2026年4月21日火曜日

田中好子 (元 キャンディーズ)



4月21日は、女優、歌手の田中好子(たなか よしこ)の命日です。70年代に活躍した「キャンディーズ」の元メンバーとしてお馴染み。一世を風靡する。愛称は、スー。1980年に女優として芸能界に復帰。ソロシングル・ソロアルバムも発売するがその後は女優として活躍する。2011年4月21日、癌のため死去。55歳没。

田中 好子(たなか よしこ、1956年〈昭和31年〉4月8日 - 2011年〈平成23年〉4月21日)は、日本の女優、歌手であり、元キャンディーズのメンバーである。本名:小達 好子(おだて よしこ)、旧姓︰田中。愛称は、スー。

1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー(コーラスパートはメゾソプラノ)。ニックネームは「スーちゃん」(好子の“好”という字が「すき」の「す」であるため)。キャンディーズのメンバーでは最年少であった。伊藤や藤村からはスーさんと呼ばれていた。

デビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、歌唱力を評価されてキャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当した。

1978年(昭和53年)4月4日、キャンディーズの解散により芸能界を引退。

1980年(昭和55年)、芸能界に復帰。1984年1月21日、ソロシングル『カボシャール』、ソロアルバム『好子』を発表。その後は女優として活躍した。ちなみに復帰会見では、あるリポーターから「普通の女の子に戻れなかった?」と意地悪な質問をされ、本人は「私、普通なんだけどな」と答えたという。

1980年のドラマ『虹子の冒険』で本格的に女優活動を始め、さらに映画『土佐の一本釣り』で映画主演デビューも果たす。

映画では1989年(平成元年)に公開された『黒い雨』で、主役・高丸矢須子役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。この頃から演技派女優としての地位を固め始める。

テレビドラマでは、1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)の連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女役や、ドラマ23「いまさら、初恋」で好演、映画では2003年の『鏡の女たち』、2007年の『0からの風』や『親父』などで主要キャストに扮した。また、1993年(平成5年)に主演したドラマ『秋の駅』(フジテレビ)では、放送文化基金演技賞を受賞した。

2010年(平成22年)10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食したことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。結果として、このときの絶食が田中の容態を最終的に大きく悪化させる原因となった。2011年(平成23年)2月に、がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移した。

2011年4月21日午後7時4分頃、懸命の治療も甲斐なく、国際医療福祉大学三田病院にて死去。55歳没。誕生日のわずか13日後だった。

引用元:田中好子 - Wikipedia





























2026年4月20日月曜日

マイク・ポートノイ (ドリーム・シアター、ドラマー)



4月20日は、プログレッシブ・ヘヴィメタルバンド「ドリーム・シアター」のドラマーとして知られる、マイク・ポートノイ(Mike Portnoy)の誕生日です。アメリカ出身のドラマーで、1989年に「ドリーム・シアター」としてデビューする。その後も様々なプロジェクトに関わりながら「ドリーム・シアター」の中心メンバーとして活動を続ける。

マイク・ポートノイ (Mike Portnoy、1967年4月20日 - )は、アメリカ合衆国出身のドラマー、ミュージシャン、作曲家。

プログレッシブ・メタルバンド「ドリーム・シアター」のドラマーとして知られる。

ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のドラマー」において2010年版では第8位であったが、改訂版の2016年版ではランク外となっている。

最も影響を受けたドラマーはラッシュのニール・パートであると公言、現に彼はニール・パートの存在なくしてドリーム・シアターは存在しなかったとも発言している。その他にはテリー・ボジオ、ビル・ブルーフォード、ビリー・コブハム、ラーズ・ウルリッヒ、サイモン・フィリップス、ジョン・ボーナム、リンゴ・スター等から、またバンドとしてはビートルズ、ラッシュ、クイーン、イエス、ピンク・フロイド、メタリカ、アイアン・メイデン、ディープ・パープル等から影響を受けたという。またデスメタルなども聴き、更に1994年頃にはラップに傾倒していたそうである。その影響は同時期に発表したアルバム「Awake」などで感じることが出来る。

ドリーム・シアター初期の頃から点数の多いドラムセットで手数の多いドラムを叩く、というスタイルを確立している。若い頃から基本的に2バスのドラムセットで練習したと教則ビデオで語っている。時代と共に点数は増加する傾向にあり、2000年頃からは2バスと1バスの2つのドラムセットを一体化させた椅子2つの3バス、椅子の後ろの銅鑼(ドラ)も含めほぼドラマー全周を囲む巨大セットを使用している。この中を立って移動しながらのタム回しを可能にするため、タム群は一連化され1バスの方のセットではハイ・タムとロー・タムの配置が逆さになっていたり、フロアタムの代わりに口径の小さいタムにヘッドを緩く張ったタムを使用して低い音を得るなど実験的な要素が含まれていることが多い。ただし他のプロジェクトなどでは必ずしもこの限りではなく、リキッド・テンション・エクスペリメントのアルバムツアー、またG3のツアーなどではツインペダルの1バスセットでまとめるなどのシンプルなセットも使用している。

スタイルは、複雑な構成でメロディックなリズムパターンと手数の多いフィルインが特徴。ツーバスやダブル・ストロークなども交えた6連や32分のフィルでギターやキーボード等とのユニゾンプレイは圧巻である。また、極端な変拍子が目まぐるしく入れ替わるドリームシアターの屋台骨であり、その複雑なリズム・ワークは彼の代名詞としてよく取り上げられる。トリッキーな変拍子フレーズには彼自身思い入れがあり、「常に意外性のあるプレイを考えている」と語っている。しかしながら、その過度のドラミングからか2004年にはついに腱鞘炎になってしまった。

上述のようにドラミングのテクニックばかりが注目されるが、むしろ評価されるべきは楽曲のアレンジや展開などの構成力(マイク自身もそのような発言をしている)。メンバー全員が大量の音楽知識・アイディアを持っているドリームシアターにおいて、うまくそれらをまとめる彼の存在は非常に大きいといえる。しかし一方で近年は、彼自身が影響を受けた楽曲のアイデアを持ち込み過ぎであるという批判もある。

ドリーム・シアターにおいては、特にケヴィン・ムーアが脱退した1994年以降はジョン・ペトルーシとともにリーダー的な役割にあり、ライブDVDなどでは本人が製作や映像の編集にも携わる。例えば「Metropolis 2000: Scenes From New York」の映像特典として入っている各地の会場の撮影画像は曲の途中のブレイクでポートノイ本人が撮影したものである。ビジネス面でも細かく指揮を取り、アルバムに限定盤を設けるのは彼の発案による所が大きいという。プロデューサーのケヴィン・シャーリー曰く「バンドの原動力」。

引用元:マイク・ポートノイ - Wikipedia





















2026年4月19日日曜日

堀口綾子 (堀口綾・みるく)



4月19日は、日本のアイドルである、堀口綾子(ほりぐち あやこ)の命日です。星野貴代子とともに、染谷有紀子がリーダーを務めるイエローキャブに所属する女性3人グループ「みるく」の一員で、「スーパージョッキー」にアシスタントとしてレギュラー出演。1995年3月を以て「スーパージョッキー」を降板、グループは解散し仕事の方向性に関して事務所と衝突もあり、同年4月19日、自宅で首吊り自殺を図り命を絶ってしまう。22歳没。

堀口 綾子(ほりぐち あやこ、1973年2月17日 - 1995年4月19日)は、日本のアイドルである。埼玉県出身。1993年当時の身長は161cm。

音楽活動に憧れて芸能界に入ったものの、初めは「堀口綾」(ほりぐち あや)の名前で、雑誌『熱烈投稿』(少年出版社)や、『スーパー写真塾』(コアマガジン)などのグラビアページや表紙などでモデルを務めていた。その後、星野貴代子とともに、染谷有紀子がリーダーを務める女性3人グループ、「みるく」の一員となって芸能活動を行った。

同グループは、芸能事務所・イエローキャブに所属するセクシー・グループで、テレビのバラエティー番組『スーパージョッキー』(日本テレビ)に、アシスタントとしてレギュラー出演するとともに、1994年(平成6年)にはCDを発売し、歌手としても活動した。

しかし、同グループは1995年(平成7年)3月を以って『スーパージョッキー』を降板、ほどなくして解散となった。関係のあった音楽家との協業や海外での音楽活動の継続の方向を探っていたが、仕事の方向性に関して事務所と衝突もあり、同年4月19日、自宅で首吊り自殺を図り命を絶った。22歳没。

サブカル系の音楽を好み、小西康陽・電気グルーヴ・大槻ケンヂ・森若香織らに提供された曲を歌っていた細川ふみえを尊敬していたため、グラビア活動が好きでなかったにもかかわらずイエローキャブに入った。音楽活動は生きがいで、死の前にも「ロンドンでバンドをやる」夢を語っていたが、降板から解散まであまりに急激に進み、事務所の移籍を望んだものの上手く行かなかったなど芸能活動の行き詰まりが死を選んだ理由であると言われている。

引用元:堀口綾子 - Wikipedia








左から星野貴代子、染谷有紀子、右が堀口綾子。





















2026年4月18日土曜日

水谷絵津子



4月18日は、元アイドル歌手だった、水谷絵津子(みずたに えつこ)の誕生日です。スター誕生!第39回グランドチャンピオンを経て芸能界入り、1982年5月21日にシングル「キラリ・涙」でデビューしたが、デビュー当初からレコードのセールスが非常に不振だったため、結果的に1983年3月末を以って芸能界を引退している。以降復帰もなし。

水谷絵津子(みずたに えつこ、本名:関谷 靖子、1967年4月18日 - )は、日本の元アイドル。

血液型:A。公表されていたサイズは身長162cm、B80cm、W56cm、H81cm(1982年当時)。

大分県大分市出身。大分市立大東中学出身。在学中は軟式テニス部。他には陸上競技も特技だった。

スター誕生!第39回グランドチャンピオン。

1982年5月21日にシングル「キラリ・涙」でデビュー。

当時の所属事務所はプロダクションオーロラ、レコード会社は日本コロムビア。

デビュー当初からレコードのセールスが非常に不振だったため、結果的に1983年3月末を以って芸能界を引退した。

引用元:水谷絵津子 - Wikipedia

























2026年4月17日金曜日

立川俊之 (大事MANブラザーズバンド・大事MANブラザーズオーケストラ)



4月17日は、歌手・シンガーソングライターの立川俊之(たちかわ としゆき)の誕生日です。シングル「それが大事」の大ヒットでお馴染みな「大事MANブラザーズバンド」や「大事MANブラザーズオーケストラ」のリードボーカルとして有名。現在もソロとして活動を続ける。

立川 俊之(たちかわ としゆき、1966年〈昭和41年〉4月17日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。埼玉県草加市出身。元大事MANブラザーズバンド、大事MANブラザーズオーケストラのボーカル。血液型はA型。

1982年、バンド“Around Midnights”を戸村公彦や田岡広宣と結成。1988年、山田哲生が加入し“大事マンブラザーズバンド”に改名して活動を続ける。

1990年、“大事MANブラザーズバンド”に改名。

1991年1月25日、ファンハウスからメジャーデビュー。3枚目のシングル「それが大事」が大ヒットし1992年3月、日本ゴールドディスク大賞 部門賞のベストVニューアーティスト賞を受賞する。実売数は180万枚を超え、1992年度年間第4位。

1994年9月21日、初のソロアルバム『Theatrical Songs』をリリース。

ラジオでは、TBSラジオ他の『パックインミュージック21』や静岡放送 (SBS) ラジオ『ラジカルモンスター』(1996年4月 - 1997年3月)のパーソナリティとしても活躍。

大事MANブラザーズバンド解散後の1996年、小牟田聡と共に「TT.Charlie」を結成。翌年NHK教育テレビ「天才てれびくん」の1997年度オープニングテーマ『パリは恋の街』を発表。

2002年、バンド「T.T ORCHESTRA」を結成し、2004年にアテネパラリンピックの日本選手応援歌『最大のピンチは絶好のチャンス』を発表。

2007年、ソロ活動を開始。Acoustic Live等を行った。同年12月7日、ソロアルバム『DAY BY DAY』をリリース。

2009年1月、公式HPにて「大事MANブラザーズオーケストラ」の結成を発表。

2021年6月25日、「それが大事」30周年に伴い『それが大事 30th Anniversary』を配信にてリリース。

引用元:立川俊之 - Wikipedia





















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