の結果「高血圧性脳内出血」と判明。医師の所見では当初、1週間ほどで回復し日常に戻れると言われていたが、脳内出血が再発し僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。

引用元:村下孝蔵 - Wikipedia

















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