2026年1月16日金曜日

ダモ鈴木 (元 カン)



1月16日は、旧西ドイツの前衛的ロックグループのカンのボーカリストとして知られる歌手である、ダモ鈴木(ダモ すずき、Damo Suzuki)の誕生日です。本名は鈴木健次。元・カンのボーカリストとして1970年から1973年まで在籍し、世界的に名を馳せている人物であるが、1960年代後半には新宿でヒッピー生活を経験、当時14歳で、「最年少フーテン」とも呼ばれた。2024年2月9日、悪性腫瘍のため死去。74歳没。

ダモ 鈴木(ダモ すずき、本名:鈴木健次〈すずき けんじ〉、1950年1月16日 - 2024年2月9日)は、旧西ドイツの前衛的ロックグループのカンのボーカリストとして知られる歌手である。神奈川県出身。

元・カンのボーカリストとして世界的に名を馳せている人物であるが、1990年代以降は一貫してセッション・スタイルで世界各国を旅しながら、現地のさまざまなジャンルの音楽家、バンドと積極的な活動を行っており、インスタント・コンポージングと呼ばれる独自の即興的歌唱法で、楽譜もリハーサルもなしに行う生演奏の手法を確立した。

カン自体は、一般に日本ではサイケデリック・ロックやクラウトロックに分類されるものの、鈴木の活動・音楽は、ロック、パンク、ジャズ、ノイズ・ミュージック、エレクトロニカ、テクノ、ヒップホップなど、さまざまなジャンルの音楽家に影響を与えている。中でも楽曲「I Am Damo Suzuki」を発表しているザ・フォール、鈴木のボーカルを収めた「Sing Swan Song」をサンプリングしたカニエ・ウェストなどが挙げられる。

一方で1960年代から1970年代にかけての国際派日本人ヒッピー世代を象徴する人物として、その自由奔放でアナーキーな行動など、数々の伝説を持つカリスマ的存在でもある。インターネットが普及するまで、カンでの活動期間中に撮られた写真や映像など、資料は数少なく謎の存在であった。

ダモ鈴木の出発点は、音楽家と言うよりも、自由の境地を求めるボヘミアン、ヒッピーとしての生き方であった。1960年代後半には新宿でヒッピー生活を経験、当時14歳で、「最年少フーテン」とも呼ばれた。また、当時の鈴木は、ジャズ、ジェームス・ブラウン、キンクスなどのファンだった。特にキンクスに関しては私設ファンクラブを主宰していた。

インスタント・コンポージング

鈴木は自分の独自の歌唱スタイルを現在このように呼んでいる。これは、フリージャズなどに見られる、即興ではあっても予定調和的な部分が大きい「即興演奏」と区別するために、鈴木自身が提唱しているオリジナル・スタイルである。とくにダモ鈴木ネットワーク・シリーズにおいては、全く何のリハーサルも行わず、音楽家同士の直感的セッションによって引き起こされ、次第に構築されていくアンサンブルや楽曲、すなわちサウンド、バイブレーションを主体とした考え方に由来する独自なものと考えられる。そのため歌詞や音程はあってないようなもので、日本語・英語・ドイツ語とゆかりのある言語のどれでもない不定形の歌唱によって、文字通りその場のインスピレーションでコンポーズされる。

2024年2月9日、悪性腫瘍のためケルンの自宅で死去。74歳没。

引用元:ダモ鈴木 - Wikipedia























人気の投稿(過去7日間)