2025年12月30日火曜日

ジェフ・リン (エレクトリック・ライト・オーケストラ、ジェフ・リンズELO)



12月30日は、イングランド出身のミュージシャン・シンガーソングライターで、ロックバンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)」のリーダーでお馴染みのジェフ・リン(Jeff Lynne)の誕生日です。マルチプレイヤーで、音楽プロデューサーとしても有名アーティストの作品プロデュースを手がけている。近年では2014年から「ジェフ・リンズELO」で活動をしている。

ジェフリー・リン(英: Jeffrey Lynne, OBE、1947年12月30日 - )は、イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。

同国のロックバンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)」のリーダー。50年以上のキャリアを誇るマルチプレイヤーで、音楽プロデューサーとしても有名アーティストの作品プロデュースを手がけている。

1960年代に活動したロックバンド、「アイドル・レース」「ザ・ムーヴ」を経て、1970年からエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)としての活動を開始した。

その後、ELOのリーダーとして、1970年代から1980年代にかけて「テレフォン・ライン」「シャイン・ラヴ」「ザナドゥ」などにより、ELOは、1972~86年の間はギネスブックに「最も多くの全米トップ40ヒットを飛ばしたグループ」として紹介されていた。ヴァージン・グループ初の映画 『エレクトリック・ドリーム』のサウンドトラックへ2曲参加している (映画の音楽担当はジョルジオ・モロダーだが、2曲はジェフ・リン自身のプロデュース)。

熱狂的なビートルズファンであり、「ジェフ・リンの自宅のレコード棚にはビートルズとバルトークのレコードしかない」と英国の音楽誌に書かれたことがある。

また、プロデューサーとして数多くのアーティストを手掛けており、1980年代後半以降、デイヴ・エドモンズ、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ポール・マッカートニー、トム・ペティ、ロイ・オービソン、デル・シャノンなどのプロデュースを手掛けている。1995年から1996年にかけてのビートルズ・アンソロジー・プロジェクトでは、ジョージの紹介で新曲のプロデュースを担当し、敬愛するビートルズとの「共演」を果たした。

1988年にジョージ・ハリスン、トム・ペティ、ボブ・ディラン、ロイ・オービソンとともに覆面バンド、トラヴェリング・ウィルベリーズを結成した。ソロ名義のアルバム『アームチェア・シアター』も発売している。また、2001年発表ELOのアルバム『ズーム』は、リチャード・タンディなど一部オリジナル・メンバーの客演はあるものの、事実上、彼のソロ作品である。

その後も、プロデュース業を行いながら、自身のELO作品のリマスター、セルフカバー・アルバム、2012年にはソロ名義で、全曲カバー曲の『ロング・ウェイヴ』などを発表し、定期的に活動を行う。

引用元:ジェフ・リン - Wikipedia























2025年12月29日月曜日

岸本加世子



12月29日は、女優の岸本加世子(きしもと かよこ)の誕生日です。西城秀樹の大ファンであることは有名で、そのことが芸能界入りするきっかけとなった話は有名である。1977年にドラマ「ムー」でデビュー。久世光彦演出作品には欠かせない存在として向田邦子シリーズ「あ・うん」(1980年)などで頭角を現す。当初はアイドル女優としてテレビドラマや映画、歌手活動など幅広い分野で活動した。富士フイルムでの樹木希林との掛け合い漫才のコマーシャルに出演、樹木には公私ともに可愛がられた。

岸本 加世子(きしもと かよこ、1960年〈昭和35年〉12月29日 - )は、日本の女優。アン・ヌフ所属。

1977年にTBS系列で放送された連続テレビドラマ『ムー』でデビューし、久世光彦演出作品には欠かせない存在として向田邦子シリーズ『あ・うん』(1980年)などで頭角を現す。当初はアイドル女優としてテレビドラマや映画、歌手活動など幅広い分野で活動した。

1980年代以降、富士フイルムでの樹木希林との掛け合い漫才のコマーシャルに出演し、岸本が発した「それなりに写ります」は流行語になった。樹木には公私ともに可愛がられたという。このほかにもオリエントファイナンス(現:オリエントコーポレーション)、千葉真一と共演したトヨタ・カリーナ(3・4代目)などのコマーシャルでも人気を博した。

ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した北野武監督作品『HANA-BI』(1998年)に出演したことをきっかけに北野作品の常連となり、『菊次郎の夏』(1999年)では日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。また、小説・エッセイなどの執筆活動も展開したほか、「本音で話す女優」としてバラエティ番組への出演もこなす。

2017年1月、所属事務所をブリリアンスからアン・ヌフへ移籍した。

引用元:岸本加世子 - Wikipedia



























2025年12月28日日曜日

岸田森



12月28日は、俳優・声優の岸田森(きしだ しん)の命日です。劇団出身でテレビドラマや映画、特撮作品までこなす独特な存在感を放つオールラウンダーな名バイプレイヤーだったが、1982年12月28日、食道ガンのため43歳で死去。劇作家、演出家の顔ももつ。1964年に女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚したが、1968年に悠木(樹木)と離婚。女優の岸田今日子とは従姉にあたる。

岸田 森(きしだ しん、1939年〈昭和14年〉10月17日 - 1982年〈昭和57年〉12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。

1960年(昭和35年)、21歳。文学座附属演劇研究所に研究生として入団。研究発表会のような内輪の演劇ばかりで、「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた」と語っている。

1962年(昭和37年)、23歳。『光明皇后』の延臣役が初舞台となる。

1964年(昭和39年)、25歳。同期である女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚。

1965年(昭和40年)、26歳。文学座座員に昇格。

1966年(昭和41年)、27歳。年頭に退団。悠木、村松克己、草野大悟らと劇団「六月劇場」を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。

同年の『氷点』(NET)が本格的なテレビ初出演と本人は語る。

1968年(昭和43年)、29歳。悠木(樹木)と離婚後、バーのマダムと再婚するがのちに離婚。その後は女優・三田和代と事実婚関係にあった。『怪奇大作戦』(TBS)が、円谷プロとの初仕事となる。この作品への出演が自身の芝居の一大転機になったと語り、以後「僕は円谷育ち」と公言している。

1971年(昭和46年)、32歳。東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズは代表作となった。『帰ってきたウルトラマン』では主人公の師で兄代わりでもある坂田健役を演じた。

1973年(昭和48年)、34歳。円谷プロのテレビ特撮『ファイヤーマン』(日本テレビ)に出演。脚本を手がけた第12話では、部分演出も行う。この年、天知茂主演のテレビ時代劇『無宿侍』(フジテレビ)第6話において兄弟役で共演。

1977年(昭和52年)、38歳。『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)に主演。カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。生涯唯一のトップクレジットで遇された大作映画である。ほかに、主演作としてはほぼ出ずっぱりの『黒薔薇昇天』が、大役としては三船敏郎、勝新太郎の向こうを張る剣豪を演じた『座頭市と用心棒』があり、名バイプレイヤーとしてのフィルモグラフィのなかで異彩を放っている。

1980年(昭和55年)、41歳。テレビCMの演出を手がける。「エスビー食品」など水谷豊の主演するCFについては、「演出補助」と肩書きされるが、本人は「あれはすべて僕が演出しました」とコメントしている。

1982年(昭和57年)12月28日、食道ガンのため、43歳で死去。墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。

引用元:岸田森 - Wikipedia























2025年12月27日土曜日

堀川早苗



12月27日は、元女優・タレント・歌手・映画プロデューサーの堀川早苗(ほりかわ さなえ)の誕生日です。1990年1月に、モモコグランプリのオーディションを受けて桃組に所属(出席番号:2996番)。1990年に乙女塾のオーディションで合格し乙女塾5期生に所属。1991年1月「不思議少女ナイルなトトメス」の主人公・中島サナエ(ナイルなトトメス)役で女優デビュー。1999年に芸能界を引退。その後レコード会社「カエルカフェ」に営業職及びプロデューサーとして勤務。2006年頃に退社、結婚した。

堀川 早苗(ほりかわ さなえ、1972年12月27日 - )は、日本の元映画プロデューサー、元女優、元タレント、元歌手。千葉県松戸市出身。身長158 cm。B80 cm、W59 cm、H84 cm(1992年8月)。血液型はA型。趣味アロマテラピー。

高等学校2年生の時の1990年1月に、モモコグランプリ(アイドルグループモモコクラブ)のオーディションを受けて最終審査まで残り桃組に所属した(出席番号:2996番)。

1990年に乙女塾のオーディションで合格し乙女塾5期生に所属した。一方で乙女塾の活動の傍ら就職活動もしており、高校3年生の時に銀行から就職の内定をもらっていたが、1990年8月頃に芸能事務所への所属が決まったことで銀行の就職の内定を辞退した。

バラエティー番組の活躍を経て1991年1月スタートの特撮ドラマ(東映不思議コメディーシリーズ第12作目)の「不思議少女ナイルなトトメス」の主人公で女優・歌手デビューした。これに合わせて芸能事務所・メビウス(既に倒産して現在は存在しない)に所属。その後もドラマやCMでの活躍や声優業も務めたが、1999年に芸能界を引退。

その後はサンプリングCDや効果音を専門に扱うレコード会社「カエルカフェ」に営業職及びプロデューサーとして勤務しており、営業職で日本全国を飛び回っていたが、2006年頃に退社。その後、結婚した。

引用元:堀川早苗 - Wikipedia





























2025年12月26日金曜日

ロバート・ボールドウィン



12月26日は、広島出身のカナダ日系人タレントであるロバート・ボールドウィン(Robert Baldwin)の命日です。「さんまのSUPERからくりTV」に「外国人日本王」というコーナーに出演し話題となり、俳優として2005年「超星艦隊セイザーX」にてゴルド役で出演。2013年「獣電戦隊キョウリュウジャー」にてラミレス/ キョウリュウシアン役で出演し話題となった。他に声優、翻訳家、料理研究家、動物研究家、サンタクロース研究家、玩具・フィギュアコレクター、アニメ・特撮愛好家、動物愛好家など多彩な顔を持つ。2022年頃から大腸癌の闘病を続けていたが、2024年12月26日に死去。59歳没。

ロバート・ボールドウィン(Robert Baldwin、1965年9月27日 - 2024年12月26日)は、広島県広島市中区江波(えば)出身の カナダ日系人タレント、俳優、声優、翻訳家、料理研究家、動物研究家、サンタクロース研究家、玩具・フィギュアコレクター、アニメ・特撮愛好家、動物愛好家。身長178cm。

1986年ごろ、カナダのバンフにある日系のツアー会社のガイドとして働いていた際、豊富な知識と流暢な日本語で日本人ツアー客を驚かせていた。その後タレントとして活動し、『奇跡体験!アンビリバボー』や『特命リサーチ200X』の再現ドラマなどへの出演で知られるようになった。

『さんまのSUPERからくりTV』の「外国人日本王」というコーナーに出演、流暢な日本語で日本に関する博識を披露し、司会の明石家さんまらを驚嘆させ、日本通の外国人として全国的に有名になった。

2005年には特撮ヒーロー番組『超星艦隊セイザーX』でゴルド役で出演。自ら強化スーツを着用してアクションを披露し、非常に愛着があるとのこと。シリーズ自体が同作で終了となったため実現はしなかったが、2005年の『特撮ニュータイプ』でのインタビューで「第4作以降の超星神シリーズに出演し続ける」と意欲を見せていた。2013年には『獣電戦隊キョウリュウジャー』のラミレス/ キョウリュウシアン役で7年ぶりに特撮作品に準レギュラー出演しており、念願の変身ヒーローを演じた。

2022年頃から大腸癌の闘病を続けていたが、2024年12月26日に死去。訃報は娘の有賀零(女優)のSNSにて公表された。59歳没。晩年は事務所などに所属しない、いわゆるフリーランスの立場で活動を続けていた。

引用元:ロバート・ボールドウィン - Wikipedia

























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