2025年10月24日金曜日

いとうあいこ (女優)



10月24日は、元女優のいとうあいこ(本名:伊藤 愛子)の誕生日です。1999年、大塚製薬ファイブミニのCMでデビュー。2003年「爆竜戦隊アバレンジャー」にて樹(いつき)らんる/アバレイエロー役で出演。2006年には昼ドラなどで主役を張るなど活躍したが、2010年11月に引退した。2023年「爆竜戦隊アバレンジャー 20th 許されざるアバレ」で一時復帰を果たす。

いとう あいこ(本名:伊藤 愛子(読み同じ)、1980年10月24日 - )は、日本の元女優。神奈川県横浜市出身。スターダストプロモーションに所属していた。既婚。結婚後の本名については非公開。

1999年、大塚製薬ファイブミニのCMで初デビュー。

2000年、雑誌『CanCam』9月号にカットモデルとして初登場。

2002年、朝比奈えり、大沢舞子、肘井美佳、福岡サヤカらとビジュアルユニット「Chao」として活動。

同年、朝比奈えり、西角茉美、肘井美佳、福岡サヤカ、宮崎瑠依らとアイドルユニット「D★shues」としてCDをリリース。

2003年、『爆竜戦隊アバレンジャー』に樹(いつき)らんる / アバレイエロー役で出演。

2005年、『3か月トピック英会話』(NHK教育)「ハートで感じる英文法」の生徒役、翌年の「会話編」にも同役で出演。

2006年、『ラブサイコ 狂惑のホラー「最高の彼氏」』で劇場用映画に初主演。

同年、愛の劇場『スイーツドリーム』(TBS系)で主役・佐野史織を演じる。

2008年、フジテレビ系昼の連続ドラマ『愛讐のロメラ』(東海テレビ制作)で主役・七瀬珠希を演じる。

2009年、フジテレビ系『ほんとにあった怖い話』の「憑く男」で上地雄輔と2度目の共演を果たす。2008年秋に放送された同系列『セレブと貧乏太郎』以来、約8か月ぶりであった。なお、上地とは実家が隣同士である。

2010年3月17日、公式ホームページで2月10日に1歳年上の建設会社役員の男性と入籍したことを発表。交際期間が4か月というスピード婚だった。

2010年11月限りで所属事務所を退社し、芸能界を引退。オフィシャルサイトも同年の12月27日付けで閉鎖した。

2012年、山口県岩国市にある岩国美術館の音声ガイドのナレーションに起用される。

2023年、『爆竜戦隊アバレンジャー 20th 許されざるアバレ』で一時復帰を果たす。

引用元:いとうあいこ - Wikipedia























2025年10月23日木曜日

大野真澄 (元 ガロ・VOCAL(ボーカル))



10月23日は、シンガーソングライターの大野真澄(おおの ますみ)の誕生日です。1970年に堀内護と日高富明でフォークグループ「ガロ」を結成。「学生街の喫茶店」(大野自身がリードボーカルを担当)、「君の誕生日」、「ロマンス」などのヒット曲を出す。ガロ解散後はソロとして活動、他に伊勢正三・太田裕美らと「なごみーず」を結成し全国をまわっている。

大野 真澄(おおの ますみ、1949年〈昭和24年〉10月23日 - )は、日本のシンガーソングライター。IRc2 CORPORATION所属。通称・VOCAL(ボーカル)。1980年代から1990年代初期、大野 轟二(おおの とどじ)と名乗った時期もあった。

ダウンハーツ、東京キッドブラザース、ロックミュージカル『ヘアー』(堀内護とダブルキャストで、ウーフ役)を経て、1970年、堀内、日高富明とガロを結成。かまやつひろしに見いだされ、同バンドとしてデビュー。「学生街の喫茶店」(大野自身がリードボーカルを担当)、「君の誕生日」、「ロマンス」などのヒット曲を出す。

1976年、ガロ解散。

解散後ソロ活動を開始し、吉田拓郎、風などのツアーに参加(ちなみに当時の大野のバックバンドはTHE ALFEE)。

同時に作家活動も始め、あおい輝彦のヒット曲「あなただけを」の作詞を手がけ、大ヒットする。なお、同曲は現在伊勢正三、太田裕美、大野真澄の3人がなごみーずとして全国をまわっている『アコースティックナイト』コンサートで大野がカバーしている。

その後も多岐にわたる音楽ジャンルで才能を発揮し、内田裕也、松田優作、三浦友和などのレコーディングに参加。手がけた仕事は多い。

プロデュース等裏方の仕事をしていたが、1996年から歌手活動を再開した。東京・六本木のライブレストラン「スイートベイジル139」で定期的にソロライブを行っている。また、前述の『アコースティックナイト』コンサートを各地で開催。このコンサートの前述の3人は「なごみーず」と呼ばれるユニットを組んでおり、2007年12月2日コンサート会場と通販のみの限定リリースでライブ・アルバムのCD『アコースティックナイト』発売した。

近年は「夢スター歌謡祭 春組対秋組歌合戦」に出演し、全国各地を回っている。

引用元:大野真澄 - Wikipedia





















2025年10月22日水曜日

キューティー鈴木



10月22日は、日本の元女子プロレスラー・タレント・女優のキューティー鈴木(キューティーすずき)の誕生日です。愛らしい容姿からアイドルレスラーとして人気を集め、試合だけにとどまらず歌、ドラマ、映画、CM、グラビア、バラエティ番組など多方面で活躍、トークショーなど各種イベントにもひっぱりだこで絶大な知名度を誇った。女子プロレス引退後も芸能の仕事は継続する。

キューティー鈴木(キューティーすずき、本名:原嶋 由美 - はらしま ゆみ、旧姓:鈴木、1969年10月22日 - )は、日本の元女子プロレスラー、タレント・女優。埼玉県出身、川口市立十二月田小学校、川口市立十二月田中学校卒業、川口市立川口女子高等学校中退。

愛らしい容姿からアイドルレスラーとして人気を集めた。試合だけにとどまらず歌、ドラマ、映画、CM、グラビア、バラエティ番組など多方面で活躍、トークショーなど各種イベントにもひっぱりだこで絶大な知名度を誇った。『爆報! THE フライデー』(2016年7月22日放送、TBSテレビ)では女子プロレスラー史上最高の美女と紹介された。

現役時代は身長155cm、B86cm、W66cm、H90cm、体重55kg。血液型はAB型。

女力道山と言われた大森ゆかり(元全日本女子プロレス)をプロレスラーとしての目標とし、ライバルは尾崎魔弓である。

師である山本小鉄の「思いやりのある人間になれ。」という教えに感銘を受け、後輩への指導やインタビューでたびたび引用する。

雑誌では、技を掛けられて苦悶の表情を浮かべる写真が多く使用され、当時のキューティーのイメージとして定着する。男性ファンからは、「そのやられっぷりがいい」と支持され、弱いイメージも持たれるが、受け身のうまさと打たれ強さには定評があり、尾崎魔弓は「あのケガに対する強さは持って生まれた才能だと思う。」と語っており、引退まで大きな怪我はなかった。

プロレスラー時代の趣味は、犬の散歩とファミコン。特に『ドラクエ』に熱中し、『女子プロレスグランプリ』(ソニー・マガジンズ)ではゲームに関するコラムを寄稿していた。ゲームソフトの新作が発売されると、弟に寮まで届けさせることもあった。

アイドル雑誌を好み、特に『DUNK』(集英社)と『BOMB』(学研)を愛読していた。好きな芸能人は永井真理子、近藤真彦、織田裕二、瀬能あづさ、三上博史。歌番組で近藤真彦と共演した際は感激していた。

引退後も含め、14冊の写真集を出版している(女子プロレスラー最多)。最終的にヘアヌードまで披露しており、「個人的にはギリギリで行きたかったけど押しに弱いから。」とカメラマンの要求を断れなかった旨を述懐している。レズビアンを彷彿させる尾崎との写真集(『赤い糸』サン出版)の撮影では、カメラマンから「抱き合ったみたいなのやってみようか。」との要求に対し、当初は共に「嫌だ、冗談じゃない!」と抵抗したという。

小学4年生の頃から母の薦めで箏を習い始め、中学卒業まで続けていた。

引用元:キューティー鈴木 - Wikipedia

























2025年10月21日火曜日

山内テツ



10月21日は、日本のミュージシャン・ベーシストである、山内テツ(やまうち てつ、Tetsu Yamauchi)の誕生日です。1970年代にブリティッシュ・ロック・バンド「フリー」と「フェイセズ」で活動していたことで知られる。近年では再びステージに立ち演奏を再開しているようだ。

山内 テツ(やまうち てつ、Tetsu Yamauchi、1946年10月21日 - )は、福岡県福岡市出身のロック音楽家、ベーシスト。1970年代にブリティッシュ・ロック・バンド、フリーとフェイセズで活動していたことで知られる。

本名は山内 哲夫(やまうち てつお)。1968年にマイク真木のザ・マイクスに加入して音楽活動を開始。ミッキーカーチス&サムライのメンバーとして海外遠征を経験。その後麻生レミのバック・バンドなどで活動。

1971年4月、初来日したフリーのポール・コゾフ(ギター)、サイモン・カーク(ドラム)とスタジオで出会い、意気投合して渡英。フリーはまもなく解散し、山内はコゾフ、カーク、ラビット(キーボード)と共に、コゾフ・カーク・テツ・ラビット名義で同名アルバム『コゾフ/カーク/テツ/ラビット』(1972年)を制作した。

1972年2月、フリーはコゾフ、カーク、ポール・ロジャース(ヴォーカル)、アンディ・フレイザー(ベース・ギター)のオリジナル・メンバーによって再結成されたが、まもなくフレイザーが脱退。後任に山内が迎えられた。フリーの再結成には薬物摂取癖に苦しむコゾフを救うという目的があったが、結局コゾフは活動に支障をきたしてしまい離脱。残ったロジャーズ、カーク、山内はラビットを迎えて、ロジャースがギタリストを兼任。彼等は7月にエマーソン・レイク・アンド・パーマーとのジョイント・コンサートで2度目の来日を果たし、山内もメンバーとして22日に後楽園球場、24日に阪神甲子園球場で第一部のステージに登壇して凱旋ライヴを行なった。同年10月、彼等は新作アルバムの制作を開始し、翌1973年1月にアルバム『ハートブレイカー』を発表。山内が作曲に参加した「Wishing Well」のシングルは全英チャート7位(Music Week)を記録。彼等はアメリカ・ツアーも行ったが、やがて活動が停滞気味になって自然消滅的に解散した。

1973年の後半、ロニー・レーンの後任としてフェイセズに加入。作曲に参加したシングル「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 」が1974年に全英チャート12位(Music Week)を記録。1974年2月のフェイセズの初来日公演で二度目の凱旋ライヴを行なった。

渡英した当初、彼はイギリスのミュージシャンが所属するユニオンに加入できず活動を制限されそうになったが、マスコミとファンによる支援の声が問題解決につながった。

1975年にフェイセズが解散すると帰国して、山内テツ&グッド・タイムズ・ロール・バンドを結成しライヴ・アルバムを発表。その後は日本でソロ・アルバムのリリース、クリエイションに加入するなどの活動を行なった。1985年にはフリー・ジャズのドラム奏者、羽野昌二と共にOpe Bandを結成し、1990年まで活動した。その後も羽野と共に、アルバム『デア・デヴィル』(1992年)、ヴェルナー・リュディのアルバム『気』(1996年)に参加している。

2011年以降は表立った音楽活動を行なっておらず、2012年1月6日に原宿クロコダイルにて石間秀機、ジョニー吉長らとステージに立った以外はフェイセズ再結成への参加やメディアへの取材対応も一切断り、家族と共に静かに幸せな生活を送ってきた。

約10年後の2023年の9月29日に横浜でライヴを行った。同年10月23日、MEETS DUOとして、嶋田吉隆とともに久しぶりに原宿クロコダイルのステージに立ち、翌2024年1月29日、6月6日にも出演。活発な動きを見せている。

引用元:山内テツ - Wikipedia























2025年10月20日月曜日

山口智子



10月20日は、女優の山口智子(やまぐち ともこ)の誕生日です。栃木県栃木市出身。夫は俳優の唐沢寿明。

山口 智子(やまぐち ともこ、1964年〈昭和39年〉10月20日 - )は、日本の女優。

栃木県栃木市出身。研音所属。夫は俳優の唐沢寿明。

短大在学中に声をかけられ、女性ファッション雑誌『ViVi』のモデルとして活動を開始した。1986年、東レキャンペーンガールでデビュー。

23歳となり、NHK連続テレビ小説のヒロインオーディションに合格し、1988年度後期放送の『純ちゃんの応援歌』のヒロイン・小野純子役で女優デビュー。この作品で義弟役だった唐沢寿明とは、この共演がきっかけで後に結婚する。

1990年には、(シリーズモノは別として)火曜サスペンス劇場枠の2時間ドラマに異例とも言える3作品に主演した。ほどなくして連続ドラマでは、日本テレビやTBS、フジテレビなど数々のトレンディードラマのヒロイン級の役柄を担当し、一躍スターダムにのし上がる。これら1990年代の山口の全盛期の出演ドラマは、同世代の女性達から支持を集め、いずれも高い視聴率が取れたため「連ドラクイーン」や「高視聴率の女王」とも呼ばれた。

1995年に唐沢寿明と結婚してからは女優業を徐々に縮小し、CMを中心に仕事をシフトしている。1996年の『ロングバケーション』(以下『ロンバケ』)の出演を境に女優業から一旦遠ざかり、当面の間は主婦業に注力した。ただし「1年の半分ぐらいは、目標にしていた旅行に費やした」と後年に明かしている。

2008年から2010年3月まで中目黒の川沿いに「燕子花」(かきつばた)という西洋/東洋の伝統工芸雑貨のセレクトショップをオーナー経営していた。

2012年の『ゴーイング マイ ホーム』で『ロンバケ』以来16年ぶりに連続ドラマに出演、2015年には『ロンバケ』以来19年ぶりの連続ドラマのラブストーリーとなる『心がポキッとね』に出演。また、2018年の『BG〜身辺警護人〜』では、木村拓哉と『ロンバケ』以来22年ぶりとなる再共演を果たし、話題を呼んだ。

2019年には同年度前期放送のNHK連続テレビ小説『なつぞら』で『純ちゃんの応援歌』以来31年ぶりに朝ドラに出演。また、7月期放送の『監察医 朝顔』で『ロングバケーション』以来23年ぶりにフジテレビ月9ドラマへ出演した。

2025年10月2日、夫の唐沢寿明とともに同年12月末日をもって研音を退所し、2026年1月に「TEAM KARASAWA」を立ち上げることが発表された。

引用元:山口智子 - Wikipedia

























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