2025年6月3日火曜日

マモル・マヌー (ザ・ゴールデン・カップス、三枝マモル、ゆうき剛)



6月3日は、日本のドラマーでボーカリストのマモル・マヌー(Mamoru Manu)の誕生日です。1967年に「ザ・ゴールデン・カップス」でドラム・ボーカルでデビュー。1969年に脱退後ソロシンガーとしての道を歩むが成功へは至らなかった。2020年9月1日、心筋梗塞のために逝去、71歳没。

マモル・マヌー(Mamoru Manu、1949年6月3日 - 2020年9月1日)は、日本のドラマー、ボーカリスト。本名は三枝 守(さえぐさ まもる)。山口県出身、横浜育ち。

歌のうまさに関しては、音楽家や音楽評論家の評価が高く、親族にアメリカ人と結婚した人がいたため、子供のころから米軍基地に出入りしていた。

1949年6月3日、山口県で誕生し、すぐに横浜に移る。

子供の頃から米軍キャンプに出入りし、バンドのボーカリストとして活動を始める。

デイヴ平尾の誘いにより、「平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)」を結成、1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー。3枚目のシングル「長い髪の少女」で初めてソロ・パートを担当して以降、その凛々しく甘いルックスでアイドル的な人気を博し、ゴールデン・カップスの活動を支えた。

1969年12月31日を以ってゴールデン・カップスを脱退。かねてから作曲家・鈴木邦彦に熱望され、1970年9月、ソロ・シンガーとして「雨の街」でデビュー。その後は三枝マモル、ゆうき剛名義でシングルを9枚とアルバムを2枚発売するものの成功へは至らなかった。

1975年以降は宝石鑑定師の資格を取得しサンフランシスコと蒲田で宝石に携わる仕事を続けていた。

1988年、ミッキー吉野、デイヴ平尾、アイ高野らと共に、「タイガース・メモリアル・クラブバンド」に参加。

2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。主にボーカルを担当し、音楽番組への出演やライブハウスでの活動を続けていた。

2020年9月1日、心筋梗塞のために逝去した。71歳没。

ゴールデン・カップスが「メンバー全員がハーフ」という架空の設定で売り出されたため、ハワイ出身の叔父の姓「マヌー」を拝借して「マモル・マヌー」と名乗った。

引用元:マモル・マヌー - Wikipedia






















ザ・ゴールデン・カップス - Wikipedia



2025年6月2日月曜日

團遥香



6月2日は、女優・タレント・ファッションモデルの團遥香(だん はるか)の誕生日です。「だんちゃん」や「だんだん」の愛称で親しまれ、水泳(遠泳4km)、三味線、ピアノ、バドミントンなどを特技に、キャンドルやポストカードの観賞を趣味にしている。

團 遥香(だん はるか、1993年(平成5年)6月2日 - )は、日本の女優、タレント、ファッションモデル、YouTuber。

東京都港区出身。2人姉妹の次女として生まれる。筑波大学附属小学校を経て、広尾学園高等学校、聖心女子大学を卒業。

2010年に渋谷「109」でスカウトされて芸能の仕事を始め、ボックスコーポレーションがマネジメントしている。

2013年、大学2年の4月から『ZIP!』(日本テレビ)のレポーターを7年間務めた。

2020年3月、バンタンデザイン研究所キャリアカレッジのランジェリーデザインコースを卒業。

2020年4月、『週刊プレイボーイ』(集英社)のグラビアで初水着を披露すると共に、1stデジタル写真集『真珠のお嬢様。』を刊行。7月にも『27歳の王道』を電子グラビアで配信した。12月には2ndデジタル写真集『濡れる。〜八丈島と、秘湯と〜』を配信。 同年12月14日、集英社のデジタルコンテンツ表彰、「グラジャパ!アワード2020」で最優秀新人賞受賞。

2020年8月30日、公式YouTubeチャンネル「DAN VLOG」を開設した。

2021年5月、ナイトブラやルームウェアをプロデュースする、リラックスウェアブランド「ilwil(ウィル)」を立ち上げ、クリエイティブ・ディレクターに就任した。

2023年7月26日、ファースト写真集となる『團遥香写真集 DAN』を発売。Amazonタレント写真集ランキングで1位を記録した。

2024年1月12日、プロバスケットボール選手の原修太との結婚を発表した。自身が誕生日を迎えた同年6月2日に「少し前に家族が増えた」と第1子女児の出産を報告した。出産の際には「羊水塞栓症」を発症していたことをのちに明かしている。

引用元:團遥香 - Wikipedia



























2025年6月1日日曜日

村上幸平



6月1日は、俳優・声優・モデルの村上幸平(むらかみ こうへい)の誕生日です。2003年に「仮面ライダー555」で草加雅人/仮面ライダーカイザ役で出演したことで知名度を上げる。特撮物のみならず一般ドラマや舞台など幅広い活動をする。

村上 幸平(むらかみ こうへい、1976年6月1日 - )は、日本の俳優、声優、モデル。東京都出身。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。

所属事務所はA-team(エー・チーム)(2001年 - 2011年)を経て、2012年6月から株式会社ドルチェスターに所属。身長181cm、血液型O型。

1995年、高校在学中にモデルとしてスカウトされ、第7回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞し、ジュノンボーイとして芸能活動を開始した。俳優としてのデビュー作は1996年11月放映の『木曜の怪談』。大学卒業後に俳優業を本格化させる。2001年、『嫉妬の香り』で連続ドラマに初出演。翌年に出演した『時空警察ヴェッカーD-02』で特撮デビューも果たしている。

2003年、平成仮面ライダーシリーズ『仮面ライダー555』で主要人物の一人である仮面ライダーカイザ / 草加雅人役のオーディションに合格、同役を熱演して脚光を浴びた。

『555』終了直後の2004年には『冗談でしょッ!離婚予定日』『メモリー・オブ・ラブ』など昼ドラマへ続けて出演し、主婦層へ知名度を広げる。

その後もテレビドラマを中心に活動し、2007年には深夜ドラマ『ソードブル』でドラマ初主演を務めた他、『ウルトラマンメビウス』『キューティーハニー THE LIVE』など特撮作品にも度々出演している。舞台活動では2008年ごろから精力的に出演を重ね、『ハロルドとモード』『パッチギ』『銀河英雄伝説』などの舞台に出演し、舞台『2069』で2度目の主演・座長役を務めた。

2016年、『動物戦隊ジュウオウジャー』にバド / ジュウオウバード役でセミレギュラー出演し、日本の三大特撮作品(ウルトラマンシリーズ、仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ)への出演を達成した。

ザリガニの飼育を趣味としている。もはや趣味の域を超えて専門家レベルの知識や経験を持っており、公式サイトでも「趣味」ではなく「特技」と記載されている。

引用元:村上幸平 - Wikipedia

























2025年5月31日土曜日

眞鍋かをり



5月31日は、女優・グラビアアイドル・マルチタレントの眞鍋かをり(まなべ かをり)の誕生日です。ブログ「眞鍋かをりのココだけの話」で所謂「ブログの女王」と呼ばれていた。2015年6月26日、ミュージシャンの吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)と結婚したことを発表。

眞鍋 かをり(まなべ かをり、1980年〈昭和55年〉5月31日 - )は、日本の俳優、グラビアアイドル、マルチタレント。オールラウンド所属。愛媛県西条市出身。西条市立西条小学校、西条市立西条北中学校、愛媛県立西条高等学校、横浜国立大学教育人間科学部(国際共生社会課程)卒業。本名(結婚前)同じ。夫はロックバンド「THE YELLOW MONKEY」ボーカル担当の吉井和哉。

横浜国立大学教育人間科学部(国際共生社会課程)に入学前に初めて1人で入った渋谷の吉野家を出たところをスカウトされ、芸能界入りした。

1999年雑誌「ホットドッグ・プレス」のドリームガールグランプリを受賞。

2000年東洋紡水着キャンペーンガールと日本テレビ主催の日テレジェニックに選出される。

2004年6月30日、ブログ「眞鍋かをりのココだけの話」を開設。あっけらかんとした日常生活の着眼点と発想の面白さ、自らを「オイラ」と称する独特の文体からたちまち人気ブログとなる。

7月12日付のブログ記事「なりきりTommy february6」においてTommy february6を意識した眼鏡美人姿を披露したことがきっかけで、トラックバック数日本記録を樹立するに至り、マスコミから「ブログの女王」の称号を受ける。

2011年5月31日よりlivedoor Blogにて「眞鍋かをり Official Blog」を開設。新ブログでは眞鍋の趣味である「一人海外旅行」を中心に日頃の何気ない日常を綴り、元祖ブログの女王のブログ再開ニュースは一躍ネットで話題になった。

2015年6月26日、ミュージシャンの吉井和哉(THE YELLOW MONKEY)と結婚したことを自身のブログで発表した。また、妊娠しており、秋に出産予定であることも同時に報告している。

引用元:眞鍋かをり - Wikipedia

























2025年5月30日金曜日

唐橋充



5月30日は、俳優・イラストレーター・デザイナーの唐橋充(からはし みつる)の誕生日です。連続テレビドラマ初出演となったのが2003年の「仮面ライダー555」で海堂直也/スネークオルフェノク役である。

唐橋 充(からはし みつる、1977年5月30日 - )は、日本の俳優、イラストレーター、デザイナー。福島県出身。祖父は政治家で元喜多方市長の唐橋東、妻は女優の水野美紀。一児の父。 文教大学卒業後、23歳で早稲田大学演劇研究会の劇団「Cretan Crete」に所属し、舞台俳優として活動していた。

2003年、初のテレビ出演となる『仮面ライダー555』(以下“555”)で知名度を上げる。また、演技だけではなく、風貌に反して繊細かつポップな芸術的センスを様々な場所で発揮した。『555』テレビ版公式サイトのキャストによるコラムでは『カラハシンブン』と題したイラスト入り新聞を発表し、これが元でイラストや文章の上手さが広く知られるところとなった。

2007年9月30日、所属事務所DIMENTIONを退所。フリーでの活動となる。俳優業の傍ら、評判の良いイラスト・文筆などの創作活動も並行して行なっている。しばしば映像作品やアパレル商品などに採用されている。近年はイラストレーターとしての知名度が高まっており、『踊る!さんま御殿!!』出演時の本人談によれば、収入は俳優業を上回っているという。

引用元:唐橋充 - Wikipedia


















水野美紀と唐橋充



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