2026年1月5日月曜日

藤岡幹大



1月5日は、ギタリスト・ソングライターの藤岡幹大(ふじおか みきお)の命日です。主にギタリストとして活動していたが、アイドルユニット「BABYMETAL」をサポートする「神バンド」でギターを担当して国際的に活動したことからその名前を一般にも知られることとなった。しかし2018年1月5日、36歳で死去。前年12月30日の天体観測中に高所から落ち、療養中に容態が急変し死亡したとしている。

藤岡 幹大(ふじおか みきお、男性、1981年(昭和56年)1月19日 - 2018年(平成30年)1月5日)は、日本のギタリスト、ソングライター。

MI JAPAN講師、仮BANDのメンバーとしても活動し、教則本『アドリブ・ギター虎の巻』シリーズの著者としても知られる。ジャンルはロックやジャズ、フュージョンなど。兵庫県南あわじ市出身。身長158cm。既婚で2女あり。

兵庫県立三原高等学校(現・兵庫県立淡路三原高等学校)進学後に同級生等とバンドを組み、アマチュア活動を開始。

高校卒業後、MI JAPAN大阪校に入学。在学時にMI JAPAN・YOUNG GUITAR主催のGIT MASTERS 2000に入賞したことがきっかけで、卒業後の2001年から同校の講師となる。2002年より同校のGIT-DX科で教鞭を執る。2005年からは東京に拠点を移し、MI JAPAN東京校に講師として就任。その後、YOUNG GUITAR誌でコラムの連載を開始。

2007年に藤岡幹大 of TRICK BOX名義にてアルバム『TRICK DISC』でデビューしたほか、教則本『アドリブ・ギター虎の巻』シリーズを創刊。その後、rain bookや小林由佳などでスタジオ・ミュージシャンとしての活動も開始する。

2012年から、Aimerがバンド形態でのライブを始めるのに合わせてサポートを開始。2013年からは、BABYMETALをサポートする神バンドでギターを担当。2014年、デビュー以降活動休止していたTRICK BOXのライブを開催。また、同年から大村孝佳のライブに不定期でゲストとして出演。

2015年11月30日、高円寺show boatでのセッションバンドが発展し、bass:BOH、drums:前田遊野とともに仮BANDを結成。2度のライブパフォーマンスを経て、1stミニアルバムを3日でレコーディングし、2017年4月26日に発売する。同年に楽器メーカーのESPより、シグネイチャーモデルギターを発売。

2018年1月5日、36歳で死去。Twitterでの報告では、前年12月30日の天体観測中に高所から落ち、療養中に容態が急変し死亡したとしている。

引用元:藤岡幹大 - Wikipedia























2026年1月4日日曜日

レイ・トーマス (元 ムーディー・ブルース)



1月4日は、イギリスのミュージシャン・シンガーソングライター・フルート奏者でプログレッシブロックバンド「ムーディー・ブルース」の創設メンバーでもある、レイ・トーマス(Ray Thomas)の命日です。1964年に結成された「ムーディー・ブルース」は当初R&Bグループだったがのちにプログレに転向、2018年まで活動を続けるが、レイ・トーマスは2002年に引退した。2013年に前立腺ガンの診断を受けたことを公表。2018年1月4日、心臓発作で亡くなった。76歳没。

Raymond Thomas (29 December 1941 – 4 January 2018) was an English musician, singer and songwriter. He was best known as a founding member of the English progressive rock band the Moody Blues. His flute solo on the band's 1967 hit single "Nights in White Satin" is regarded as one of progressive rock's defining moments. In 2018, he was posthumously inducted into the Rock and Roll Hall of Fame as a member of the Moody Blues.

(レイモンド・トーマス(1941年12月29日 - 2018年1月4日)は、イギリスのミュージシャン、シンガー、ソングライターであった。彼はイギリスのプログレッシブ・ロックバンド、ムーディー・ブルースの創設メンバーとして最もよく知られている。1967年のヒットシングル「ナイツ・イン・ホワイト・サテン」における彼のフルートソロは、プログレッシブ・ロックの決定的な瞬間の一つとされている。2018年、彼はムーディー・ブルースのメンバーとして、死後にロックの殿堂入りを果たした。)

Thomas died at his home in Surrey on 4 January 2018, at the age of 76. The official announcement, made by his record company, did not give any cause. It was later revealed that Thomas had died of a heart attack.

(トーマスは2018年1月4日にサリー州の自宅で76歳で亡くなった。レコード会社による公式発表では死因は明らかにされなかった。その後、トーマスは心臓発作で亡くなったことが明らかになった。)

引用元:Ray Thomas - Wikipedia



















ムーディー・ブルースの創設メンバー、レイ・トーマスが逝去。享年76歳 (2018/01/09) 洋楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)



2026年1月3日土曜日

吉田栄作



1月3日は、俳優・歌手の吉田栄作(よしだ えいさく)の誕生日です。いわゆる「トレンディ俳優」として「月9」などのドラマなどで80年代後期から90年代前半に活躍した。歌手としても「心の旅(チューリップのカバー曲)」などが大ヒットした。白いTシャツがトレードマーク。

吉田 栄作(よしだ えいさく、本名同じ、1969年〈昭和44年〉1月3日 - )は、日本の俳優・歌手。神奈川県秦野市出身。身長182cm、体重72kg。血液型はA型。元妻はモデルの平子理沙。現在の妻は女優の内山理名。1児の父。

店の常連客だったスタイリストからフジテレビ主催の「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」へのチャレンジを勧められ、グランプリを受賞(彦摩呂が準グランプリ)。このコンテストに来ていた東映のプロデューサーから映画『ガラスの中の少女』の後藤久美子の相手役のオーディション参加を勧められ、これにも優勝し同作で東映からでスクリーン・デビュー、これが正式に芸能界デビューとなる。また現在のワタナベエンターテインメントの社長にスカウトされて、当時の渡辺プロダクションに所属も決まる。

さらにレコード会社の東芝EMIから独立したファンハウスレコードの社長も来ていて1989年に歌手デビューも果たし、自身でも「ビッグウェーブを感じ」、とんとん拍子に成り上がる。阿部寛、風間トオルらと共にモデルやモデルオーディション上がりという、新しいタイプのイケメン俳優のハシリとなる。それまでの「モデル上がりは顔だけで中身が無い」という風潮が、彼らの俳優としての活躍により一変することとなる。

当時のトレンディドラマにも多数主演して人気を博し、1991年当時世界的に流行し始めた「クライムサスペンス」を思わせる『もう誰も愛さない』の主演は大きな反響を呼んだ。自身でも「ジェットコースターのようにどんどん展開が変わる作品で、見ているときにトイレにちょっと行って戻ったらもう3年経ってた、みたいな作品でしたね。またこの作品にはすごく残虐なシーンもあり、後に流行となるドロドロ系ドラマの先駆けだったと思います」、「このドラマは22歳のときだったんですが、その時点で僕が感化された浜田省吾さんの『MONEY』の歌詞のように、僕が16歳のとき思い描いていた夢が全部叶ったんです」などと述べている。これが後の渡米の初期衝動となる。

1990年代初期には加勢大周・織田裕二と3人で「トレンディ御三家」「平成御三家」と呼ばれ、吉田は長男格であった。しかし、あまりにも自尊心の高さをアピールする芸風が一時一人歩きし、1995年に芸能活動を一時期休止、26歳のとき、かねてより準備していたハリウッド挑戦のため渡米。英語に堪能となった。

1998年に帰国後、ドラマ『流通戦争』(NHK)で国内での俳優業に復帰。その後、2001年10月から2年半放送された『マネーの虎』(NTV)ではタレント・司会者としても人気を博する。以来、精力的にテレビドラマや新国立劇場での舞台演劇等に出演し、優れた演技で高い評価を得る。

休止していた音楽活動も、2004年8月15日に表参道FABで行われたライブより再開し、2007年にはインディーズでミニ・アルバムを発売。2009年8月5日には音楽活動20周年を記念し、「心の旅」をセルフカバーしたシングルとファンからの投票で選曲されたベスト・アルバムが同時発売された。メジャー・レーベルからのCDリリースは14年ぶり。

引用元:吉田栄作 - Wikipedia

























2026年1月2日金曜日

伊吹吾郎 (伊吹吾朗)



1月2日は、俳優・タレントの伊吹吾郎(いぶき ごろう)の誕生日です。1969年「無用ノ介」のオーディションを受け主役に抜擢。1979年「必殺仕事人」シリーズの第1作「必殺仕事人」にて畷左門役で出演。「水戸黄門」では1983年の第14部から第28部までの17年間に渡り渥美格之進役を演じる。バラエティ番組でも活躍し、2009年には「侍戦隊シンケンジャー」で日下部彦馬役でレギュラー出演した。

伊吹 吾郎(いぶき ごろう、1946年1月2日 - )は、日本の俳優・タレント・司会者。本名:伊吹 勝敏。北海道爾志郡熊石村出身。身長175cm、血液型O型。北海道釧路工業高等学校卒業、国士舘大学工学部中退。長男は伊吹康太郎。孫はプロボクサーの伊吹遼平(娘の息子)。2025年8月1日からテンダープロに所属。

1965年に日本映画テレビ演劇学院に入所、1966年第7期生東宝ニューフェイス入り、東宝俳優養成所に入所。1968年にフリーとなり、テレビドラマ『さむらい』でデビュー。

1969年、テレビ時代劇『無用ノ介』のオーディションを受け、主役に抜擢される。作者のさいとうたかをは伊吹について「風貌があまりに劇画的」だったと語っている。

1969年7月、新国劇に入座。同年10月、東映と専属契約を交わす(映画のみの専属)。岡田茂 (東映) は「風貌がいい。時代劇と現代劇の両方に出てもらう。次世代の東映を担うに足るスケールの大きさを感じる」と評した。

東映作品第一号は『五人の賞金稼ぎ』で、二作目の『殺し屋人別帳』は岡田と天尾完次が、渡瀬恒彦と伊吹のダブル主演によるバディムービーとして企画したものだった。『仁義なき戦いシリーズ』にも出演している。テレビ作品では『必殺仕事人』、『花と狼』(フジテレビ)などに出演したほか、江戸川乱歩の美女シリーズ#天知茂版では異例の3度に渡り、犯人役で出演。『江戸川乱歩の黄金仮面/妖精の美女』(シリーズ第6作、1978年)、『江戸川乱歩の黄金仮面II/桜の国の美女』(シリーズ第11作、1980年)では共に黄金仮面を演じた。

『水戸黄門』で1983年の第14部から第28部までの17年間に渡り渥美格之進役を演じる。同番組にはレギュラー抜擢以前の第1部(第26話、1970年1月26日)からゲスト出演しており、2000年にレギュラーを降板してからも度々出演している。なお、出演時には伊吹吾朗名義を用いていた。但し、伊吹吾朗名義を用いたのは第26部までで、第27部以降は伊吹吾郎に戻している。

『水戸黄門』のレギュラー降板後はバラエティ番組にも進出しているが、「真面目で堅物」というイメージ通りの人柄や不慣れなことを逆手にとり、「ぎこちない作り笑顔で、台本の進行コメントやカメラ前に出されるカンニングペーパーを、大仰な芝居口調で読むMCぶり」や「フリートークでの悪戦苦闘ぶり」が人気を呼んだ。中でも2007年4月から放送された『環境野郎Dチーム』(フジテレビ)では、Dチームリーダー兼MCとして「ブッキー」の愛称で親しまれた。

2009年には『侍戦隊シンケンジャー』に、日下部彦馬役でレギュラー出演。

引用元:伊吹吾郎 - Wikipedia

























2026年1月1日木曜日

高田渡



1月1日は、フォークシンガーの高田渡(たかだ わたる)の誕生日です。60年代後期からフォークシンガーで歌い、URCレコードから五つの赤い風船とのカップリングアルバムでレコードデビュー。LPは「汽車が田舎を通るそのとき」、シングルは「大・ダイジェスト版 三億円強奪事件の唄」「転身」「自衛隊に入ろう」などをリリース。のちにベルウッド・レコードから「ファーストアルバム ごあいさつ」などをリリースした。1971年の第3回全日本フォークジャンボリーに「武蔵野タンポポ団」として出演した。息子の高田漣もミュージシャンとして活躍する。2005年4月3日、北海道白糠町でのライブ終了後に倒れ同月16日心不全により死去。56歳没。

高田 渡(たかだ わたる、1949年〈昭和24年〉1月1日 - 2005年〈平成17年〉4月16日)は、日本のフォークシンガー。

使用楽器はギター、マンドリン、オートハープ。1969年以降の関西フォークムーブメントの中心人物として活躍した。息子の高田漣もミュージシャンとして活躍する。

中卒であかつき印刷に就職、佐賀県鹿島市の親戚の家での生活、新宿での一人暮らし、東京都立市ヶ谷商業高等学校夜間部への通学などを経て、フォークシンガーとなる。

ごく初期の頃は詩作もしたが、次第に山之口貘、金子光晴、草野心平、石原吉郎らの現代詩をアメリカの曲にのせる手法を採るようになった。また、添田唖蝉坊や添田知道の明治演歌を自己流に作品化している。「大・ダイジェスト盤 三億円強奪事件の唄」や「自衛隊に入ろう」「東京フォークゲリラの諸君達を語る」「事だよ」など、時事の話題を辛辣に滑稽に取り上げ、皮肉たっぷりの作風は大いに客を惹きつけた。自衛隊は一時、「自衛隊に入ろう」を、本当に自衛隊への入隊を勧誘していると勘違いしていた。しかし時事的で直接的な表現による曲は次第に歌わなくなった。その後は「正面切って自分の主張をぶつけるよりも、自分の日常生活をそのまま歌うことが最高のプロテストソングではないか」と考えるようになり、「生活の柄」「夕暮れ」「仕事さがし」などの楽曲が生まれている。

吃音があり、幼少期は声が自然に出てこなかったが、歌うことにより克服した。また少年期からいくつかの持病があり、病院に通っていた。「人間は、なにかコンプレックスがあると、ほかの方法でそれを乗り越えようとする。その方法というのが僕にとっては歌だったのかもしれない」と著書で語っている。決して偉ぶらず、対等な関係を維持していた。ゆえに高田を師と慕う者は、同時に友人であるとも語る。

ギター演奏の名手であり、マンドリンやバンジョー、オートハープまで弾きこなすが、演奏する楽器の音は、あくまで歌の伴奏であるべきと考えていた。自らが決して恵まれない境遇から出発した人生であり、また覚悟を決めたアーティスト活動だったこともあり、岩井宏や早川義夫など、途中で音楽活動を引退しようとした仲間には、「いま辞めるのは卑怯だ」と喝破した。

加川良は「下宿屋」という曲で、高田の理念や信念を題材として採り上げている。遠藤賢司は自身のブログで、晩年の高田が酒を飲んでステージ上で寝てしまうエピソードを面白半分に採り上げられたことは残念であると綴っている。

2005年4月3日、北海道白糠町でのライブ終了後に倒れ、隣の釧路市内の病院に入院。同月16日午前1時22分、入院先の病院で心不全により死去した。56歳没。

引用元:高田渡 - Wikipedia

























人気の投稿(過去7日間)