2025年12月6日土曜日

車だん吉



12月6日は、タレント・俳優の車だん吉(くるま だんきち)の誕生日です。1966年にいわたがん太とコンビを組みコント55号の弟分として「コント0番地」を名乗り、たんくだん吉と名乗り活動していた。のちに車だん吉と改名。主に端役として活動していたが「お笑いマンガ道場」にレギュラー出演したことで全国的に有名になる。以降現在まで活動を続ける。

車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は、日本のタレント・俳優・漫画家。本名:白沢 力(しらさわ つとむ)。浅井企画所属。愛称は、だんちゃん。

東京都、現在の江東区生まれ、千葉県佐倉市在住。立正大学経済学部卒業。身長177cm。

1966年3月、大学卒業後に左とん平に弟子入りしたところ、左に浅井企画を紹介され、事務員として入社。萩本欽一が主宰していた劇団・東京新喜劇の劇団員だったいわたがん太(のちに岩がん太→岩だん吉と改名)とコンビを組むことになり、芸人に転身した。コント55号の弟分として「コント0番地」を名乗っていた。当時の芸名はたんくだん吉で、はかま満緒の命名による。これは「顔がマンガみたいだから」との理由で、『タンクタンクロー』と『冒険ダン吉』からのもじりである。

同じ事務所の坂上二郎が三船敏郎主演のテレビ時代劇『荒野の素浪人』に出演する際に、抱き合わせ出演を依頼した。しかし番組制作側に芸名に難色を示された事から、「たんく」→「戦車」→「車」と改名した。

コント55号全盛時には、岩と共に萩本と「同棲」して、彼の身の回り一切を支えていた。しかし、岩が起業(当初魚屋、のちラーメン店へ転業)のため芸能界を引退し、コンビを解消。その後も車は芸能人として活動を続ける。

1976年から1994年まで放送された中京テレビのバラエティ番組『お笑いマンガ道場』で全国的に有名となり、プロ顔負けの漫画を披露し、人気を博した。マンガ道場での共演者であった漫画家 鈴木義司、富永一朗の推薦を受け、漫画家活動も行っており、漫画雑誌「わんぱっくコミック」や欽ちゃんの4コマ漫画おまけ付きい!(週刊漫画サンデー)などに漫画を掲載したこともある。

老女に扮する芸を持ち、九州を中心に活動したばってん荒川、吉本新喜劇の桑原和男と並ぶ「お婆さんキャラ」を持つ。また、役者としても様々なドラマ・映画に出演している。

日本テレビ『ぶらり途中下車の旅』ではかつて約2か月おきに出演し、「ミスターぶらり旅」の異名を取っていた(初代ナレーターだった滝口順平の逝去以後出演取りやめ)。

また声優として、『ピタゴラスイッチ』の百科おじさんの声を担当していた。初代の名古屋章から数えて三代目であった。

コントグループ「東京03」のメンバー・飯塚悟志は親戚。

引用元:車だん吉 - Wikipedia















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