2026年5月18日月曜日

エリザベス・モンゴメリー



5月18日は、アメリカの映画・テレビ番組で活躍した女優である、エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery)の命日です。1964年から1972年にわたって放映された「奥さまは魔女」でサマンサ役を演じ世界中で広く知られる作品となった。1995年5月18日、大腸癌により62歳で死去。

エリザベス・モンゴメリー(Elizabeth Montgomery, 1933年4月15日 - 1995年5月18日)は、アメリカの映画・テレビ番組で活躍した女優。アメリカ三大テレビネットワークの一つであるABCで放映された『奥さまは魔女 Bewitched』の主役の魔女サマンサを演じたことで広く知られる。

1955年に父の出演するテレビ番組『ロバート・モンゴメリー・プリゼンツ Robert Montgomery Presents』と、映画『軍法会議』でデビューを果たす。 1964年から1972年にわたって放映された出世作で、唯一のテレビシリーズとなった『奥さまは魔女』は大成功を収めた。シーズン8まで続いたこの作品は数々の再放送・配信がなされ現在でも世界中で広く知られる作品となっており、また後にニコール・キッドマンがサマンサ役を演じて『奥さまは魔女』として映画リメークされている。エリザベスはサマンサ役で5度エミー賞を受賞、ゴールデングローブ賞にも4度ノミネートされた。

人気番組となった一方でエリザベス自身「シーズン4を終えたあたりでサマンサ役に飽きていた」と告白している。番組が終了した後はサマンサの有名な鼻を動かす仕草は、頼まれてもやりたがらなかったという。

その後はイメージを払拭させるような役柄に積極的に取り組み、『私は犯された/エレイン夫人の裁判』中の犠牲者役でエミー賞にノミネートされ、『女死刑囚の秘密』では実在の殺人者(冤罪者)であるリジー・ボーデンを演じ、ミニシリーズ『開拓者たち』では困難に直面した1820年代オハイオの強い女性の役割を選ぶなど、エリザベスの俳優としての後半生は、女優としてのキャリアを積む役を演じている。

1985年の映画『エイモス』の看護婦役として、残忍な悪役も演じている。

1995年9月12日放映のアニメーション版『バットマン』の一エピソード「Showdown」で、特別ゲストとしてバーの女給役を演じたのが最後の仕事であった。その他にいくつかのナレーターをこなしている。

1979年と1982年に、日本のロッテCMにサマンサ役で出演、1982年の同CMでは和服姿で出演している。

1995年5月18日、大腸癌により62歳で死去。

引用元:エリザベス・モンゴメリー - Wikipedia

























2026年5月17日日曜日

アンドリュー・ラティマー (キャメル)



5月17日は、イングランドのミュージシャン・作曲家である、アンドリュー・ラティマー(Andrew Latimer)の誕生日です。プログレッシブ・ロックバンド「キャメル」の創始者であり現在では唯一のメンバーである。「キャメル」では1975年のアルバム「スノー・グース」1981年の「ヌードの物語 - Mr.Oの帰還 -」等が有名。プロレスラー/格闘家の前田日明は、試合の入場テーマ曲に「ヌードの物語 - Mr.Oの帰還 -」収録の楽曲「Captured(キャプチュード)」を使用していた。

キャメル (Camel) は、イングランド出身のプログレッシブ・ロック・バンド。

数あるブリティッシュ・ロックの中でも叙情派のシンフォニックサウンドで知られ、1970年代の主要プログレバンドの一角として活動。1980年代以降は、創始者アンドリュー・ラティマー主導の体制に移行した

引用元:キャメル (バンド) - Wikipedia



アンドリュー・ラティマー(Andrew Latimer、1949年5月17日 - )は、イングランドのミュージシャンにして作曲家。プログレッシブ・ロック・バンド、キャメルの創設メンバーであり、1971年の結成以来、唯一のメンバーである。ギタリストおよび歌手として最もよく知られているラティマーは、フルート奏者およびキーボード奏者でもある。

引用元:アンドリュー・ラティマー - Wikipedia

















2026年5月16日土曜日

ロニー・ジェイムス・ディオ (レインボー、ブラック・サバス、ディオ)



5月16日は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライターである、ロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio)の命日です。主にハードロックバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」そして自身のバンド「ディオ」のリードボーカリストとして70年代から2000年代にかけて活躍した。特に日本では「ヘヴィメタル界の北島三郎」と呼ばれ親しまれた。2010年5月16日、ヒューストンで死去。67歳没。

ロニー・ジェイムス・ディオ(Ronnie James Dio、本名:ロナルド・ジェームズ・パダヴォナ Ronald James Padavona、1942年7月10日 - 2010年5月16日)は、アメリカ合衆国出身のロックミュージシャン、シンガーソングライターである。

主にHR/HMバンド「レインボー」や「ブラック・サバス」の元ヴォーカリストとして知られ、自ら率いた「ディオ」でも活動した。

非常に張りのある中音域を特徴とする伸びのある声を持ち、時に演劇的ですらあるドラマチックな発声を行なうことによって、いわゆる様式美系ヘヴィメタルの教祖として大きな存在感を示した。欧米人の中では比較的小柄ではあるが、声量があり最晩年まで非常にパワフルな歌唱を聴かせていた。「絶対音感のヴォーカリスト」と称され、ステージでも故意のフェイク以外では音程を外さなかった。これは、幼少期からトランペットのトレーニングを受けてきたことが素地になっているという。また、膨大な量のオペラを聴いて育ち、特にマリオ・ランツァから大きな影響を受けている。

60歳を超えても精力的な活動を続けたので、メタル界のゴッドファーザーと呼ばれた。日本では「演歌の様にこぶしを効かせた歌い回し」で圧倒的な存在感を示したことから、「ヘヴィメタル界の北島三郎」と呼ばれ親しまれていた。

メロイックサインをヘヴィメタル界に広めた人物である。

2010年5月16日午前7時45分(米中部夏時間)、ヒューストンで死去。享年67歳。

引用元:ロニー・ジェイムス・ディオ - Wikipedia

























2026年5月15日金曜日

マイク・オールドフィールド



5月15日は、イングランドのロック・ミュージシャンである、マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)の誕生日です。1973年発表の「チューブラー・ベルズ」はプログレッシブ・ロックの歴史的名盤とされ、他に1983年のシングル「ムーンライト・シャドウ」のヒットなどで知られるマルチ・プレイヤーである。

マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield, 1953年5月15日 - )は、イングランドのロック・ミュージシャン。デビュー・アルバム『チューブラー・ベルズ』(1973年)やシングル「ムーンライト・シャドウ」(1983年)のヒットで世界的に知られる。

1973年5月、リチャード・ブランソンが主宰する新興レーベル、ヴァージン・レコードの第1弾アーティストとして、アルバム『チューブラー・ベルズ』でデビュー。2,400回もの多重録音を繰り返して制作された壮大な同アルバムは全英1位を記録。特徴あるイントロのフレーズが別人の演奏によってアメリカ映画『エクソシスト』(1974年)に使用され、さらに知名度が上がった。同アルバムは現在までにイギリス国内で260万枚を売り上げ、全英歴代トップ30にランクインするほどの大ヒットとなり、プログレッシブ・ロックの歴史的名盤とされている。

続いて1974年に『ハージェスト・リッジ』(全英1位)、1975年に『オマドーン』(全英4位)とアルバムを出すも、成功によって生じた精神的重圧に苦しみ長期間の療養生活に入る。1978年に『呪文』を発表してカムバックを果たした後は、アルバムを発表するだけでなく精力的にツアーを行うようにもなり、翌1979年にはヨーロッパでのライブの模様を収めた『エクスポウズド』をリリースしている。

1980年代に入ってからも『ファイヴ・マイルズ・アウト』(1982年、全英7位)、『クライシス』(1983年、全英7位)と優れた作品を続けて発表。この頃から時代の変化に合わせて従来のプログレッシブ・ロックからのアプローチをやめ、所属レコード会社であるヴァージンのイニシアティヴの下でポップ寄りの作品を発表するようになる。マギー・ライリーのボーカルによる『クライシス』収録の「ムーンライト・シャドウ」はヨーロッパ中で大ヒットし、その後アニー・ハズラムやアゼリン・デビソンがカヴァーする代表曲となる。

1982年5月26日、渋谷公会堂で1日のみの初来日公演を行ない、マギー・ライリー参加の下で、来日時点での最新作アルバム『プラチナム』(1979年)、『チューブラー・ベルズ』『オマドーン』などからの楽曲などを主に演奏した。

続く『ディスカバリー』(1984年)からも、「トゥ・フランス」(ボーカルはライリー)や「トリックス・オブ・ザ・ライト」(ライリーとバリー・パーマーのデュエット)がシングル・ヒットした。以降も様々なボーカリスト(以下、括弧内)を起用し、「ファミリー・マン」、「シャドウ・オン・ザ・ウォール」(ロジャー・チャップマン)、「アイランズ」(ボニー・タイラー)、「イノセント」、「キリング・フィールドのテーマ(エチュード)」、「ヘヴンズ・オープン」(オールドフィールド自身)などのヒット曲を生み出す。

1992年にワーナーに移籍し、代表作『チューブラー・ベルズ』の続編『チューブラー・ベルズII』を発表。同作は全英1位を記録した。1998年にはさらなる続編『チューブラー・ベルズIII』を発表。同作のワールドプレミアム公演には、かつてレーベル移籍問題で確執が取りざたされたリチャード・ブランソンが観客として訪れた。

2004年、マーキュリーに移籍。

2007年、自伝を出版。

2012年、ロンドンオリンピックの開会式で演奏した。

引用元:マイク・オールドフィールド - Wikipedia



















2026年5月14日木曜日

キダ・タロー



5月14日は、日本の作曲家・ピアニスト・タレント・ラジオパーソナリティである、キダ・タロー(本名・木田 太良(きだ たろう))の命日です。いわゆる「浪花のモーツァルト」と呼ばれ、数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲を作曲している。タレント活動も行っていた。2024年5月14日、死去。93歳没。

キダ・タロー(1930年〈昭和5年〉12月6日 - 2024年〈令和6年〉5月14日)は、日本の作曲家、ピアニスト、タレント、ラジオパーソナリティ。本名、木田 太良(きだ たろう)。兵庫県宝塚市出身。財団法人箕面市文化振興事業団理事。昭和プロダクションを経て、オフィスとんで最終所属(2022年7月1日より)。数多くの放送番組のテーマ曲・CM曲・企業の社歌、学校の校歌、歌謡曲を作曲し、「浪花のモーツァルト」の二つ名を持つ。妻はタレントの木田美千代。

初めて作曲したのは、18歳、または19歳の頃で、当時難波にあったキャバレー「パラマウント」の曲。その唄を歌ったのは、当時のNo.1ホステスだった「双葉」(後のかしまし娘の正司歌江)であった。

関西学院大学を中退し、プロピアニストに転向した。20代の前半頃から「義則忠夫とキャスバオーケストラ」のピアニストとしてキャバレーなどで10年間活動した。

私生活では、1964年4月に結婚。同年、『ふるさとのはなしをしよう』(歌唱:北原謙二)でレコードデビューした。

本格的に作曲活動を開始したのは20代前半の頃で、キャスバオーケストラでも作曲を担当するようになった。30歳頃を境に人気作曲家となる。

一時期は近畿の放送局が制作を手掛けるテレビ番組・ラジオ番組のテーマ曲の多くを手がけ、資料によっては「総ナメ」ともいわれる。キダによれば、音楽の用意を忘れていたらキダの所へいけ、キダならすぐに対応するだろう、という状況であったとのことである。

代表曲はテレビ番組に提供したものについては、『プロポーズ大作戦』、『ラブアタック!』、『平成古寺巡礼』(本人によればキダらしくない楽曲であるという)など。CMソングについては『プロ論。』によれば、『出前一丁』『かに道楽』、zakzakによれば『兵衛向陽閣』、関東の『小山ゆうえんち』。本人によれば、初期の作品では『エールック』のものが印象に残っているとのことである。そのほか、歌謡曲として『ふるさとのはなしをしよう』を代表曲としている。

近畿地区での業績が知られるところであるが、前述の『小山ゆうえんち』の他、三原堂(仙台市、時計宝飾店)、マツオ(北海道滝川市、松尾ジンギスカン)など他地区からの仕事も行っていた。

2024年5月14日午前6時13分、大阪府の自宅で死去した。93歳没。訃報は翌15日に円広志が代表取締役を務める所属事務所「株式会社ワイドウィンドウズ」より発表された。

引用元:キダ・タロー - Wikipedia



















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