5月10日は、ギタリスト・ボーカリストである、エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban)の命日です。グループサウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとしての活動が最も有名。2025年5月10日、感染性心内膜炎のため死去した。77歳没。
エディ藩(エディ ばん、Eddie Ban、1947年6月22日 - 2025年5月10日)は、ギタリスト、ボーカリスト。本名は潘 廣源。神奈川県横浜市山下町出身。中国国籍。
※1946年生まれの可能性あり。ザ・ゴールデン・カップスのメンバーはデビュー時に所属事務所から1歳サバを読むように指示されていた。1951年生まれのギタリスト・李世福は、インタビューでエディ藩のことを5つ年上だと話している。
※日本に帰化したという情報もある一方で、「華僑」だとする情報もあり、現状の特定は困難。
中学校は関東学院中学校に入学し、この頃からギターに興味を持つ。香港で高価なギター機材を買い揃えたこともあり音楽仲間が増えて、後にゴダイゴのマネージャーとなるジョニー野村(1~2歳年上)らと知り合う。
高校は関東学院高等学校に通い、ジョニー野村らとザ・ファナティックスを結成して注目を集める。このバンドには一時期デイヴ平尾(2~3歳年上)も在籍していた。
渡米中に偶然出会ったデイヴ平尾(本名:平尾時宗)と、帰国後に平尾時宗とグループ・アンド・アイ(後のザ・ゴールデン・カップス)を結成。1967年6月、「いとしのジザベル」でデビュー。リードギター担当としてバンドの中心的存在となる。
1969年4月25日、エディ藩グループ結成のためザ・ゴールデン・カップスを脱退。
1970年1月1日付でザ・ゴールデン・カップスとエディ藩グループとが合併。ザ・ゴールデン・カップスに復帰する形となる。
1972年1月2日付でザ・ゴールデン・カップスが正式に解散。その後は様々な音楽関係者と関わる中で自身の作品も残す。
1982年、第9回 横浜音楽祭 地域特別賞を「ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース」で受賞。
1980年代中盤~1990年代中盤は、「鴻昌」の経営に注力して音楽活動を控えていたが、1990年代後半から音楽活動を再開。
2003年、ザ・ゴールデン・カップス再結成。音楽番組への出演やライブハウスでの演奏を続け、晩年までに至る。
2025年5月10日、感染性心内膜炎のため横浜市内の病院で死去した。77歳没。これによってザ・ゴールデン・カップスの結成メンバー全員がこの世を去ることとなった。引用元:エディ藩 - Wikipedia








