2025年10月7日火曜日

安倍理津子 (安倍律子・安倍里葎子)



10月7日は、歌手の安倍理津子(あべ りつこ)の誕生日です。旧芸名は安倍律子、安倍里葎子。1970年に「愛のきずな」でデビューし第12回日本レコード大賞新人賞などを受賞。デビュー当時に付いたキャッチフレーズは「Oh!ビューティフル・タッチ」。現在までに俳優とのデュエット曲など多数生み出している。

安倍 理津子(あべ りつこ、本名:熊木 律子、1948年10月7日 - )は、日本の歌手。旧芸名は安倍律子。一時期、あべりつこ、安倍理葎子名義、その後、安倍里葎子で活動。2020年3月11日、再び安倍理津子に改名。所属事務所はオフィス里葎子。所属レコード会社はテイチクエンタテインメント。

あべりつこ、の時に結婚した。

北海道札幌市出身。札幌香蘭女子学園高等学校卒業。血液型:A。

音楽喫茶でマスターと昵懇だった平尾昌晃に1969年の夏に声をかけられ、1970年3月に上京し、レッスンが始まる。1970年8月1日にキングレコードより発売されたデビューシングル『愛のきずな』のヒットにより、第12回日本レコード大賞新人賞などを受賞。デビュー当時に付いたキャッチフレーズは「Oh!ビューティフル・タッチ」。「水着姿以外の取材はお断り」という宣伝戦略も話題になった。その後『愛のおもいで』『お嫁に行くなら』などのシングルがヒットした後、低迷期が続く。

芸名の「安倍」は、中学生の時に1人だけ、本名の熊木の熊(bear)に因んで自分を「ベアちゃん」と呼ぶ友人がいたことから、ベアを芸能界の業界用語のようにひっくり返してアベにしたことからによる。また、当時新人歌手を選ぶとき先生方が「あ」から聞いてゆくという事で事務所が「あ」で行こうとなった。

1983年、橋幸夫の新作としてデュエット曲『今夜は離さない』制作に当たって作詞家から相手役オーディションの誘いを受け、先入観をなくすために名前を伏せて録音した数人の音源を聞いた中から橋幸夫らによって安倍が選出される。しかし、同曲ヒット後に自分ひとりでもやれると考えて橋の事務所から一方的に離脱。以降、松方弘樹、桜木健一、林与一、誠直也らとデュエット曲を発表、「デュエットの女王」の異名を得る。

現在もリサイタル・ディナーショーなどで歌手活動を継続している。なお2014年に不義理をしてしまっていた橋と和解している。

都内港区在住。

2020年3月11日、母親の誕生日である3月11日に東日本大震災が発生したこともあって、「多くの皆様に夢をもっていいただける歌を歌っていきたい。2020年がデビュー50周年なので、これを機に心を新たにしてさらに精進していきたい」との思いで安倍里葎子から安倍理津子に改名。

趣味は韓国ドラマ視聴、パチンコ、100均での爆買い。

引用元:安倍理津子 - Wikipedia

























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