2026年4月15日水曜日

酒井和歌子



4月15日は、女優の酒井和歌子(さかい わかこ)の誕生日です。昭和を代表する青春スターのひとりで、1961年より主に映画やテレビドラマなどで活動する。愛称は「ワコちゃん」。

酒井 和歌子(さかい わかこ、1949年〈昭和24年〉4月15日 - )は、日本の女優。血液型はB型。兄1人。 スタッフ・アップ プロモーション所属。愛称は「ワコちゃん」。

東京都出身(栃木県生まれ)。目白学園高等学校卒業、目白学園女子短大国文学科中退。

栃木県で生まれ、生後間もなく東京都板橋区に移り住む。小学校に入学して劇団若草へ入団する。

1961年の『あいつと私』やテレビドラマに出演する傍ら、『女学生の友』などの少女雑誌のモデルとして活躍した。

1964年、『今日もわれ大空にあり』のオーディションに合格し、東宝に入社した。内藤洋子と共に「青春スター」と呼ばれた。また、吉永小百合や栗原小巻らとともに、酒井和歌子の名前があがることも多かった。夏木陽介主演の『これが青春だ!』『でっかい太陽』での清純な女子高生役が爽やかな印象を残して注目を得ることに成功。

1968年には、『めぐりあい』で初主演。同作品の成功で看板女優として認められ、「ワコちゃん」と呼ばれた。続いて『若大将シリーズ』でのヒロイン・節子役や『日本の青春』などの話題作でも顔が知られるようになった。

1974年にはドラマ『ちょっとしあわせ』で郷ひろみ、高沢順子らと共演した。表裏のないテレビ画面の通りの人柄の良さで知られ、共演した芹明香は、酒井和歌子の人柄について「本当に善い人。すごく好きだった」と証言している。 長らく清純派女優のイメージを引き継いだ役柄が多かったが、1973年(完成は1972年)の『グアム珍道中』で、主人公を翻弄する辣腕のビジネスウーマンを演じて転機を示し、1976年の『妻と女の間』では、一時の愛に溺れる平凡な人妻役をこなした。同年、東宝を退職し、フリーとなり、活動の場をテレビドラマに移した。

1970年代以降は『火曜サスペンス劇場』や『土曜ワイド劇場』、『東芝日曜劇場』といったテレビドラマの常連として活躍し、良妻賢母から愛欲に溺れる悪女、主人公の母、姑まで多岐にわたる「女の人生」を演じ切った。

引用元:酒井和歌子 - Wikipedia





























2026年4月14日火曜日

荒木しげる (荒木茂・荒木生徳)



4月14日は、俳優・ドラマーの荒木しげる(あらき しげる)の命日です。1968年にカレッジフォークグループ「フォー・セインツ」のドラムスとしてデビュー。1975年「仮面ライダーストロンガー」に城茂/仮面ライダーストロンガー役で主演した事で有名になる。1976年の「超神ビビューン」でふたたびヒーロー役(月村圭/超神ビビューン)を演じ、「特捜最前線」「暴れん坊将軍」では長期にわたってレギュラーで活躍した。2012年4月14日、アスペルギルス症併発の肺炎のため死去。63歳没。

荒木 しげる(あらき しげる、1949年〈昭和24年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉4月14日)は、日本の俳優、ドラマー。フォークグループ「フォー・セインツ」のメンバー。旧芸名、荒木 茂(読み同じ)。本名、荒木 生徳(あらき いくのり)。

鹿児島県出水市出身。日本学園高等学校、玉川大学卒業。妻は元女優の樋口のり子。前妻との間の娘は女優の三枝りな。

高校時代に渋谷でスカウトされ、男性ファッション誌などでモデルを務める。玉川大学在学中の1968年にカレッジフォークグループフォー・セインツのドラムスとしてデビュー。「小さな日記」「希望」「冬物語」などのヒット曲を生み出す。

1973年の解散後は、CMモデルを経て俳優に転向。当初は本名で活動していたが、1975年、『仮面ライダーストロンガー』に「城茂」役で主演したことから荒木 茂に改名した。のちに荒木しげるに改名(1983年 - 1988年までは、再度「茂」を名乗る)。また、ごく一時期だが新木しげる名義だったことがある。

その後、1976年の『超神ビビューン』でふたたびヒーロー役を演じ、『特捜最前線』『暴れん坊将軍』では長期にわたってレギュラーで活躍した。

2007年4月の統一地方選挙で東京都目黒区議会議員選に立候補するが、48人中45位で落選。2011年4月の統一地方選挙で東京都目黒区議会議員選にもう1度立候補するが、再び55人中51位で落選している。

2012年4月2日、娘の大学の入学式当日に東京都内の病院に入院する。その12日後の2012年4月14日午後5時2分、アスペルギルス症併発の肺炎のため、東京都内の病院で死去。63歳没。同17、18日に目黒区内にて葬儀が行われた。

引用元:荒木しげる - Wikipedia

























2026年4月13日月曜日

ポール・レイモンド (ミュージシャン、UFO、マイケル・シェンカー・グループ)



4月13日は、イングランドのミュージシャンでキーボーディスト・ギタリストのポール・レイモンド(Paul Raymond)の命日です。1976年にマイケル・シェンカーが在籍するUFOに加入、1980年にシェンカーがUFOを脱退して1979年に結成したマイケル・シェンカー・グループに加入したのが最も有名。後年にはポール・レイモンド・プロジェクトなるソロプロジェクトで活動していた。左利きで、右利き用に弦を張ったギターを逆にして弾いていた。2019年4月13日、心臓発作で死去。73歳没。

ポール・レイモンド (Paul Raymond、1945年11月16日-2019年4月13日)は、イングランドのミュージシャン、キーボーディスト。

UFO、マイケル・シェンカー・グループなどで活動した。

1964年、サーチャーズのトニー・ジャクソンが結成したトニー・ジャクソン&ザ・ヴァイブレーションズに加入し、ミュージシャンとしてのキャリアを歩み始める。

その後、1967年にプラスチック・ペニーに加入。1969年、クリスティン・マクヴィーの後任としてチキン・シャックに加入し、『100 Ton Chicken』『Accept』のレコーディングに参加。翌年、サヴォイ・ブラウンに加入し、1976年まで在籍する。

1976年、ダニー・ペイロネルの後任としてマイケル・シェンカーが在籍するUFOに加入。ポールはこの後、脱退と加入を繰り返している。ポールはバンドのために曲を書いたが、契約の都合上、近年までこれらの曲でクレジットされることはなかった。

1980年、シェンカーがUFOを脱退して1979年に結成したマイケル・シェンカー・グループに加入し、『神話』のレコーディングに参加。

1983年にUFOのベーシスト、ピート・ウェイが結成したウェイステッドに加入。

2019年4月13日、心臓発作で死去(享年73)。

引用元:ポール・レイモンド (ミュージシャン) - Wikipedia
















UFOのギタリスト/キーボード奏者ポール・レイモンドが死去 - amass



2026年4月12日日曜日

近藤頌利



4月12日は、俳優の近藤頌利(こんどう しょうり)の誕生日です。2014年から主に舞台で活動。2023年ごろからテレビドラマに進出、2025年7月から「ウルトラマンオメガ」にて主役・オオキダソラト/謎の男/オメガ役で出演し話題となる。

近藤 頌利(こんどう しょうり、1994年4月12日 - )は、日本の俳優。大阪府出身。ワタナベエンターテインメント所属、劇団Patchのメンバー(3期生・2014年9月15日加入)。

2014年に劇団Patchに加入し、舞台を中心に活動開始する。

まだ仕事がほとんど無かったころ、事務所で雑用などを続けていたことを見ていてくれた事務所スタッフの薦めで、特技を生かした仕事をと『ハイパープロジェクション演劇ハイキュー!!』のオーディションを受けることになる。そして黒尾鉄朗役に合格。そこから、一気に俳優の道が開け始めることとなった。

2025年に『ウルトラマンオメガ』主演・オオキダソラト役に抜擢。オーディションを経ての起用だが、「この年齢でヒーローをやらせていただけるとは思ってもいませんでした」(マスコミ発表時31歳)と述懐している。

一人っ子。0歳から母子家庭で育つ。幼少時から目立つことが好きだった。

足のサイズ29センチメートル。特技はバレーボール、野球、水泳・跳躍、逆リップロール。趣味はスキューバダイビング、三線、筋トレ、キックボクシング。常翔学園高等学校出身。

子ども時代は、テニスや水泳、バレーボールや野球などを多く経験したスポーツ少年であったという。バレーボール経験から前述の舞台『ハイキュー!!』起用が決まり、オメガ起用もアクション面が評価されたものだったという。

ウルトラシリーズは『ウルトラマンティガ』や『ウルトラマンダイナ』を観ていたという。

引用元:近藤頌利 - Wikipedia

























2026年4月11日土曜日

紀比呂子



4月11日は、元女優の紀比呂子(きの ひろこ)の誕生日です。主に70年代初頭に活躍した青春スターの一人である。ドラマ「アテンションプリーズ」の美咲洋子役での主演や「時間ですよ」のとみ子役、「コートにかける青春」「マドモアゼル通り」「青春をつっ走れ」などに出演した。現在女優としては引退している。

紀 比呂子(きの ひろこ、1950年〈昭和25年〉4月11日 - )は、日本の元女優、実業家である。本名は、福田博子。旧姓は、佐藤。身長158cm(1972年3月)。

高等学校在学中の1966年、母親の縁で日本テレビにスカウトされ、1969年のテレビドラマ『風の中を行く』に新任教師役の吉永小百合の教え子役で初出演。同年に高校を卒業し、熊井啓監督に抜擢され『地の群れ』(1970年公開)に準主役として出演、瑞々しい演技で注目を浴びた。

『時間ですよ』(TBS)の第1シリーズ15回から出演、16回から降板した川口晶に代わり堺正章、悠木千帆(後の樹木希林)とともにトリオ・ザ・銭湯の一員としてレギュラーとなる。第2シリーズでは、堺正章に片思いするラーメン店の出前持ちを演じ好評を得る。1970年、田舎で卓球に夢中だった少女が国際線の客室乗務員になるまでを描いた人気ドラマ『アテンションプリーズ』に主演し、平均視聴率30%を獲得、一躍お茶の間の人気者となり、三条美紀は、送り出す時や深夜ひとりで帰りを待つときは「女優にするんじゃなかった」と思ったという。その後も『コートにかける青春』、『マドモアゼル通り』『青春をつっ走れ』などの複数の青春ドラマに主演して人気を博し、テレビ・舞台を中心に多くの作品に出演した。『コートにかける青春』では母・三条美紀と共演。それまでは紀の方が照れくさいと断っていたものを、スタッフのたっての願いで実現。『青春をつっ走れ』の際の劇中のアダ名はアンパン。台本ではクリーム・パンとなっていたが森田健作が発案し、郷ひろみらがそれを後押ししたためアンパンに決定。本人にとっては不本意なアダ名だった。

1982年、中学の先輩で富山県富山市で商社、テレビ局、観光業、建設業等を営む企業グループの御曹司との結婚を期に芸能界から引退し、富山に移住して2年を過ごす。その後石川県金沢市に移り1女1男をもうけた。金沢在住当時は、町会の班長を務め、町会費を集めたり回覧板を回したりと地元に馴染んでいたが、義父が興した福田勘産業株式会社が1999年に経営破綻し、夫が経営していた同社の関連企業であるホリデイイン金沢、珠洲ビーチホテルも他社に売却することとなったため帰京。2002年に世田谷区砧に金沢家庭料理の小料理屋「はく」を開業し、女将となっていたが、2019年7月20日をもって閉店した。

引用元:紀比呂子 - Wikipedia





























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