4月27日は、ウェールズの歌手・ソングライター・ギタリスト・キーボーディストで70年代に活躍したロック・グループ「バッドフィンガー」の元リーダーとして知られる、ピート・ハム(Pete Ham)の誕生日です。「バッドフィンガー」では1970年後半に発売された「嵐の恋」や「デイ・アフター・デイ」(1971年)「ベイビー・ブルー」(1971年)、ニルソンがカバーした「ウィズアウト・ユー」(1970年)などのヒット曲で知られるが、1975年4月24日、自宅ガレージで首吊り自殺を遂げてしまう。27歳没。
ピート・ハム(Pete Ham、本名:ピーター・ウィリアム・ハム(Peter William Ham)、1947年4月27日 - 1975年4月24日)は、ウェールズ人の歌手、ソングライター、ギタリスト、キーボーディスト。悲運のロック・グループ「バッドフィンガー」の元リーダーとして知られる。
1968年にマル・エヴァンズの注目を惹き、多数の自宅でのデモテープによってビートルズの4人からとりわけ創作力を買われるところとなり、ついにアップル・レコードと契約を結んだ。
アイヴィーズはポール・マッカートニーが作詞・作曲した「マジック・クリスチャンのテーマ」のシングル発表に合わせて、バッドフィンガーに改名した。
ハムの創作の苦労は結局のところ報いられた。1970年後半に発売された「嵐の恋」は世界中でトップテン入りの快作となった。さらに彼が書き上げた「デイ・アフター・デイ」(1971年)と「ベイビー・ブルー」(1971年)も世界中でヒットした。彼の創作力はメンバーのトム・エヴァンズと共作した「ウィズアウト・ユー」(1970年)で頂点を極めた。
1972年、アップル・レコードは崩壊の危機に瀕したので、破竹の勢いに見えたバッドフィンガーはワーナー・ブラザース・レコードに引き抜かれた。
ハムは物腰が柔らかくて気だてが優しく、人前では少しおどけたところもあったが極めて温厚で謙虚だったと評されている。また勤勉さも言及されている。
ワーナー・ブラザースに移籍した1973年から1975年にかけて、バッドフィンガーはバンドの内部に加えて経理やマネジメントの多くの難題に巻き込まれ、音楽活動が振るわなくなった。ハムには1975年までに収入がびた一文も入らなくなり、新マネージャーのスタン・ポリーは音信不通になった。
1975年4月24日、彼は失意の果てにサリーの自宅ガレージで首吊り自殺を遂げ、翌朝、変わり果てた姿を妻のアンによって発見された。前日にエヴァンズと共にウィスキーをあおっていたこともあり、血中アルコール濃度は0.27パーセントだったという。28歳の誕生日を間近に控えての出来事だった。死の前日、自宅に戻る際にエヴァンズに残した最後の言葉は、「気にするな、逃げ出す方法はわかってるから(Don’t worry, I know a way out.)」だった。書き置きはマネージャーのポリーを非難していた。
バッドフィンガー - Wikipedia








































