2025年11月10日月曜日

はらたいら



11月10日は、漫画家・タレントのはらたいら(本名:原 平)の命日です。主に4コマ漫画で活動をしたが、何よりクイズ番組「クイズダービー」に出演したことでその正答率の高さが有名となる。番組が終了するまで約15年間活躍した。2006年11月10日、肝臓癌の為死去。63歳没。

はら たいら(本名:原 平〈読み同じ〉、1943年〈昭和18年〉3月8日 - 2006年〈平成18年〉11月10日)は、日本の漫画家、随筆家、タレントである。血液型はB型。高知県香美郡土佐山田町(現:香美市)出身で、晩年は東京都文京区小石川に居住した。

中学生の頃から漫画雑誌への投稿を開始して高知市内の漫画研修会である高知漫画クラブに参加し、当時からナンセンス漫画の才能を発揮した。

高校3年生の頃、はらの漫画を見て後に妻となる高校の1級後輩の森本ちず子が感銘を受けた。しかし、はらは高校生の頃から破天荒で高校時代から飲み歩いており、高校にまで飲み屋からの請求が来ていた。

1961年に高知県立山田高等学校普通科を卒業後に上京し、木賃宿を根城として作品を出版社に持ち込んでは断られる生活が続く。生活苦から、ちず子に生活費の援助を受け「俺はおまえのヒモだ」と自嘲していた。

1963年に『週刊漫画TIMES』の連載『新宿B・B(ベベ)』でデビューし、1964年にちず子と結婚した。はらはちず子を恋愛対象として見ていなかったが、しっかり者であったため結婚した。一方、ちず子が結婚を決めたのははらの漫画の才能に惚れていたためであった。1972年に『週刊漫画ゴラク』の連載『モンローちゃん』がヒットする。

1980年 産経新聞の『ルートさん』、1988年 北海道新聞や中日新聞・西日本新聞の各夕刊連載の『セロりん』、1981年 - 1983年・1989年 - 1990年 日本経済新聞連載の『ゲンペーくん』、沖縄タイムスの『グルくん』、公明新聞の『ポッコちゃん』、京都新聞の『パトロールのパトさん』、日刊ゲンダイの『ゴシップちゃん』、朝日小学生新聞の『日記ちゃん』など数多くの新聞漫画を手がける。

はらは頭角を現し「漫画界のアラン・ドロン」と評されるようになった。

『クイズダービー』の1976年8月7日放送分にゲスト解答者の一人として出演し、翌年1月22日放送分から黒鉄ヒロシに替わって3枠にレギュラーを務め、番組が終了するまで約15年間活躍した。

1992年秋から、更年期障害による眩暈や集中力低下を訴え連載を減らし、闘病生活に。その時の一連の経過は、著書「はらたいらのジタバタ男の更年期」・「男も『更年期』がわかると楽になる」などに詳しい。また経験を生かし晩年は男性更年期障害の講演も行った。

2006年11月10日、肝臓癌の為、埼玉県富士見市の病院で死去。63歳没。当初の死因は肝不全と伝えられたが、死去2ヵ月前の同年9月に検査入院した際に、元々肝硬変であった上に末期癌であったことが判明したという。はらは生前、大の酒好きで知られていたため、訃報に接した大橋は「飲み過ぎたのかな」と語った。

引用元:はらたいら - Wikipedia

















人気の投稿(過去7日間)