2026年9月7日月曜日

キース・ムーン (元 ザ・フー、ドラマー)



9月7日は、イングランドのロック・ミュージシャン、ドラマー、俳優であるキース・ムーン(Keith Moon)の命日です。ロックバンド「ザ・フー」のドラマーとして唯一無二の存在として活躍した。1978年9月7日、オーバードーズにより死去。32歳没。

キース・ムーン(Keith Moon、本名:Keith John Moon, 1946年8月23日 - 1978年9月7日)は、イングランドのロック・ミュージシャン、ドラマー、俳優。

ザ・フーのメンバーとして、「マイ・ジェネレーション」「恋のピンチ・ヒッター」「恋のマジック・アイ」「シー・ミー・フィール・ミー」「サマータイム・ブルース」「ピンボールの魔術師」「ロング・リブ・ロック」などの代表曲でドラムスを担当した。

2016年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」に於いて、親友のジョン・ボーナムに次ぐ第2位。2013年のギブソン社の選ぶ「史上最高のロック・ドラマー×10人」に於いて第3位と、現在も高く評価されている。

1978年9月7日の朝、彼女が作った朝食をとり、アルコール依存症の離脱症状を抑えるヘミネブリン(クロメチアゾール)を32錠も飲んで、昼寝についた。彼女が午後3時ごろ寝室を覗くと、彼はうつぶせのまま動かなくなっていた。すぐさま病院に担ぎ込まれたが死亡が確認された。享年32歳。警察は検死の後、死因は飲み込んだ32錠のヘミネブリンのうち6錠が消化されたことによるオーバードーズであると発表した。

ムーンの非常に個性的なプレイスタイルは、同時代及び後進の数多のドラマーに多大な影響を与えた。それまでドラマーの主な役割がリズム・キープに終止していたのに対し、ムーンのプレイは、ある意味でリード・ボーカルよりも先行した「リード楽器」として、タウンゼントのパワーコードと重なり合い、見事に引き立ちあっていた。タウンゼントもまた「ベースやドラムがリード楽器となりギターがリズム楽器と、本来の役割が逆転していたのが、ザ・フーのユニークさだった」と認めている。そのラウドなドラムはマイクなしでも十分なほどであり、エントウィッスルは「キースの音がやたらでかいから、俺もピートもマーシャルを積み上げなきゃならなかった」と語っている。ステージでは並々ならぬ技量と共にショーマンシップを発揮、スティックを廻したり空中に放り投げてはキャッチ、という「芸」も披露。ギターを破壊するタウンゼントに影響される形で、ムーンもまたステージでドラムを破壊した。まさに「ドラム革命」とも呼べる、ドラマーの新たな役割を示した。また、ムーンのドラムプレイは半ばアドリブといえるようなものであり、同じ曲でも演奏のたびに細部が異なっていた。

ムーンのプレイの大きな特徴として、ハイハットをほとんど使用しないことが挙げられるが、エントウィッスル曰く「キースはハイハットが使えなかった」のだという。

ドラムプレイ同様、性格的にも非常に個性の強い人物だった。

引用元:キース・ムーン - Wikipedia

























2026年9月6日日曜日

永井豪



9月6日は、漫画家の永井豪(ながい ごう)の誕生日です。石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年「目明しポリ吉」で漫画家デビュー。以降「マジンガーZ」「キューティーハニー」「デビルマン」「ハレンチ学園」「あばしり一家」「ドロロンえん魔くん」「バイオレンスジャック」など、ロボット物から美少女アクション、ナンセンスギャグからシリアスな劇画調のものまでありとあらゆる作品を発表したことから後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっていることからその影響は計り知れないものとなっている。

永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔〈ながい きよし〉、1945年〈昭和20年〉9月6日 - )は、日本の漫画家。勲等は旭日小綬章。石川県輪島市出身。血液型はO型。

石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『マジンガーZ』『キューティーハニー』『デビルマン』『ハレンチ学園』『あばしり一家』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞した。

1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員を務める。2026年7月時点で、日本漫画家協会理事。

現存する四大週刊少年誌(『週刊少年ジャンプ』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』『週刊少年チャンピオン』)及び、休刊した週刊少年誌4誌(『週刊ぼくらマガジン』『週刊少年キング』『週刊少年宝島』『週刊少年アクション』)全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。

引用元:永井豪 - Wikipedia























2026年9月5日土曜日

浅田芭路



9月5日は、日本の女優、元子役であった浅田芭路(あさだ はろ)の誕生日です。2018年9月16日「この世界の片隅に」で子役デビュー。2022年10月「舞いあがれ!」に出演、福原遥が演じるヒロイン・舞の幼少期役を演じている。以降テレビドラマや映画などに出演中。

浅田 芭路(あさだ はろ、2013年〈平成25年〉9月5日- )は、日本の女優、元子役。研音所属。

2018年9月16日、TBS系日曜劇場『この世界の片隅に』で子役デビュー。

2019年8月21日、同年度前期連続テレビ小説『なつぞら』で第123回に出演し、NHK朝ドラ初出演。同年11月15日、映画『殺さない彼と死なない彼女』で映画初出演。

2020年8月30日、大河ドラマ『麒麟がくる』第22回に出演し、NHK大河ドラマ初出演。

2022年10月3日、NHK連続テレビ小説『舞いあがれ!』に出演、福原遥が演じるヒロイン・舞の幼少期役を演じている。219名が参加したオーディションでは「陰の部分と抜群にチャーミングな笑顔を表現できる」と評価を受け、選出された。連続テレビ小説への出演は『なつぞら』、2022年度前期『ちむどんどん』に続く3作目。

2025年6月21日、研音系列のK-NEXTに移籍。

引用元:浅田芭路 - Wikipedia

























2026年9月4日金曜日

ジェロ (歌手)



9月4日は、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の演歌歌手で、父親がアフリカ系アメリカ人で母親がアフリカ系アメリカ人と日本人(祖母が日本人)のハーフである所謂クォーターである、ジェロ(JERO、本名: Jerome Charles White Jr.)の誕生日です。ヒップホップ系ファッションで演歌を歌う黒人系歌手ということで「史上初の黒人演歌歌手」として注目された。現在は芸能活動を無期限休止、帰国しコンピューターエンジニアとして働いているとのこと。

ジェロ(JERO、本名: Jerome Charles White Jr.〈ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア〉、1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の演歌歌手。「史上初の黒人演歌歌手」として注目された。

ピッツバーグ大学を2003年に卒業したのちに再び来日し、和歌山県の英会話学校にて講師として働き、次いで大阪でコンピュータ技術者の仕事に就く。そのかたわら、来日2カ月後に『NHKのど自慢』(NHK総合・ラジオ第1)に出場し合格するなど、日本各地のカラオケ大会に出場して、演歌歌手を目指していた。そして2005年、大阪市内のカラオケ大会で優勝した際、ビクターエンタテインメント大阪のスカウトの目に留まり、東京・渋谷のカラオケボックスでオーディションを受けて合格。審査員は「礼儀正しく、何をリクエストしてもきれいに歌う」と評価している。

その後2年間のレッスンを経て、2008年に『海雪』でデビュー。デビュー日には、演歌歌手としては前例のない渋谷HMVでのイベントを行った。 2008年6月25日には初のミニアルバムを発売。8月27日には母校ピッツバーグ大学で無料凱旋ライブを行い、学生や地元住民など500人以上がつめかけた。

2008年10月19日、今度はプロの歌手として『NHKのど自慢』(NHK総合・ラジオ第1)にゲスト出演、また12月30日には第50回日本レコード大賞(TBSテレビ・ラジオ)の最優秀新人賞を受賞した。さらに『第59回NHK紅白歌合戦』(NHK総合・ラジオ第1)に初出場、実母も来日し会場で感涙した。ジェロはデビュー当初から亡き祖母のために紅白歌合戦出場を望んでいた。

2018年5月11日、芸能活動を無期限休止し、外資系のIT企業に就職してコンピュータ関連の仕事に就くと発表。

2024年12月30日、TBS「まさかの一丁目一番地」において、現在は帰国し、コンピューターエンジニアとして働いていると紹介された。

引用元:ジェロ - Wikipedia























2026年9月3日木曜日

坂口祐三郎



9月3日は、日本の俳優である坂口祐三郎(さかぐち ゆうざぶろう)の誕生日です。1967年4月開始「仮面の忍者 赤影」の主演・赤影役を演じたのが有名。それゆえに後年イメージの固定で新しい役での活躍機会に恵まれなかった。2003年7月13日、脳幹出血のため死去。61歳没。

坂口 祐三郎(さかぐち ゆうざぶろう、1941年9月3日 - 2003年7月13日)は、日本の俳優。本名は中村 徹(なかむら とおる)。別名義は牧口 徹(まきぐち とおる)、坂口 徹(さかぐち とおる)、坂口 徹郎(さかぐち てつろう)。

福岡県久留米市出身。福岡県立八女工業高等学校卒業。

『新諸国物語 黄金孔雀城 第二部』で映画デビュー。

その後、『走れ左源太』(NET / 東伸テレビ映画)に出演した際に、撮影所所長から「坂口祐三郎」の芸名をもらう。

この当時、京都市内に祖母と2人で暮らしていたが、端役か準主役が年に数本という状況が数年続く。

1966年の12月参加した1967年4月開始の関西テレビ初のカラーTV番組『仮面の忍者 赤影』の主演・赤影に抜擢される。

この番組は大人気となり、半年予定が延長を重ねて1年間の放映となった。

しかし余りにもヒットしたため、逆にその後は『赤影』のイメージが強く付き過ぎてしまい、新しい役での活躍機会に恵まれなかった。

1969年には「坂口 徹」と改名し、『あゝ忠臣蔵』に出演。

当時のプロフィールでは「『赤影』からの脱却を図っている」と紹介されている。しかし、結果としては最後まで『赤影』で付いたイメージを払拭し切ることは出来なかった。

1989年(平成元年)ウルトラセブンのキリヤマ隊長役の中山昭二に是非にと請われ、日光江戸村に勤務して講師・舞台演出を手掛ける一方、ウェスタン村で保安官レッドシャドウ(赤影に由来)としてアトラクションに参加。

この江戸村での経験から後進の指導に興味を持ち、故郷久留米市に戻り、俳優養成学校で約10年間に渡って俳優業と共に後進育成をした。一時は「赤影」と呼ばれることを嫌って芸名を変更したこともあったが、久留米に戻ってからは盟友である作家/瀬崎智文との会話で「赤影から逃れられないのだったら、とことん赤影でやって行きたい」と話していたという。

2003年7月12日夜に、久留米市内の自宅で突然倒れ意識が戻らぬまま翌13日妻や親族にみとられ、市内の病院で脳幹出血のため死去。享年62(満61歳没)。

引用元:坂口祐三郎 - Wikipedia

























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