2026年5月22日金曜日

大竹まこと



5月22日は、お笑いタレント・俳優・ラジオパーソナリティである、大竹まこと(おおたけ まこと)の誕生日です。斉木しげる、きたろうの3人で構成する「シティボーイズ」の一員でもある。眼鏡とヒゲが特徴的。

大竹 まこと(おおたけ まこと、1949年〈昭和24年〉5月22日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、ラジオ パーソナリティ。斉木しげる、きたろうの3人で構成するシティボーイズの一員。本名は大竹 真(読み同じ)。1980年代半ば頃の一時期はソロ活動のみ「常滑川まこと」名義を使用していた。ASH&Dコーポレーション所属。

東京都目黒区出身。東京大学教育学部附属中学校・高等学校卒業。大竹オサムは双子の弟。

眼鏡とヒゲが特徴的。2000年以降はヒゲと髪の毛どちらも白髪染めを一部やめ、黒髪白髪短髪を貫いている。

趣味は料理とゴルフ。

若手お笑い芸人について理解が深く、朝日放送『M-1グランプリ』『ABCお笑い新人グランプリ』、関西テレビ『R-1ぐらんぷり』などの賞レースで審査員を務めていた。弟子に漫談家のユリオカ超特Qがいる。

『仮面ライダー』の着ぐるみにも詳しい。

1985年4月より放送開始したバラエティ番組『夕やけニャンニャン』にレギュラー起用され、“常滑川まこと”名義で出演していた。シティボーイズでは本名をアレンジした芸名「大竹まこと」を用いていたが、これはソロ活動と分ける意図で使用された。現在とは異なり、“常滑川まこと”では、かなりの暴走キャラクターを芸風としていた。

俳優としての大竹について、映画『ゴジラvsモスラ』の監督を務めた大河原孝夫は「シリアスにもコミカルにも、やろうと思えば出来る引き出しの多いタイプであった」と評している。

1988年頃から、メジャーデビュー前のX JAPAN(当時のバンド名は「X(エックス)」)のYOSHIKIらと交流を持ち、1991年と1992年に日本武道館で行われた、YOSHIKI主宰のインディーズレーベル「エクスタシーレコード」のイベント「EXTASY SUMMIT」に司会者として参加したことがある。

家族構成は妻と1男1女。長男の大竹涼太はASH&Dコーポレーションでマネージャーを務めており、テレビ東京『ゴッドタン』で人力舎在籍時に担当していた角田晃広(東京03)と共にバンド出演(角田バンド→大竹バンドwith角田)している。また、近年のシティボーイズのライブやASH&Dライブの音楽も担当しているが、父であるまことは音痴。

引用元:大竹まこと - Wikipedia























2026年5月21日木曜日

ニック・メンザ (元 メガデス)



5月21日は、アメリカ合衆国のドラマーで、1989年から1999年までスラッシュメタルバンド「メガデス」にドラマーとして加入していたのが最も有名な、ニック・メンザ(Nick Menza)の命日です。2016年5月21日にライブ中に心臓発作で倒れ、死去してしまう。51歳没。

ニック・メンザ(Nick Menza, 1964年7月23日 - 2016年5月21日)は、アメリカ合衆国のドラマー。1989年から1999年までメガデスに所属していた。

ジャズ・サックス奏者、ドン・メンザの息子として生まれ、2歳の頃よりドラムの演奏を始める。なお、当時父親が軍隊に所属していた都合で、出生地はミュンヘンである。18歳になってから音楽活動を本格的に始め、ランディ・ローズの実弟のバンドやジョン・フォガティなど、ジャズやR&B、ファンクなど様々ジャンルでの活動を経て、やがて、オーディションの結果、解雇されたチャック・ビーラーの後任としてメガデスに加入し、彼らの黄金時代を支えた。

しかし、1998年に重度の膝の故障によりリハビリ生活を送ることになり、音楽活動の休止を強いられる。これに伴い、メガデスのライブツアーの出演は一切キャンセルとなり、代役として元Y&Tのジミー・デグラッソが迎えられる。ところが、ニックの復帰が待たれることなくそのままジミーが正式なメンバーに昇格したため、バンドを解雇された。

2004年にメガデスが再結成されるとライブツアーに参加したため、一時期彼の復帰が噂されたが、結果的に「準備不足」を理由に解雇され、バンドへの復帰はかなわなかった。

その後は、ソロ活動と並行しながら、Orphaned to Hatredという地元・ロサンゼルスで活動するバンドに参加したが、このバンドからも2010年をもって離脱した。その後、DeltanautとMenzaという2つのソロバンドで活動した。

2016年5月21日、ロサンゼルスのジャズクラブで、自身の所属するインストゥルメンタル・バンド「OHM」のライブ中に心臓発作で倒れ、死去。51歳没。

引用元:ニック・メンザ - Wikipedia

















2026年5月20日水曜日

増山江威子



5月20日は、女優・声優である、増山江威子(ますやま えいこ)の命日です。1960年代から青二プロダクションに所属し声優としての活動が始まる。1973年放送の「キューティーハニー」で初代ハニーの声を担当し、「天才バカボン」ではバカボンのママの声を担当、1977年の「ルパン三世 (TV第2シリーズ)」より峰不二子役を沢城みゆきに交代する2011年まで演じた。2024年5月20日、肺炎のため死去。88歳没。

増山 江威子(ますやま えいこ、1936年〈昭和11年〉4月22日 - 2024年〈令和6年〉5月20日)は、日本の女優、声優、ナレーター。東京府東京市(現在の東京都)品川区荏原出身。青二プロダクション最終所属。

4人姉妹の末っ子として生まれる。小さい頃はゆっくりした話し方で、教師に「あなた、ちゃんとお話しできないの?」と言われショックを受けるなど、次第にその話し方に劣等感を持つようになる。

幼少期はバレリーナを目指しレッスンも行っていたが、肺病のため12歳の時に断念した。「何か夢を持ちたい」と思っていたころに、義理の兄の紹介もあり、ゆっくりした話し方を克服しようと新児童劇団(現在の劇団新児童)に所属し、指導担当だった麻生美代子に師事する。そこで話し方の劣等感を克服し、自然と演技に興味を持つようになる。

立正学園高等学校出身。

15歳の頃、児童劇団に所属する年齢でもなくなったため、近い世代の毒蝮三太夫・稲吉靖司・影万里江・北浜晴子・豊原ミツ子らと「劇団山王」を立ち上げる。数年後、浅利慶太に「女優が少ないから」と頼まれ、影万里江とともに劇団四季に移籍した。テレビ出演、海外ドラマの吹き替えの仕事もするようになったという。四季にラジオドラマやアテレコの仕事が入って来るうちに声の仕事に興味を持ち始める。プライベートで時間の制約ができてしまい、時間が不規則なテレビ、稽古が必要な舞台の仕事が難しくなっていったという。

その後、「声の仕事だけに集中しよう」と決意し、家庭や子育てを仕事と両立させるため、舞台などよりは比較的短時間でできる声優業に専念するようになり、高松里友子事務所を経て、1960年代から青二プロダクションに所属した。

2017年、『東京アニメアワード2017』において「アニメ功労部門」を受賞した。

2021年、第15回声優アワードで「功労賞」を受賞した。

2024年5月20日、肺炎のため死去。かねてから病気療養中だったという。88歳没。葬儀は本人の意向により家族葬として行い、訃報は、6月3日に青二プロダクションより発表された。最後の出演は、2023年10月23日に放送された『それいけ!アンパンマン』のあきかぜさん役と報道されたが、翌2024年2月2日放送分にやみの女王役で出演しており、こちらが生前最後の出演となった。

引用元:増山江威子 - Wikipedia

















2026年5月19日火曜日

藤山ジュンコ



5月19日は、歌手の藤山ジュンコ(ふじやま ジュンコ)の誕生日です。いずみたくの弟子としてレッスンを受け、1971年に放送されたアニメ「さすらいの太陽」とのタイアップという形で主役である峰のぞみ役とエンディング・テーマ「心のうた」で歌手としてプロデビューを果たす。1971年6月5日、デビューシングル「鎖」で待望のレコードデビューを果たすが、ほどなくして芸能界を引退してしまう(1979年2月に「藤山順子」名義でシングルレコードは出している。)。芸能界から去って30年以上経った2008年、実兄の藤山顕一郎が監督を務めたドキュメンタリー映画「We 命尽きるまで」の挿入歌「WE SHALL OVER COME」で久々に歌手として復活を果たした。2024年12月21日死去。

藤山ジュンコ(ふじやま ジュンコ、本名:藤山順子(読み同じ)、1950年5月19日 - 2024年12月21日)は1970年代に活躍した歌手。大阪府出身。

兄は映画監督の藤山顕一郎。

いずみたくの弟子としてレッスンを受け、1971年に放送された『さすらいの太陽』とのタイアップという形で主役である峰のぞみ役とエンディング・テーマ「心のうた」で歌手としてプロデビューを果たす。この曲はソノシートで発売(後にエンディング・テーマ「心のうた」は堀江美都子が担当)。

抜群の歌唱力とパンチの効いたハスキーボイスの持ち主で、師匠のいずみたくからは高い評価を得ていた。

デビュー作となったアニメ『さすらいの太陽』はいずみたくが音楽作曲を担当しており、いずみたくは藤山を売り込むために様々な挿入歌を作詞、作曲して藤山自身に歌わせた。

「さすらいの太陽」が放映されてしばらく経った1971年6月5日、デビューシングル「鎖」で待望のレコードデビューを果たす。この歌は『さすらいの太陽』でも挿入歌として歌われている。

藤山は『さすらいの太陽』の放送終了後、ほどなくして芸能界を引退してしまう。

彼女が芸能界から去って30年以上経った2008年、実兄の藤山顕一郎が監督を務めたドキュメンタリー映画『We 命尽きるまで』の挿入歌「WE SHALL OVER COME」で久々に歌手として復活を果たした。映画公開初日の舞台挨拶では藤山自身がこの挿入歌をステージで歌っている。

引用元:藤山ジュンコとは - わかりやすく解説 Weblio辞書













2026年5月18日月曜日

エリザベス・モンゴメリー



5月18日は、アメリカの映画・テレビ番組で活躍した女優である、エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery)の命日です。1964年から1972年にわたって放映された「奥さまは魔女」でサマンサ役を演じ世界中で広く知られる作品となった。1995年5月18日、大腸癌により62歳で死去。

エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery, 1933年4月15日 - 1995年5月18日)は、アメリカの映画・テレビ番組で活躍した女優。アメリカ三大テレビネットワークの一つであるABCで放映された『奥さまは魔女 Bewitched』の主役の魔女サマンサを演じたことで広く知られる。

1955年に父の出演するテレビ番組『ロバート・モンゴメリー・プリゼンツ Robert Montgomery Presents』と、映画『軍法会議』でデビューを果たす。 1964年から1972年にわたって放映された出世作で、唯一のテレビシリーズとなった『奥さまは魔女』は大成功を収めた。シーズン8まで続いたこの作品は数々の再放送・配信がなされ現在でも世界中で広く知られる作品となっており、また後にニコール・キッドマンがサマンサ役を演じて『奥さまは魔女』として映画リメークされている。エリザベスはサマンサ役で5度エミー賞を受賞、ゴールデングローブ賞にも4度ノミネートされた。

人気番組となった一方でエリザベス自身「シーズン4を終えたあたりでサマンサ役に飽きていた」と告白している。番組が終了した後はサマンサの有名な鼻を動かす仕草は、頼まれてもやりたがらなかったという。

その後はイメージを払拭させるような役柄に積極的に取り組み、『私は犯された/エレイン夫人の裁判』中の犠牲者役でエミー賞にノミネートされ、『女死刑囚の秘密』では実在の殺人者(冤罪者)であるリジー・ボーデンを演じ、ミニシリーズ『開拓者たち』では困難に直面した1820年代オハイオの強い女性の役割を選ぶなど、エリザベスの俳優としての後半生は、女優としてのキャリアを積む役を演じている。

1985年の映画『エイモス』の看護婦役として、残忍な悪役も演じている。

1995年9月12日放映のアニメーション版『バットマン』の一エピソード「Showdown」で、特別ゲストとしてバーの女給役を演じたのが最後の仕事であった。その他にいくつかのナレーターをこなしている。

1979年と1982年に、日本のロッテCMにサマンサ役で出演、1982年の同CMでは和服姿で出演している。

1995年5月18日、大腸癌により62歳で死去。

引用元:エリザベス・モンゴメリー - Wikipedia

























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