2023年5月31日水曜日

勝村美香



5月31日は、元女優の勝村美香の誕生日です。2000年のスーパー戦隊シリーズ「未来戦隊タイムレンジャー」でユウリ/タイムピンク役を演じ、後に友井雄亮と結婚、子供を授かるが2008年に離婚となった。

勝村 美香(かつむら みか、1980年5月31日 - )は、日本の元女優。旧芸名は奥山 千世(おくやま ちせ)。

茨城県水戸市出身。アスタリスクに所属していた。

地元で舞台活動を始め、中学卒業後に上京。1997年に奥山千世の芸名で映画『バウンス ko GALS』でデビュー。一度半年ほど故郷に帰ったこともあったが、その後現在の名前で復帰し女優、タレントとして活躍。

2000年から2001年までに放送された、スーパー戦隊シリーズ『未来戦隊タイムレンジャー』でユウリ / タイムピンク 役を演じ、知名度を得た。

2001年に公開された自主制作連続ドラマ『演じ屋』へ参加。『タイムレンジャー』で共演した倉貫匡弘と笠原紳司と再共演を果たす。

2004年から2005年までに放送された、バラエティ番組『メンB』にレギュラー出演。

2006年1月17日に友井雄亮と結婚。同年8月7日に女児を出産。結婚発表後から産休に入っていたが、2007年3月31日、所属事務所ヴァーサタイルエンタテインメントを辞め、当面は育児に専念することを発表したものの2008年に友井雄亮と離婚。

2008年10月より芸能活動を再開し、アスタリスクに所属。2014年、アスタリスクを退所し、芸能界を引退。

趣味は読書、散歩。特技は書道(十段)、アクション、歌。

引用元:勝村美香 - Wikipedia




未来戦隊タイムレンジャー - Wikipedia ユウリ/タイムピンク







2023年5月30日火曜日

小林亜星



5月30日は、作曲家・俳優・タレント・ミュージシャンの小林亜星の命日です。2021年5月30日没。88歳。

小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11日 - 2021年〈令和3年〉5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家、俳優、タレント。日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。

CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯に6,000曲以上を残した。1976年「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。

妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。

出世作のレナウンのコマーシャルソング「ワンサカ娘」(歌:弘田三枝子)は、当時レナウンの宣伝部に在籍していた実妹(川村みづえ:イエイエのCMのイラストは川村の作品)の紹介で実現したという。これ以後、その作曲数では三木鶏郎に及ばないものの、CMソングを中心とした作曲活動を展開するようになり、数多くの作品を世に送った。『ふりむかないで』『ワンサカ娘』『日生のおばちゃん』『この木なんの木』など、長いあいだ放映されて多くの日本人の耳になじんでいるCMソングが多い。

向田邦子の代表作であるテレビドラマ『寺内貫太郎一家』が俳優デビューとなり、「すぐ、ちゃぶ台をひっくりかえすような」頑固な親父「寺内貫太郎」役で、大きな印象を残している。

1980年(昭和55年)1月から1984年(昭和59年)10月までテレビのクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』(テレビ朝日)に、男性軍キャプテンとしてレギュラー出演。

1998年(平成10年)、服部克久作曲の「記念樹」が小林の作曲した「どこまでも行こう」を剽窃(盗用)しているとして小林が訴えて服部と法廷で争う形で裁判になった(記念樹事件)。司法では最終的に小林の主張が認められた。

1999年(平成11年)、フジテレビ系アニメ『∀ガンダム』の第1クール〜第3クール分まで(第2話〜第38話まで)のオープニングテーマ、小林からの推薦により、『寺内貫太郎一家』で親子を演じた西城秀樹が歌うことになった作品が「ターンAターン」である。

2021年5月30日早朝、自宅で倒れていたところを発見され東京都内の病院へ緊急搬送されたが、心不全のため、同日死去。88歳没。 小林とタッグを組んで数多くの作品を出していた作詞家の伊藤アキラが2週間前の5月15日に死去し、追悼のコメントを出してまもない時期でもあった。

引用元:小林亜星 - Wikipedia






寺内貫太郎一家 - Wikipedia





2023年5月29日月曜日

岡田眞澄



5月29日は、俳優・タレントの岡田眞澄の命日です。2006年5月29日没。70歳。

岡田 眞澄(おかだ ますみ、1935年〈昭和10年〉9月22日 - 2006年〈平成18年〉5月29日)は、フランス生まれの日本の俳優・タレント。愛称は「ファンファン」。

日本人画家岡田穀(おかだみのる、1888年生)とデンマーク女性インゲボルグ・シーヴァルセン(仕立て職人の娘、人魚姫の像の体のモデル・エリーネ・エリクセンの妹)を両親に持ち、フランス・ニースで生まれる。2人兄弟の次男。兄はタレントのE・H・エリック。

1955年公開の『初恋カナリア娘』でデビュー。

1957年(昭和32年)に日本初の男性専門(後に女性も所属)のモデル・クラブであるSOSモデルエージェンシーを菅原文太ら総勢8名で結成する。

日活退社後はにんじんくらぶ・劇団欅を経て、以後、数々のミュージカルの舞台作品やテレビやショーといったバラエティ番組の司会者などで活躍し、幅広く芸能活動を行う。特に、『とんねるずのみなさんのおかげです』の一コーナー「仮面ノリダー」では、敵役「ファンファン大佐」を演じたことで、幅広い年齢層から人気を得た。出演が決まった際には、1980年代にCMに出演した縁で靴のマドラスに小道具のブーツを特注で製作してもらい、愛用したという逸話がある。

萩本欽一とは古くから親交があり、大映ドラマ『シークレット部隊』の第一回放送では萩本と悪役でゲスト共演を果たし、後に始まった『欽ちゃんの仮装大賞』でも長年に渡りレギュラー審査員を務めた。

中年以降は口髭を蓄えてヨシフ・スターリンに酷似した容貌となり、実際に演劇でスターリンを演じたことがある(『夢、クレムリンであなたと』・1991年初演)。

「ファンファン」という愛称は、当時の人気俳優、ジェラール・フィリップの当たり役および愛称にあやかって名づけられたもの。『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系列)の「仮面ノリダー」のコーナーで「ファンファン大佐」というキャラクターに扮したことから、世間一般にも広まった。

2005年7月23日、食道癌が見つかり入院する。レギュラー出演していた中京テレビ(日本テレビ)のクイズ番組『サルヂエ』(「サルさん」として藤井隆と共に司会を担当)は、2005年7月11日放送分で降板した。

一時期快方に向かい芸能活動を再開、レギュラーだった同局系の『午後は○○おもいッきりテレビ』にも徐々に出演するようになった。しかし同年秋にリンパ節へのがんの転移が判明し、再び入院。2006年5月29日午前4時5分、食道癌のため東京都内の病院で亡くなる。70歳没。

引用元:岡田眞澄 - Wikipedia










仮面ノリダー - Wikipedia



2023年5月28日日曜日

天馬ルミ子



5月28日は、元歌手の天馬ルミ子(てんま るみこ)の誕生日です。

天馬 ルミ子(てんま るみこ、1964年5月28日 - )は、日本の元歌手。本名は小林るみこ(こばやし るみこ、旧姓:天間舘 - てんまだて)。神奈川県川崎市出身。品川高等学校(現在の品川女子学院高等部)卒業。身長167cm。血液型O型。妹が3人おり、そのうちの一人ははモデルの天間舘典子。娘は天馬桜子。

徳間音楽工業、CBS・ソニー、ユーズミュージックに所属した。

幼少期より日本舞踊、ピアノ、歌を習い、3歳の時に劇団ひまわりに所属。小学校4年生で平尾昌晃音楽学院へ入学、小学校6年生でデビューが決定する。

1977年、NHK総合テレビ「レッツゴーヤング」のサンデーズでデビュー。

1978年1月25日、ピンク・レディーの「妹分」として『教えてください、神様』で歌手デビュー。

デビュー後は「ぎんざNOW!」など多くのレギュラー番組に出演した。T&Cミュージックの倒産にともない、ミュージカル「春香伝」出演以外、一時学業に専念。

1983年、CBS・ソニーよりシングル『ヨコハマ・フラリ』(B面『裏窓』)を発売、活動を再開。もうひとつの夢であった喫茶店を経営するため調理師免許を取得。「ひょうきん予備校」などバラエティ番組にもレギュラー出演。

1992年、結婚。

2008年、デビューから30年を記念して自作曲『化粧前』を発表。

夫が経営する有限会社小林硝子店を手伝いながら「RUMIKO美人塾」を主宰。ボイストレーニングを中心に美しく生きるヒントをブログなどで紹介していた。

2017年11月2日、体調不良により休養することと、かわさきFMの番組も10月31日をもって終了したことをブログで報告。

引用元:天馬ルミ子 - Wikipedia













2023年5月27日土曜日

相本久美子 (近藤久美子)



5月27日は、女優・タレント・アイドル歌手の相本久美子の誕生日です。

相本 久美子(あいもと くみこ、1958年5月27日 - )は日本の女優、タレント、アイドル。本名:倉内 久美子(くらうち くみこ)。旧姓:相本。旧芸名:近藤久美子。血液型:B型。身長:160cm。

東京都港区出身。所属事務所はスペースプロ → 芸映プロダクション、歌手活動当時のレコード会社はCBSソニー → 東芝EMI。

中学3年在学中の1973年9月1日、牧葉ユミのサイン会場に於いて牧葉本人から直接スカウトされ、1974年9月21日、「近藤久美子」の芸名とシングル『小さな抵抗』で歌手デビューする。

1975年、雑誌の企画で西城秀樹と共演したことがきっかけで芸映プロに移籍する。相本によれば複数の新人歌手と西城との連載企画だったが、取材終了後、西城が芸映に彼女の移籍を推薦したという。

1976年、芸名を本名の「相本久美子」に改名。以降、歌・ドラマ・司会・雑誌のグラビアと多方面で活躍し、マルチタレントの先駆け的な存在となった。

代表的な仕事としては1976年から1981年まで務めた『TVジョッキー』の司会が挙げられる。メイン司会の土居まさるの補佐兼マスコット的なポジションだったが、(番組内の「奇人・変人コーナー」の参加者の去り際に相本が言う参加賞の「白いギターとジーンズをお持ち帰り下さい」は常套句であった)この番組は生放送だったこともあってハプニングが絶えず、頭の回転が速い彼女は時に、蛇が苦手だった土居(出てくると場を放棄して逃げていた)に代わって進行を取り仕切ったことも多々あった。 また、当時『TVジョッキー』の衣装にミニスカートを選ぶことが多く、均整の取れたスタイルと長い手足にミニの衣装や水着がよく映えたことから、この時期、数多くの雑誌のグラビアや表紙を飾ることになった。

歌手活動に関しては、彼女自身の歌唱は一定の水準を満たしていたが、事務所移籍後、積極的に取り組んだのが二十歳前後と、アイドル歌手としてはやや年齢が高かった。またアイドル歌謡全体がニューミュージックの台頭で一時停滞し、その後いわゆる1980年デビュー組によって一気に世代交代した時期と活動期間が重なったこともあり、レコードセールス的には振るわず、各種賞番組に絡むことはなかった。

引用元:相本久美子 - Wikipedia








「近藤久美子」名義の1974年9月21日発売のデビュー曲「小さな抵抗」





2023年5月26日金曜日

岩井由紀子 (ゆうゆ)



5月26日は、「おニャン子クラブ」元メンバー(会員番号19番)で元「うしろゆびさされ組」、元タレント・歌手・女優の岩井由紀子の誕生日です。元芸名は「ゆうゆ」。

岩井 由紀子(いわい ゆきこ、1968年5月26日 - )は、日本の元タレント、歌手・女優。愛称はゆうゆで、1987年から1994年の間は芸名として用いていた。

神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。

アイドルグループ『おニャン子クラブ』の元メンバーで、会員番号は19番。

1985年6月21日に『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)のオーディションに合格、おニャン子クラブ会員番号19番として活動を始める。ファーストアルバム『KICK OFF』からジャケット写真に参加。ゆうゆの愛称で親しまれ、後に同じくおニャン子クラブ会員番号16番の高井麻巳子と共に『うしろゆびさされ組』を結成。1986年7月、おニャン子クラブの5thシングル「お先に失礼」でフロントボーカルに選ばれる。その後もシングル、アルバムの多くの楽曲でフロントボーカルを担当し、中・後期のおニャン子クラブの中心的存在の一人となる。

事務所は渡辺プロダクションに所属し、1987年3月25日には「天使のボディーガード」でソロデビュー。高井麻巳子の卒業に伴い、同年4月、うしろゆびさされ組は解散。同年9月20日おニャン子クラブが解散した後、愛称のゆうゆを芸名にする。『歌え!アイドルどーむ』(テレビ東京)メインMC、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)レギュラーなど、バラエティ番組を中心とするバラドルとして活動。

1994年、「大人のタレントとして活動するため」と芸名を本名の岩井由紀子に戻す。

1997年、青年実業家と結婚し、芸能界を引退。後に2児の母となる。

2002年、おニャン子クラブの再結成に参加し、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ)、『FNS歌謡祭2002』(フジテレビ)に出演。

引用元:岩井由紀子 - Wikipedia










うしろゆびさされ組 - Wikipedia



2023年5月25日木曜日

志田こはく



5月25日は、女優の志田こはくの誕生日です。2022年にスーパー戦隊シリーズ「暴太郎戦隊ドンブラザーズ」で鬼頭はるか/オニシスター役を演じ話題となる。

志田 こはく(しだ こはく、2004年〈平成16年〉5月25日 - )は、日本の女優。埼玉県草加市出身。エープラス所属。

実姉はタレント、グラビアモデル、女優の志田音々。

小学5年生から中学2年生までフィギュアスケートに本気で取り組んでいたが、ケガをしたことでやめる。その時点で姉の志田音々はすでに芸能活動をしていたことから、「私もやってみたい」と思い始めて芸能界を目指すようになる。

2020年、ミス・ティーン・ジャパンに出場。結果は関東大会敗退だったが、会場での姿が現事務所の目に留まり、芸能界入り。

2021年、「ミスセブンティーン2021」のファイナリストに選ばれる。

2022年、舞台『六番目の小夜子』で俳優デビュー。同年3月6日、スーパー戦隊シリーズ『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』の鬼頭はるか / オニシスター役で連続テレビドラマ初出演。同年3月19日に発売された『週刊プレイボーイ』14号にて初表紙を飾り、初グラビアにして初めてとなる水着姿も披露した。

幼少期は外で遊ぶことが多かったため、アニメや特撮はあまり見てこなかったが、『ドンブラザーズ』のオーディションを受けるにあたって所属事務所の先輩である新條由芽が出演していた『魔進戦隊キラメイジャー』を観て勉強したという。

引用元:志田こはく - Wikipedia






暴太郎戦隊ドンブラザーズ - Wikipedia







2023年5月24日水曜日

ラッシャー木村



5月24日は、プロレスラーのラッシャー木村の命日です。2010年5月24日没。68歳。

ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimura、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、元大相撲力士。本名:木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。

後期のエースを務めた国際プロレスでは「金網デスマッチの鬼」の異名を持つブルファイターとして活躍し、新日本プロレス参戦時は国際軍団の総帥としてアントニオ猪木と抗争を繰り広げ、全日本プロレスおよびプロレスリング・ノア在籍時はユーモアあふれるマイク・パフォーマンスで親しまれた。

2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。

佐久中学校を経て北海道天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生であった。夢であるプロレスラーになるための基礎体力作りとして、高校を中退して大相撲の宮城野部屋に入門。

1958年3月場所にて、木ノ村(きのむら)の四股名で初土俵を踏む。幕下20枚目まで昇進したが「十両に上がったら辞められなくなる」という理由で1964年9月場所限りで、親方(元横綱・吉葉山)の慰留を振り切り脱走して廃業した。

大相撲廃業後、1964年10月に日本プロレスに入団。1965年4月2日、リキ・スポーツパレスに於いて、高崎山猿吉戦でデビューする。

豊登の付き人をしていた関係から、翌1966年に豊登が興した東京プロレスの旗揚げに参加し、1967年の東京プロレス崩壊後は吉原功に口説かれて国際プロレスに移籍。1969年1月1日にリングネームをラッシャー木村に改名。

1981年10月、国際の解散に伴い、残党のアニマル浜口、寺西勇と共に新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木との抗争を開始。当初は国際のメンバーは新日本に参戦し、新日本対旧国際の団体対抗戦が行われるはずだったが、新日本の手法に反感を持っていたマイティ井上らが全日本プロレスへの移籍を選択した為、最終的に新日本に登場した選手は木村、浜口、寺西の3人だけとなった。1981年9月23日、田園コロシアム大会に来場し、メインイベント前に決意表明を示す場を与えて貰ったが、木村の真面目な性格によって「こんばんは事件」が発生。この出来事が「マイクの鬼」と呼ばれ、マイク・パフォーマンスが代名詞となるきっかけになった。

馬場の病没後、全日で再度顕在化した内紛から、プロレスリング・ノアに旗揚げメンバーとして参加。

2001年に還暦を迎えて生涯現役を宣言。翌年には馬場を抜いて日本人最高齢のレスラーとなるが、最晩年にはまったく攻撃をしないまま、マイクパフォーマンスのみで終わる試合もあるなど精彩を欠き、2003年3月1日の武道館大会を最後に体調不良により長期欠場に入る。

2004年7月10日、体調の悪化と「これ以上関係者に迷惑をかけられない」との理由で東京ドーム大会にビデオレターを送って引退を表明。以降、公の場から姿を消した。

2010年5月24日、腎不全による誤嚥性肺炎のため死去。68歳没。関係者によると現役引退直後に脳梗塞で倒れ、車椅子生活であったという。

引用元:ラッシャー木村 - Wikipedia











2023年5月23日火曜日

梅本静香



5月23日は、女優・タレントの梅本静香の誕生日です。

梅本 静香(うめもと しずか、1993年5月23日 - )は、日本の女優、タレント。東京都出身。エージェントはJIN-YA。かつては、ケイダッシュグループのアワーソングスクリエイティブに所属していた。

小学5年の時、チャームキッズにスカウトされ、ジュニアアイドル全盛期に活躍。

2007年1月、チャームキッズとの間に契約違反(ホームページの利用)を犯したため、同年2月から4月にかけて芸能活動を中断していた。

2008年、「ミスマガジン2008」読者特別賞を受賞。同時にミスマガジンフットサルチームにも所属。背番号は「20」だった。

2009年8月1日、所属事務所ネクステージからの卒業を発表。学業に専念しタレント活動を停止。

2011年10月18日よりエヴォルトに所属し芸能活動を再開。同年12月1日、アメーバブログにオフィシャルブログ「しずかな時間」を開設。

2014年10月20日、エヴォルトを退社。これに伴い同年10月30日付で『家電's Walker』のレギュラーを降板し、12月20日にブログ「しずかな時間」を閉鎖。

2015年2月1日、アワーソングスクリエイティブに所属並びにオフィシャルブログ「Sourire」(スーリール)を開始。

2017年より活動を本格的に女優業にシフトし、同年4月より、スクウェア・エニックス初の実写舞台化30-DELUX SQUARE ENIX Special Theater「ロマンシング サガ THE STAGE 〜ロアーヌが燃える日〜」にて佐藤アツヒロ演じるシャールの相手役ミューズを演じ話題になる。更に同年10月より、スカパー!GAORA SPORTS『島RUN』のメインMC(初冠番組)を務める。

2019年1月8日から放送・配信開始の藤原竜也主演、TBS×Paraviのスペシャルドラマ「新しい王様」にて、Season1とSeason2を通してレギュラー出演。

引用元:梅本静香 - Wikipedia













2023年5月22日月曜日

嶋大輔



5月22日は、タレント・俳優・歌手の嶋大輔の誕生日です。銀蝿の弟分としてデビュー後、1988年にスーパー戦隊シリーズ「超獣戦隊ライブマン」にて主役の天宮勇介/レッドファルコン役を演じる。

嶋 大輔(しま だいすけ、1964年5月22日 - )は、日本のタレント、俳優、歌手。

本名は森島 裕文(もりしま ひろふみ)。兵庫県西宮市出身(公式では神奈川県横浜市)。enjoy所属(業務提携先はバグジーヒーローズクラブ)。身長183cm。平塚学園高等学校中退。俳優の圭叶は長女。

横浜銀蝿のコンサートを見に来ていたところ、マネージャーにスカウトされて芸能界に入る。1981年、横浜銀蝿の「ツッパリハイスクールRock'n Roll(試験編)」で銀蝿の弟分としてデビュー。同年、テレビドラマ『茜さんのお弁当』に出演し、俳優デビューを果たす。

翌1982年には「Sexy気分の夜だから」にてソロ歌手としてデビューし、嶋も出演した石立鉄男主演のドラマ『天まであがれ!』の主題歌となったシングル「男の勲章」が70万枚または約98万枚の大ヒットとなり、一躍有名となる。第15回日本レコードセールス大賞・男性新人賞も受賞し、10代を中心に人気を得る。

1988年には「スーパー戦隊シリーズ」『超獣戦隊ライブマン』に天宮勇介/レッドファルコン役で主演を務め、自ら主題歌も担当。2001年には、同役でVシネマ『百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊』に出演。

1994年に結婚。2000年に長女、2007年に次女が誕生。長女・圭叶(旧芸名・森島圭叶)は女優として活動している。

俳優としてテレビドラマ・映画などに出演する他、タレントとしてバラエティ番組でも活躍。特に近年では、ドラマ『木更津キャッツアイ』や『めちゃ×2イケてるッ!』のコーナー「数取団」で「男の勲章」が頻繁に使用されたことから嶋の再評価に繋がり、2003年に「男の勲章」をセルフカバーしリリース。

2005年「男の勲章」の続編「大人の勲章」をインディーズで発売し、オリコンシングルチャート初登場20位、インディーズチャート初登場1位を記録した。2006年9月には、セルフカバー・アルバム『夜露死苦 戦極襲(よろしく せんきょくしゅう)』を発売した。

2020年9月、ライザップのCM出演依頼をきっかけにダイエットを始め、104kgあった体重を15.7kg減らした。

引用元:嶋大輔 - Wikipedia










超獣戦隊ライブマン - Wikipedia



2023年5月21日日曜日

山崎怜奈 (元 乃木坂46)



5月21日は、元「乃木坂46」2期メンバーであった、タレント・ラジオパーソナリティーの山崎怜奈の誕生日です。

山崎 怜奈(やまざき れな、1997年〈平成9年〉5月21日 - )は、日本のタレント、クイズプレイヤー、ラジオパーソナリティであり、女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバーである。マウントケープ所属。東京都江戸川区出身。身長164 cm。血液型はB型。郁文館中学校・高等学校、慶應義塾大学環境情報学部卒業。

2013年(平成25年)3月28日、乃木坂46の2期生オーディションに合格して加入。 同年5月10日、赤坂ACTシアターで行われた劇場公演『16人のプリンシパル deux』の昼公演で乃木坂46の2期生として披露された。本人曰く中学時代は国立大学を目指すガリ勉少女で芸能界には興味はなく、オーデション用紙も親が送ったという。

乃木坂46随一の歴女として知られ、大河ドラマや歴史小説が好き。高校の教科書は2冊買い、うち1冊には余白に登場人物の相関図などを書き込み、ドラマ感覚で学んだ。坂本龍馬、蒲生氏郷、渋沢栄一などが好きと公言している。

クイズを趣味としており、『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』をはじめとするクイズ番組に度々出演している他、カズレーザー主催のクイズ勉強会にも参加している。

2020年10月には世界遺産検定2級を取得した。また、大学時代に中国語の習得を始め、「乃木坂46が中国でライブをできるようになった時、グループの役に立ちたい」との理由から、HSK(漢語水平考試)3級を取得した。

TOKYO FM(エフエム東京)の生放送ワイド昼帯番組『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』の放送開始以降、ラジオパーソナリティとしても広く注目されるようになった。

TBSラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』のパーソナリティを務めるジェーン・スーからは「ラジオに愛されることが決定した声」、JFN『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』のパーソナリティを務める有吉弘行からは「上手にやる」「勉強したいぐらい」、FMヨコハマ『SHONAN by the Sea』のパーソナリティを務める秀島史香からは2022年6月22日『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』の14時台ゲストコーナー出演後に更新した自身のブログにて「自分の言葉で話すことに向き合っている方は、かっこいいな。」と評している。

愛称は、れなち、れなちさん、ザキさんなど。

関係者からの愛称が非常に多く、本人曰く2018年2月時点で30個を超えている。れなっさん、ザキ、ザキち、ざきっち、ざきちゃん、ざきちょん、ざきんちょ、ざきやまちゃん、など。

CBCラジオ『#むかいの喋り方』内ではTokyo FMでワイド番組のパーソナリティーを務めているということで「帯姉」と呼ばれている。

2022年(令和4年)6月13日、『山崎怜奈の誰かに話したかったこと。』(TOKYO FM)の番組内で、同年7月17日をもって乃木坂46を卒業することを発表した。同年8月22日、乃木坂46公式サイト内の公式ブログが閉鎖。

引用元:山崎怜奈 - Wikipedia




山崎怜奈の誰かに話したかったこと。- 山崎怜奈 - TOKYO FM 80.0MHz









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