2026年1月1日木曜日

高田渡



1月1日は、フォークシンガーの高田渡(たかだ わたる)の誕生日です。60年代後期からフォークシンガーで歌い、URCレコードから五つの赤い風船とのカップリングアルバムでレコードデビュー。LPは「汽車が田舎を通るそのとき」、シングルは「大・ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄」「転身」「自衛隊に入ろう」などをリリース。のちにベルウッド・レコードから「ファーストアルバム ごあいさつ」などをリリースした。1971年の第3回全日本フォークジャンボリーに「武蔵野タンポポ団」として出演した。息子の高田漣もミュージシャンとして活躍する。2005年4月3日、北海道白糠町でのライブ終了後に倒れ同月16日心不全により死去。56歳没。

高田 渡(たかだ わたる、1949年〈昭和24年〉1月1日 - 2005年〈平成17年〉4月16日)は、日本のフォークシンガー。

使用楽器はギター、マンドリン、オートハープ。1969年以降の関西フォークムーブメントの中心人物として活躍した。息子の高田漣もミュージシャンとして活躍する。

中卒であかつき印刷に就職、佐賀県鹿島市の親戚の家での生活、新宿での一人暮らし、東京都立市ヶ谷商業高等学校夜間部への通学などを経て、フォークシンガーとなる。

ごく初期の頃は詩作もしたが、次第に山之口貘、金子光晴、草野心平、石原吉郎らの現代詩をアメリカの曲にのせる手法を採るようになった。また、添田唖蝉坊や添田知道の明治演歌を自己流に作品化している。「大・ダイジェスト盤 三億円強奪事件の唄」や「自衛隊に入ろう」「東京フォークゲリラの諸君達を語る」「事だよ」など、時事の話題を辛辣に滑稽に取り上げ、皮肉たっぷりの作風は大いに客を惹きつけた。自衛隊は一時、「自衛隊に入ろう」を、本当に自衛隊への入隊を勧誘していると勘違いしていた。しかし時事的で直接的な表現による曲は次第に歌わなくなった。その後は「正面切って自分の主張をぶつけるよりも、自分の日常生活をそのまま歌うことが最高のプロテストソングではないか」と考えるようになり、「生活の柄」「夕暮れ」「仕事さがし」などの楽曲が生まれている。

吃音があり、幼少期は声が自然に出てこなかったが、歌うことにより克服した。また少年期からいくつかの持病があり、病院に通っていた。「人間は、なにかコンプレックスがあると、ほかの方法でそれを乗り越えようとする。その方法というのが僕にとっては歌だったのかもしれない」と著書で語っている。決して偉ぶらず、対等な関係を維持していた。ゆえに高田を師と慕う者は、同時に友人であるとも語る。

ギター演奏の名手であり、マンドリンやバンジョー、オートハープまで弾きこなすが、演奏する楽器の音は、あくまで歌の伴奏であるべきと考えていた。自らが決して恵まれない境遇から出発した人生であり、また覚悟を決めたアーティスト活動だったこともあり、岩井宏や早川義夫など、途中で音楽活動を引退しようとした仲間には、「いま辞めるのは卑怯だ」と喝破した。

加川良は「下宿屋」という曲で、高田の理念や信念を題材として採り上げている。遠藤賢司は自身のブログで、晩年の高田が酒を飲んでステージ上で寝てしまうエピソードを面白半分に採り上げられたことは残念であると綴っている。

2005年4月3日、北海道白糠町でのライブ終了後に倒れ、隣の釧路市内の病院に入院。同月16日午前1時22分、入院先の病院で心不全により死去した。56歳没。

引用元:高田渡 - Wikipedia

























2025年12月31日水曜日

アンディ・サマーズ (元 ポリス・ギタリスト)



12月31日は、イングランド出身のロックミュージシャン・ギタリスト・写真家のアンディ・サマーズ(Andy Summers、本名:Andrew James Somers)の誕生日です。一般に80年代に活躍したニューウェイヴロックバンド「ポリス」での活躍が最も有名。過去に「ソフト・マシーン」に勧誘され、その後「エリック・バードン・アンド・ジ・アニマルズ」に加入していた過去をもつ。1960年代から2020年代までの60年近くに及ぶ音楽活動である。「ポリス」解散後はロバート・フリップやジョン・エサリッジをはじめ様々なミュージシャンとのコラボレーション・アルバムを制作した。2003年3月にはスティング、コープランドと共に、久々にポリスとして活動した。写真家や文筆家としても活動してきた。

アンディ・サマーズ(Andy Summers、本名:Andrew James Somers、1942年12月31日 - )は、イングランドのロック・ミュージシャン、ギタリスト、作曲家、写真家。最も広く知られているのはポリスのギタリストという経歴であるが、1960年代から2020年代までの60年近くに及ぶ音楽活動は、ニューエイジ音楽やロックなどのジャンルに留まらず、ジャズやクラシック音楽、映画音楽などの分野においても著名である。

2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第85位。

ポリスでの彼の演奏は、それまでのロックのギター演奏で一般的だったパワー・コード(1度と5度音のみで構成される和音)やブルースのペンタトニック・スケールを用いるリフではなく、分散和音やディレイやコーラスなどのエフェクターを効果的に用いたもので、ポリスの楽曲の要の1つとなって大成功に貢献した。

引用元:アンディ・サマーズ - Wikipedia























2025年12月30日火曜日

ジェフ・リン (エレクトリック・ライト・オーケストラ、ジェフ・リンズELO)



12月30日は、イングランド出身のミュージシャン・シンガーソングライターで、ロックバンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)」のリーダーでお馴染みのジェフ・リン(Jeff Lynne)の誕生日です。マルチプレイヤーで、音楽プロデューサーとしても有名アーティストの作品プロデュースを手がけている。近年では2014年から「ジェフ・リンズELO」で活動をしている。

ジェフリー・リン(英: Jeffrey Lynne, OBE、1947年12月30日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。

同国のロックバンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)」のリーダー。50年以上のキャリアを誇るマルチプレイヤーで、音楽プロデューサーとしても有名アーティストの作品プロデュースを手がけている。

1960年代に活動したロックバンド、「アイドル・レース」「ザ・ムーヴ」を経て、1970年からエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)としての活動を開始した。

その後、ELOのリーダーとして、1970年代から1980年代にかけて「テレフォン・ライン」「シャイン・ラヴ」「ザナドゥ」などにより、ELOは、1972~86年の間はギネスブックに「最も多くの全米トップ40ヒットを飛ばしたグループ」として紹介されていた。ヴァージン・グループ初の映画 『エレクトリック・ドリーム』のサウンドトラックへ2曲参加している (映画の音楽担当はジョルジオ・モロダーだが、2曲はジェフ・リン自身のプロデュース)。

熱狂的なビートルズファンであり、「ジェフ・リンの自宅のレコード棚にはビートルズとバルトークのレコードしかない」と英国の音楽誌に書かれたことがある。

また、プロデューサーとして数多くのアーティストを手掛けており、1980年代後半以降、デイヴ・エドモンズ、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ポール・マッカートニー、トム・ペティ、ロイ・オービソン、デル・シャノンなどのプロデュースを手掛けている。1995年から1996年にかけてのビートルズ・アンソロジー・プロジェクトでは、ジョージの紹介で新曲のプロデュースを担当し、敬愛するビートルズとの「共演」を果たした。

1988年にジョージ・ハリスン、トム・ペティ、ボブ・ディラン、ロイ・オービソンとともに覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成した。ソロ名義のアルバム『アームチェア・シアター』も発売している。また、2001年発表ELOのアルバム『ズーム』は、リチャード・タンディなど一部オリジナル・メンバーの客演はあるものの、事実上、彼のソロ作品である。

その後も、プロデュース業を行いながら、自身のELO作品のリマスター、セルフカバー・アルバム、2012年にはソロ名義で、全曲カバー曲の『ロング・ウェイヴ』などを発表し、定期的に活動を行う。

引用元:ジェフ・リン - Wikipedia























2025年12月29日月曜日

岸本加世子



12月29日は、女優の岸本加世子(きしもと かよこ)の誕生日です。西城秀樹の大ファンであることは有名で、そのことが芸能界入りするきっかけとなった話は有名である。1977年にドラマ「ムー」でデビュー。久世光彦演出作品には欠かせない存在として向田邦子シリーズ「あ・うん」(1980年)などで頭角を現す。当初はアイドル女優としてテレビドラマや映画、歌手活動など幅広い分野で活動した。富士フイルムでの樹木希林との掛け合い漫才のコマーシャルに出演、樹木には公私ともに可愛がられた。

岸本 加世子(きしもと かよこ、1960年〈昭和35年〉12月29日 - )は、日本の女優。アン・ヌフ所属。

1977年にTBS系列で放送された連続テレビドラマ『ムー』でデビューし、久世光彦演出作品には欠かせない存在として向田邦子シリーズ『あ・うん』(1980年)などで頭角を現す。当初はアイドル女優としてテレビドラマや映画、歌手活動など幅広い分野で活動した。

1980年代以降、富士フイルムでの樹木希林との掛け合い漫才のコマーシャルに出演し、岸本が発した「それなりに写ります」は流行語になった。樹木には公私ともに可愛がられたという。このほかにもオリエントファイナンス(現:オリエントコーポレーション)、千葉真一と共演したトヨタ・カリーナ(3・4代目)などのコマーシャルでも人気を博した。

ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した北野武監督作品『HANA-BI』(1998年)に出演したことをきっかけに北野作品の常連となり、『菊次郎の夏』(1999年)では日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。また、小説・エッセイなどの執筆活動も展開したほか、「本音で話す女優」としてバラエティ番組への出演もこなす。

2017年1月、所属事務所をブリリアンスからアン・ヌフへ移籍した。

引用元:岸本加世子 - Wikipedia



























2025年12月28日日曜日

岸田森



12月28日は、俳優・声優の岸田森(きしだ しん)の命日です。劇団出身でテレビドラマや映画、特撮作品までこなす独特な存在感を放つオールラウンダーな名バイプレイヤーだったが、1982年12月28日、食道ガンのため43歳で死去。劇作家、演出家の顔ももつ。1964年に女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚したが、1968年に悠木(樹木)と離婚。女優の岸田今日子とは従姉にあたる。

岸田 森(きしだ しん、1939年〈昭和14年〉10月17日 - 1982年〈昭和57年〉12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。

1960年(昭和35年)、21歳。文学座附属演劇研究所に研究生として入団。研究発表会のような内輪の演劇ばかりで、「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた」と語っている。

1962年(昭和37年)、23歳。『光明皇后』の延臣役が初舞台となる。

1964年(昭和39年)、25歳。同期である女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚。

1965年(昭和40年)、26歳。文学座座員に昇格。

1966年(昭和41年)、27歳。年頭に退団。悠木、村松克己、草野大悟らと劇団「六月劇場」を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。

同年の『氷点』(NET)が本格的なテレビ初出演と本人は語る。

1968年(昭和43年)、29歳。悠木(樹木)と離婚後、バーのマダムと再婚するがのちに離婚。その後は女優・三田和代と事実婚関係にあった。『怪奇大作戦』(TBS)が、円谷プロとの初仕事となる。この作品への出演が自身の芝居の一大転機になったと語り、以後「僕は円谷育ち」と公言している。

1971年(昭和46年)、32歳。東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズは代表作となった。『帰ってきたウルトラマン』では主人公の師で兄代わりでもある坂田健役を演じた。

1973年(昭和48年)、34歳。円谷プロのテレビ特撮『ファイヤーマン』(日本テレビ)に出演。脚本を手がけた第12話では、部分演出も行う。この年、天知茂主演のテレビ時代劇『無宿侍』(フジテレビ)第6話において兄弟役で共演。

1977年(昭和52年)、38歳。『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)に主演。カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。生涯唯一のトップクレジットで遇された大作映画である。ほかに、主演作としてはほぼ出ずっぱりの『黒薔薇昇天』が、大役としては三船敏郎、勝新太郎の向こうを張る剣豪を演じた『座頭市と用心棒』があり、名バイプレイヤーとしてのフィルモグラフィのなかで異彩を放っている。

1980年(昭和55年)、41歳。テレビCMの演出を手がける。「エスビー食品」など水谷豊の主演するCFについては、「演出補助」と肩書きされるが、本人は「あれはすべて僕が演出しました」とコメントしている。

1982年(昭和57年)12月28日、食道ガンのため、43歳で死去。墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。

引用元:岸田森 - Wikipedia























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