2026年5月19日火曜日

藤山ジュンコ



5月19日は、歌手の藤山ジュンコ(ふじやま ジュンコ)の誕生日です。いずみたくの弟子としてレッスンを受け、1971年に放送されたアニメ「さすらいの太陽」とのタイアップという形で主役である峰のぞみ役とエンディング・テーマ「心のうた」で歌手としてプロデビューを果たす。1971年6月5日、デビューシングル「鎖」で待望のレコードデビューを果たすが、ほどなくして芸能界を引退してしまう(1979年2月に「藤山順子」名義でシングルレコードは出している。)。芸能界から去って30年以上経った2008年、実兄の藤山顕一郎が監督を務めたドキュメンタリー映画「We 命尽きるまで」の挿入歌「WE SHALL OVER COME」で久々に歌手として復活を果たした。2024年12月21日死去。

藤山ジュンコ(ふじやま ジュンコ、本名:藤山順子(読み同じ)、1950年5月19日 - 2024年12月21日)は1970年代に活躍した歌手。大阪府出身。

兄は映画監督の藤山顕一郎。

いずみたくの弟子としてレッスンを受け、1971年に放送された『さすらいの太陽』とのタイアップという形で主役である峰のぞみ役とエンディング・テーマ「心のうた」で歌手としてプロデビューを果たす。この曲はソノシートで発売(後にエンディング・テーマ「心のうた」は堀江美都子が担当)。

抜群の歌唱力とパンチの効いたハスキーボイスの持ち主で、師匠のいずみたくからは高い評価を得ていた。

デビュー作となったアニメ『さすらいの太陽』はいずみたくが音楽作曲を担当しており、いずみたくは藤山を売り込むために様々な挿入歌を作詞、作曲して藤山自身に歌わせた。

「さすらいの太陽」が放映されてしばらく経った1971年6月5日、デビューシングル「鎖」で待望のレコードデビューを果たす。この歌は『さすらいの太陽』でも挿入歌として歌われている。

藤山は『さすらいの太陽』の放送終了後、ほどなくして芸能界を引退してしまう。

彼女が芸能界から去って30年以上経った2008年、実兄の藤山顕一郎が監督を務めたドキュメンタリー映画『We 命尽きるまで』の挿入歌「WE SHALL OVER COME」で久々に歌手として復活を果たした。映画公開初日の舞台挨拶では藤山自身がこの挿入歌をステージで歌っている。

引用元:藤山ジュンコとは - わかりやすく解説 Weblio辞書













2026年5月18日月曜日

エリザベス・モンゴメリー



5月18日は、アメリカの映画・テレビ番組で活躍した女優である、エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery)の命日です。1964年から1972年にわたって放映された「奥さまは魔女」でサマンサ役を演じ世界中で広く知られる作品となった。1995年5月18日、大腸癌により62歳で死去。

エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery, 1933年4月15日 - 1995年5月18日)は、アメリカの映画・テレビ番組で活躍した女優。アメリカ三大テレビネットワークの一つであるABCで放映された『奥さまは魔女 Bewitched』の主役の魔女サマンサを演じたことで広く知られる。

1955年に父の出演するテレビ番組『ロバート・モンゴメリー・プリゼンツ Robert Montgomery Presents』と、映画『軍法会議』でデビューを果たす。 1964年から1972年にわたって放映された出世作で、唯一のテレビシリーズとなった『奥さまは魔女』は大成功を収めた。シーズン8まで続いたこの作品は数々の再放送・配信がなされ現在でも世界中で広く知られる作品となっており、また後にニコール・キッドマンがサマンサ役を演じて『奥さまは魔女』として映画リメークされている。エリザベスはサマンサ役で5度エミー賞を受賞、ゴールデングローブ賞にも4度ノミネートされた。

人気番組となった一方でエリザベス自身「シーズン4を終えたあたりでサマンサ役に飽きていた」と告白している。番組が終了した後はサマンサの有名な鼻を動かす仕草は、頼まれてもやりたがらなかったという。

その後はイメージを払拭させるような役柄に積極的に取り組み、『私は犯された/エレイン夫人の裁判』中の犠牲者役でエミー賞にノミネートされ、『女死刑囚の秘密』では実在の殺人者(冤罪者)であるリジー・ボーデンを演じ、ミニシリーズ『開拓者たち』では困難に直面した1820年代オハイオの強い女性の役割を選ぶなど、エリザベスの俳優としての後半生は、女優としてのキャリアを積む役を演じている。

1985年の映画『エイモス』の看護婦役として、残忍な悪役も演じている。

1995年9月12日放映のアニメーション版『バットマン』の一エピソード「Showdown」で、特別ゲストとしてバーの女給役を演じたのが最後の仕事であった。その他にいくつかのナレーターをこなしている。

1979年と1982年に、日本のロッテCMにサマンサ役で出演、1982年の同CMでは和服姿で出演している。

1995年5月18日、大腸癌により62歳で死去。

引用元:エリザベス・モンゴメリー - Wikipedia

























2026年5月17日日曜日

アンドリュー・ラティマー (キャメル)



5月17日は、イングランドのミュージシャン・作曲家である、アンドリュー・ラティマー(Andrew Latimer)の誕生日です。プログレッシブ・ロックバンド「キャメル」の創始者であり現在では唯一のメンバーである。「キャメル」では1975年のアルバム「スノー・グース」1981年の「ヌードの物語 - Mr.Oの帰還 -」等が有名。プロレスラー/格闘家の前田日明は、試合の入場テーマ曲に「ヌードの物語 - Mr.Oの帰還 -」収録の楽曲「Captured(キャプチュード)」を使用していた。

キャメル (Camel) は、イングランド出身のプログレッシブ・ロック・バンド。

数あるブリティッシュ・ロックの中でも叙情派のシンフォニックサウンドで知られ、1970年代の主要プログレバンドの一角として活動。1980年代以降は、創始者アンドリュー・ラティマー主導の体制に移行した

引用元:キャメル (バンド) - Wikipedia



アンドリュー・ラティマー(Andrew Latimer、1949年5月17日 - )は、イングランドのミュージシャンにして作曲家。プログレッシブ・ロック・バンド、キャメルの創設メンバーであり、1971年の結成以来、唯一のメンバーである。ギタリストおよび歌手として最もよく知られているラティマーは、フルート奏者およびキーボード奏者でもある。

引用元:アンドリュー・ラティマー - Wikipedia

















2026年5月16日土曜日

ロニー・ジェイムス・ディオ (レインボー、ブラック・サバス、ディオ)



5月16日は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライターである、ロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio)の命日です。主にハードロックバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」そして自身のバンド「ディオ」のリードボーカリストとして70年代から2000年代にかけて活躍した。特に日本では「ヘヴィメタル界の北島三郎」と呼ばれ親しまれた。2010年5月16日、ヒューストンで死去。67歳没。

ロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio、本名:ロナルド・ジェームズ・パダヴォナ Ronald James Padavona、1942年7月10日 - 2010年5月16日)は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライターである。

主にHR/HMバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」の元ヴォーカリストとして知られ、自ら率いた「ディオ」でも活動した。

非常に張りのある中音域を特徴とする伸びのある声を持ち、時に演劇的ですらあるドラマチックな発声を行なうことによって、いわゆる様式美系ヘヴィメタルの教祖として大きな存在感を示した。欧米人の中では比較的小柄ではあるが、声量があり最晩年まで非常にパワフルな歌唱を聴かせていた。「絶対音感のヴォーカリスト」と称され、ステージでも故意のフェイク以外では音程を外さなかった。これは、幼少期からトランペットのトレーニングを受けてきたことが素地になっているという。また、膨大な量のオペラを聴いて育ち、特にマリオ・ランツァから大きな影響を受けている。

60歳を超えても精力的な活動を続けたので、メタル界のゴッドファーザーと呼ばれた。日本では「演歌の様にこぶしを効かせた歌い回し」で圧倒的な存在感を示したことから、「ヘヴィメタル界の北島三郎」と呼ばれ親しまれていた。

メロイックサインをヘヴィメタル界に広めた人物である。

2010年5月16日午前7時45分(米中部夏時間)、ヒューストンで死去。享年67歳。

引用元:ロニー・ジェイムス・ディオ - Wikipedia

























2026年5月15日金曜日

マイク・オールドフィールド



5月15日は、イングランドのロック・ミュージシャンである、マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)の誕生日です。1973年発表の「チューブラー・ベルズ」はプログレッシブ・ロックの歴史的名盤とされ、他に1983年のシングル「ムーンライト・シャドウ」のヒットなどで知られるマルチ・プレイヤーである。

マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield, 1953年5月15日 - )は、イングランドのロック・ミュージシャン。デビュー・アルバム『チューブラー・ベルズ』(1973年)やシングル「ムーンライト・シャドウ」(1983年)のヒットで世界的に知られる。

1973年5月、リチャード・ブランソンが主宰する新興レーベル、ヴァージン・レコードの第1弾アーティストとして、アルバム『チューブラー・ベルズ』でデビュー。2,400回もの多重録音を繰り返して制作された壮大な同アルバムは全英1位を記録。特徴あるイントロのフレーズが別人の演奏によってアメリカ映画『エクソシスト』(1974年)に使用され、さらに知名度が上がった。同アルバムは現在までにイギリス国内で260万枚を売り上げ、全英歴代トップ30にランクインするほどの大ヒットとなり、プログレッシブ・ロックの歴史的名盤とされている。

続いて1974年に『ハージェスト・リッジ』(全英1位)、1975年に『オマドーン』(全英4位)とアルバムを出すも、成功によって生じた精神的重圧に苦しみ長期間の療養生活に入る。1978年に『呪文』を発表してカムバックを果たした後は、アルバムを発表するだけでなく精力的にツアーを行うようにもなり、翌1979年にはヨーロッパでのライブの模様を収めた『エクスポウズド』をリリースしている。

1980年代に入ってからも『ファイヴ・マイルズ・アウト』(1982年、全英7位)、『クライシス』(1983年、全英7位)と優れた作品を続けて発表。この頃から時代の変化に合わせて従来のプログレッシブ・ロックからのアプローチをやめ、所属レコード会社であるヴァージンのイニシアティヴの下でポップ寄りの作品を発表するようになる。マギー・ライリーのボーカルによる『クライシス』収録の「ムーンライト・シャドウ」はヨーロッパ中で大ヒットし、その後アニー・ハズラムやアゼリン・デビソンがカヴァーする代表曲となる。

1982年5月26日、渋谷公会堂で1日のみの初来日公演を行ない、マギー・ライリー参加の下で、来日時点での最新作アルバム『プラチナム』(1979年)、『チューブラー・ベルズ』『オマドーン』などからの楽曲などを主に演奏した。

続く『ディスカバリー』(1984年)からも、「トゥ・フランス」(ボーカルはライリー)や「トリックス・オブ・ザ・ライト」(ライリーとバリー・パーマーのデュエット)がシングル・ヒットした。以降も様々なボーカリスト(以下、括弧内)を起用し、「ファミリー・マン」、「シャドウ・オン・ザ・ウォール」(ロジャー・チャップマン)、「アイランズ」(ボニー・タイラー)、「イノセント」、「キリング・フィールドのテーマ(エチュード)」、「ヘヴンズ・オープン」(オールドフィールド自身)などのヒット曲を生み出す。

1992年にワーナーに移籍し、代表作『チューブラー・ベルズ』の続編『チューブラー・ベルズII』を発表。同作は全英1位を記録した。1998年にはさらなる続編『チューブラー・ベルズIII』を発表。同作のワールドプレミアム公演には、かつてレーベル移籍問題で確執が取りざたされたリチャード・ブランソンが観客として訪れた。

2004年、マーキュリーに移籍。

2007年、自伝を出版。

2012年、ロンドンオリンピックの開会式で演奏した。

引用元:マイク・オールドフィールド - Wikipedia



















人気の投稿(過去7日間)