2026年1月15日木曜日

マジカル・パワー・マコ



1月15日は、日本の音楽家である、マジカル・パワー・マコ(magical power mako 本名:栗田 誠)の誕生日です。1972年頃より16歳の若さでNHKのドキュメンタリーなどの音楽を担当し、天才音楽少年として脚光を浴びる。1974年、ポリドールよりデビューアルバム「マジカル・パワー」を発売。奇想天外で実験的な音楽性が一部で絶賛される。80年代初期にはアンビエント・テクノ、ハウステクノの基盤を制作していた。2025年2月7日に死去。69歳没。

マジカル・パワー・マコ(本名:栗田 誠、1956年1月15日 - 2025年2月7日)は、日本の音楽家。通称、マコ。

静岡県田方郡修善寺町(現伊豆市)生まれ。中学生時代から曲を作り始め、14歳ですでにオープンリール・テープレコーダーを使って自作曲の録音を始める。1971年、中学卒業とともに上京。鉄工所等でアルバイトをしながら、実兄と紫雲英(げんげ)というバンドを組み、渋谷ジァン・ジァンを中心に音楽活動を始める。

1972年頃より注目を浴び始める。同年5月には16歳の若さでNHKのドキュメンタリーなどの音楽を担当し、天才音楽少年として脚光を浴びる。また、この頃灰野敬二と出会い、親交を深める。

1973年渋谷ジァン・ジァンのパフォーマンスを見た、作曲家広瀬量平に認められNHKに出演する。『ひるのプレゼント』に灰野敬二とともに出演するも、その演奏に視聴者から苦情が殺到した。同年、武満徹と知り合い、武満が音楽を担当した映画『化石の森』の録音に参加。さらには映画『卑弥呼』、『未来への遺産』の音楽を担当。このころより、自宅でテープコラージュなどの手法を使って録音を重ね、粗いながらきわめて実験的な、膨大な量の作品を作る。当時、自宅には300種にもおよぶ楽器があったという。

1974年、ポリドールより、デビューアルバム『マジカル・パワー』を発売。奇想天外で実験的な音楽性が一部で絶賛される。

1975年、アルバム『スーパーレコード』発売。以後、中原挌(ギター)、仁科啓一(ベース)、渡辺昭司(ドラムス)と組み、バンドという形態での活動にも力を入れる。

1976年、NHKドラマ『タウン』出演。第16回日本テレフィルム技術賞受賞(録音)作品。

1977年、このバンド編成でアルバム『JUMP』を発売。

1980年頃には修善寺に戻る。その後、マコを訪ねて吉田和正が修善寺に移り住み、共に新しい音楽活動を開始する。主に、アナログシンセサイザーとパーカッションを駆使した音を創り続けたが、この頃の音は一部CDで聞くことが出来る。既に二人でアンビエント・テクノ、ハウステクノの基盤を制作していた。また、マコと吉田は伊豆を中心にライブハウスのプロデュースも行っている。

1981年、『Welcome To The Earth』を発売。

1982年、『Music from heaven』をレーベル「Marquee」より発売。新宿ロフトにてライブ(ゲスト:Katra Turana)。

1983年、「コンピュータグラフィックス&ミュージックライブショー」を企画。演奏とオペレーションを担当。

1985年、CBS・ソニーより『mAgicAl compUteR MusiC』を発売。楽曲作成に、MSXパソコンを使用。

1986年、NHK局長賞受賞。NHK-FMのラジオドラマ『アディオスケンタウルス』(斉藤由貴主演)を企画し、作曲をする。

1990年代に入ると、「宇宙人との交信のための音楽」を作り始める。

1997年、『No government after Revolution』を「Marquee」より発売。愛知の幻庵にてオマルズとライブ。

2001年10月7日、渋谷CLUB QUATTROにて「ウダガワロック」と冠されたインディーズバンド集結のフェスティバルに大トリで出演した。

2012年以降、東日本大震災を契機に関西に移住。新たなホームレコーディングによる音楽制作、ライブ活動に入る。

2025年2月7日に死去。69歳没。

引用元:マジカル・パワー・マコ - Wikipedia

















2026年1月14日水曜日

松居直美 (タレント)



1月14日は、タレント・歌手・女優・ものまねタレントの松居直美(まつい なおみ)の誕生日です。アイドル演歌歌手としてデビューしたが、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」に出演したことでバラドルとしての人気も得る。「ものまね王座決定戦」では得意のモノマネを生かし所謂「ものまね女四天王」と呼ばれた。「はやく起きた朝は…」での泣きのトークも絶妙である。

松居 直美(まつい なおみ、1968年1月14日 - )は、日本のタレント、歌手、女優、ものまねタレント。ゴールデンミュージックプロモーション所属。

中学2年生で『歌まね振りまねスターに挑戦!!』(日本テレビ)に出演。そのまま芸能界にスカウトされ、谷田部町立高山中学校(現:つくば市立高山中学校)在学中の1982年に『電話のむこうに故郷が』で歌手デビューする。

もともとアイドル演歌歌手だったが、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ)のコーナー「良いOL・悪いOL・普通のOL 」で「普通のOL」役に起用され、素人っぽさの残る動きや茨城訛り、アドリブのやり取りなどがお茶の間に浸透する。コーナーも出演者も瞬く間に人気となり、OL役3人で「よせなべトリオ」を結成してレコードデビューまで至る。

「よせなべトリオ」のデビュー曲『大きな恋の物語』はオリコンで最高位8位・16万枚を越すヒットを記録。

『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)では得意のモノマネを生かし、松本明子・篠塚満由美、他一名とともに「ものまね女四天王」と呼ばれた(定番は坂本冬美や石川さゆり、都はるみなど)。

1994年6月、声帯ポリープ摘出手術のため入院する。当時レギュラー司会を務めていた『おそく起きた朝は…』(フジテレビ)は収録日の都合から休まず出演できた。

『はやく起きた朝は…』(フジテレビ)で長年共演している磯野貴理子、森尾由美とプライベートでも親交があり、森の磯松というユニットも組んでいる。

引用元:松居直美 (タレント) - Wikipedia

























2026年1月13日火曜日

田の中勇



1月13日は、声優の田の中勇(たのなか いさむ)の命日です。主に声優として活動し、代表作として「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉おやじ役として一般にお馴染みである。2010年1月13日、心筋梗塞のため亡くなる。77歳没。

田の中 勇(たのなか いさむ、1932年7月19日 - 2010年1月13日)は、日本の男性声優。東京都台東区出身。青二プロダクションに所属していた。

劇団こだま座、劇団化粧座、劇団東芸、テアトル・エコー、土の会、東京アクターズプロを経て、青二プロダクションに所属していた。

青二プロダクションの創立メンバーのひとり。

声種は「軽妙でコミカルなテノール」。極端に高い声を使用することが多いが、地声は比較的低いほうで、『ゲゲゲの鬼太郎のオールナイトニッポン』[信頼性要検証]では、有名な高い声と比較すると自身の地声が低いというギャップを、多少自嘲しながら紹介していた。高校時代でもテノール、ボーイソプラノとも言えるほどの高い声だった。舞台ではシスターボーイ役を演じていたことがある。

役柄としては少し癖はあったが、気のいい小心者といった感じの父親役が多かった。

『ゲゲゲの鬼太郎』では1968年の第1期シリーズから第5期シリーズまで、一貫して目玉おやじの声を担当していた。これらは数度行われた実写化においても同様であった。

1985年の第3期シリーズでは鬼太郎役が野沢雅子から戸田恵子に変更され、第1・2期シリーズとは声優の一新が図られ、目玉おやじも新キャストのオーディションが行われていたが結局ふさわしい後任が見つからず、田の中が続投になった。これがきっかけとなり、1996年の第4期シリーズ、2007年の第5期シリーズでも田の中が担当した。

2010年1月13日、心筋梗塞のため東京都世田谷区の自宅で亡くなっているのを家族によって発見された。満77歳没(享年79)。生涯独身だった。特に体調が優れないということはなく、心臓の病気もなかったという。『マリー&ガリー』第32話『ピザなのにパイ』の出演が最後の仕事となった。

引用元:田の中勇 - Wikipedia













2026年1月12日月曜日

ランディ・ヴァンウォーマー



1月12日は、アメリカ出身のシンガーソングライター・アーティストのランディ・ヴァンウォーマー(Randy VanWarmer)の命日です。AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のアーティストとして1979年にアルバム「Warmer」でデビュー、「Just When I Needed You Most(邦題:アメリカン・モーニング)」が英米や日本でも大ヒットしその名前を轟かせた。その後も数年に一度のペースで着実にアルバムをリリースしたが、2003年に白血病と診断され、2004年1月12日に48歳で死去。

ランディ・ヴァンウォーマー(Randy VanWarmer、本名:Randall Van Warmer、1955年3月30日 - 2004年1月12日) は、AOR、カントリーのアーティスト、シンガーソングライター。“繊細な”“無垢な”等の形容詞で評されることの多い声の持ち主である。

アメリカ合衆国コロラド州のインディアン・ヒルズに生まれる。住民の大半がキリスト教徒という環境下、幼少期はゴスペルに親しんでいた。12歳の時に交通事故で父親を亡くし、その3年後、イギリスのコーンウォール郊外へ家族とともに移り住む。当初は演劇を志すが、挫折。この頃から曲を書き始め、コーンウォールのライブハウスで活躍した。その後、ロンドンのレコード会社を回る生活が続き、20歳の時ベアズビル・レコードと契約する。

しかし、なかなかレコーディングに取りかかれないまま1978年にニューヨークへ移住。翌1979年、アルバム『Warmer』でようやくデビューにこぎつけた。この中に収録されている彼が18歳の時に書いた曲、『Just When I Needed You Most』 (邦題:アメリカン・モーニング)が英米で大ヒットし、彼の代表曲となる(後に日本でもヒット)。

1982年にはLAに、1985年にはテネシー州のナッシュビルに移る。ここで地元のレコード会社と契約し、2枚のアルバムをリリースした。また、ソングライターとして楽曲提供を開始し、いくつかのヒット曲を生み出している。その後も、イギリス、アイルランド、日本のレコード会社と契約し、1990年代後半に至るまで数年に一度のペースで着実にアルバムをリリースした。

2003年に白血病と診断され、シアトルの病院で骨髄移植をしたが、2004年1月12日に48歳の若さで死去した。

2012年5月22日に、遺灰がスペースX社製の「ファルコン9」ロケットで宇宙船「ドラゴン」と共に打ち上げらた。

彼の死後も、遺作とされているスティーブン・フォスターの楽曲をカバーしたアルバムや、生前レコーディングされていた未発表の楽曲で構成されたアルバムが発売されている。

引用元:ランディ・ヴァンウォーマー - Wikipedia





















2026年1月11日日曜日

江利チエミ



1月11日は、歌手・女優・タレントの江利チエミ(えり ちえみ)の誕生日です。昭和期に活躍した歌手・女優で主に「テネシーワルツ」「ツゥー・ヤング」などのヒットシングルを持ち、美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ一世を風靡した。映画の「サザエさん」シリーズもヒットした。クイズ番組でも「連想ゲーム」の紅組2代目キャプテンや「象印クイズヒントでピント」の女性軍初代キャプテンなど務めた。1982年2月13日に急逝してしまう。45歳没。

江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。

メジャーデビューシングルの「テネシーワルツ」は23万枚、続く「ツゥー・ヤング」(トゥー・ヤング)も15万枚の大ヒットとなった。クラシック音楽以外の全ての海外製ポピュラー音楽を総称して「ジャズ」と呼んだ当時、この大ヒットが、大規模の劇場や公会堂を使ったジャズ・コンサート(ジャズ・コン)ブームや、ジャズを放送で取り上げる民間放送の開局ラッシュと重なり、ジャズが全国へ広がるうえでの牽引役となる。

美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」と呼ばれ、一世を風靡、『ジャンケン娘』(1955年)などの一連の映画で共演した。

映画の『サザエさん』シリーズ(1956年から全10作が作られた)もヒット。後にテレビドラマ(1965年 - 1967年)、舞台化もされ生涯の当たり役となる。東映作品『ちいさこべ』では京都市民映画祭で優秀助演女優賞を獲得、『ふんどし医者』など、自身主演の音楽娯楽映画(『唄祭りロマンス道中』(渥美清・共演)、『ジャズ娘誕生』(石原裕次郎・共演)、『チエミの婦人靴』など)以外にも数多く助演した。

歌手・女優に留まらず、TBS『みんなで歌おう73 - 75』のメインパーソナリティなど司会業でも活躍。ほかクイズ番組では、NHK『連想ゲーム』の紅組2代目キャプテン、テレビ朝日『象印クイズヒントでピント』の女性軍初代キャプテンなど務めていた。

1982年(昭和57年)2月13日午後、チエミが港区高輪の自宅マンションの高輪ヒルズの寝室で、上半身がベッドからはみ出た状態で吐いて倒れているのをマネージャーに発見され、既に呼吸・心音とも反応がなく死亡が確認された。45歳没。死因は、脳卒中と吐物が気管に詰まっての窒息(誤嚥)によるものだった。チエミの死は、数日前から風邪を引き体調が悪かったところにウイスキーの牛乳割りを呷り、加えて暖房をつけたまま風邪薬を飲んで寝入ったことが一因とも言われている。

引用元:江利チエミ - Wikipedia























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