2026年9月10日木曜日

ジョー・ペリー (エアロスミス・ギタリスト)



9月10日は、アメリカ合衆国のミュージシャン・ギタリストである、ジョー・ペリー(Joe Perry)の誕生日です。ロックバンド「エアロスミス」のギタリストとしての活動が最も有名。ソロとして「ジョー・ペリー・プロジェクト」としても活動をする。ジョニー・デップやアリス・クーパーらと「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」なるバンドも組んで活動をしている。

ジョー・ペリー(Joe Perry、1950年9月10日 - )は、アメリカ合衆国のミュージシャン。ロックバンド「エアロスミス」のギタリスト。本名は、アンソニー・ジョゼフ・ペレイラ(Joseph Anthony Pereira)。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第48位、2011年の更新版では第84位。

1973年に、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。フロントマンのスティーヴン・タイラーと共にソングライティングを担当。このコンビは、「トキシック・ツインズ(The Toxic Twins)」と呼ばれる。アルバム『ロックス』(1976年)以降、一部の楽曲でリード・ボーカルを取る。エアロスミスの活動と並行して、個人としてはキッスのジーン・シモンズのソロ・アルバム『ジーン・シモンズ』(1978年)などにゲスト参加している。

1980年、スティーヴン・タイラーとの確執などを原因に、エアロスミスを脱退。「ジョー・ペリー・プロジェクト」を結成し、1983年までに3枚のアルバムを発表。だが、エアロスミスほどの成功は得られなかった。この間エアロスミスも、相次ぐメンバー脱退や交通事故によるスティーヴンの入院、アルバムの興行的不振など、暗礁に乗り上げていた。しかし時間の経過に伴い、スティーヴンとも和解。1984年に、同じく脱退したオリジナル・メンバーのブラッド・ウィットフォードと共に、エアロスミスに復帰。1989年、アリス・クーパーのアルバム『トラッシュ』の収録曲「ハウス・オブ・ファイアー」にゲスト参加。1997年、スティーヴ・ヴァイが発案したクリスマス・アルバム『メリー・アックスマス』に、ギター・インストゥルメンタルによる「ブルー・クリスマス」を提供。

2004年にエアロスミスは無期限活動休止を宣言。この期間を利用してジョーは、かなり昔から温存していた数々の曲のレコーディングに取り掛かり、2005年5月、今度はソロ名義でのアルバム『ジョー・ペリー』を発表した。また、同年8月にリリースされたレス・ポール&フレンズのアルバム『レス・ポール・トリビュート』にフィーチャリング・ゲストの一人として参加。

2007年、エアロスミスが活動再開、全米ツアーを敢行した。 2009年に、後のエアロスミスのアルバム『ミュージック・フロム・アナザー・ディメンション!』の制作が中断された時に、2作目のソロ・アルバム『ハヴ・ギター、ウィル・トラヴェル』をリリースし、翌2010年まで「ジョー・ペリー・プロジェクト」名義でツアーを行った。

引用元:ジョー・ペリー - Wikipedia

























2026年9月9日水曜日

安田祥子



9月9日は、日本の声楽家・童謡歌手・ソプラノ歌手である安田祥子(やすだ さちこ)の誕生日です。歌手であり実妹の由紀さおりとの歌手活動が最も有名である。

安田 祥子(やすだ さちこ、1941年9月9日 - )は、日本の声楽家、童謡歌手、ソプラノ歌手である。神奈川県川崎市生まれ。血液型はO型。夫は元在日オーストリア通商代表部理事の澤田久雄。妹は歌手・タレントの由紀さおり。本名は澤田 祥子。

小学生時代にひばり児童合唱団に所属。その後コロムビアに所属、童謡歌手として活躍した。東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業し、1967年に同大学院修士課程修了。また、ニューヨークのジュリアード音楽院、ロチェスターのイーストマン音楽院で音楽を学ぶ。

東京芸術大学講師を18年務めたが、コンサート活動に専念のため勇退した。ボイストレーナーとしても活動。

1982年に妹・由紀さおりのコンサートに参加したことで、姉妹での活動が始まり、1986年に姉妹でスタートさせた童謡コンサートは国内、海外での公演を続け、2006年11月8日、姉妹としての2,000回達成記念コンサートを開催。2007年5月、21周年のコンサートツアーをスタートさせた。姉妹での音楽活動は後に、岩崎宏美、良美姉妹などに影響を与えた。

引用元:安田祥子 - Wikipedia























2026年9月8日火曜日

鈴木亜久里 (元 レーシングドライバー)



9月8日は、日本の元レーシングドライバーで実業家、現在は株式会社ARTA代表取締役である、鈴木亜久里(すずき あぐり)の誕生日です。中嶋悟に次ぐ日本人2人目のF1フルタイムドライバーであり、1990年F1日本GPでエスポ・ラルースF1から参戦し日本人初の3位表彰台を獲得したことで最も有名。

鈴木 亜久里(すずき あぐり、1960年9月8日 - )は、元レーシングドライバーで実業家、株式会社ARTA代表取締役。東京都板橋区出身。身長:180cm。 血液型A型。

中嶋悟に次ぐ日本人2人目のF1フルタイムドライバー。

東京都で生まれる。父親の鈴木正士(愛称:ジャッキー)はフランス領マルティニーク出身のフランス人と日本人の間に生まれたハーフで、亜久里自身はクォーターになる。名前の"亜久里"は、根本進の漫画『クリちゃん』に登場する兄弟(「アッちゃん」と「クリちゃん」)が由来である。

引用元:鈴木亜久里 - Wikipedia

























2026年9月7日月曜日

キース・ムーン (元 ザ・フー、ドラマー)



9月7日は、イングランドのロック・ミュージシャン、ドラマー、俳優であるキース・ムーン(Keith Moon)の命日です。ロックバンド「ザ・フー」のドラマーとして唯一無二の存在として活躍した。1978年9月7日、オーバードーズにより死去。32歳没。

キース・ムーン(Keith Moon、本名:Keith John Moon, 1946年8月23日 - 1978年9月7日)は、イングランドのロック・ミュージシャン、ドラマー、俳優。

ザ・フーのメンバーとして、「マイ・ジェネレーション」「恋のピンチ・ヒッター」「恋のマジック・アイ」「シー・ミー・フィール・ミー」「サマータイム・ブルース」「ピンボールの魔術師」「ロング・リブ・ロック」などの代表曲でドラムスを担当した。

2016年の「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」に於いて、親友のジョン・ボーナムに次ぐ第2位。2013年のギブソン社の選ぶ「史上最高のロック・ドラマー×10人」に於いて第3位と、現在も高く評価されている。

1978年9月7日の朝、彼女が作った朝食をとり、アルコール依存症の離脱症状を抑えるヘミネブリン(クロメチアゾール)を32錠も飲んで、昼寝についた。彼女が午後3時ごろ寝室を覗くと、彼はうつぶせのまま動かなくなっていた。すぐさま病院に担ぎ込まれたが死亡が確認された。享年32歳。警察は検死の後、死因は飲み込んだ32錠のヘミネブリンのうち6錠が消化されたことによるオーバードーズであると発表した。

ムーンの非常に個性的なプレイスタイルは、同時代及び後進の数多のドラマーに多大な影響を与えた。それまでドラマーの主な役割がリズム・キープに終止していたのに対し、ムーンのプレイは、ある意味でリード・ボーカルよりも先行した「リード楽器」として、タウンゼントのパワーコードと重なり合い、見事に引き立ちあっていた。タウンゼントもまた「ベースやドラムがリード楽器となりギターがリズム楽器と、本来の役割が逆転していたのが、ザ・フーのユニークさだった」と認めている。そのラウドなドラムはマイクなしでも十分なほどであり、エントウィッスルは「キースの音がやたらでかいから、俺もピートもマーシャルを積み上げなきゃならなかった」と語っている。ステージでは並々ならぬ技量と共にショーマンシップを発揮、スティックを廻したり空中に放り投げてはキャッチ、という「芸」も披露。ギターを破壊するタウンゼントに影響される形で、ムーンもまたステージでドラムを破壊した。まさに「ドラム革命」とも呼べる、ドラマーの新たな役割を示した。また、ムーンのドラムプレイは半ばアドリブといえるようなものであり、同じ曲でも演奏のたびに細部が異なっていた。

ムーンのプレイの大きな特徴として、ハイハットをほとんど使用しないことが挙げられるが、エントウィッスル曰く「キースはハイハットが使えなかった」のだという。

ドラムプレイ同様、性格的にも非常に個性の強い人物だった。

引用元:キース・ムーン - Wikipedia

























2026年9月6日日曜日

永井豪



9月6日は、漫画家の永井豪(ながい ごう)の誕生日です。石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年「目明しポリ吉」で漫画家デビュー。以降「マジンガーZ」「キューティーハニー」「デビルマン」「ハレンチ学園」「あばしり一家」「ドロロンえん魔くん」「バイオレンスジャック」など、ロボット物から美少女アクション、ナンセンスギャグからシリアスな劇画調のものまでありとあらゆる作品を発表したことから後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっていることからその影響は計り知れないものとなっている。

永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔〈ながい きよし〉、1945年〈昭和20年〉9月6日 - )は、日本の漫画家。勲等は旭日小綬章。石川県輪島市出身。血液型はO型。

石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『マジンガーZ』『キューティーハニー』『デビルマン』『ハレンチ学園』『あばしり一家』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞を受賞した。

1996年より1999年まで日本SF作家クラブ会長、2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員を務める。2026年7月時点で、日本漫画家協会理事。

現存する四大週刊少年誌(『週刊少年ジャンプ』『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』『週刊少年チャンピオン』)及び、休刊した週刊少年誌4誌(『週刊ぼくらマガジン』『週刊少年キング』『週刊少年宝島』『週刊少年アクション』)全てに連載経験を持つ唯一の漫画家でもある。

引用元:永井豪 - Wikipedia























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