2025年7月3日木曜日

石川浩司 (たま・パスカルズ・パーカッション担当)



7月3日は、日本のシンガーソングライター、空き缶収集家で、90年代に活躍したフォークロックバンド「たま」でパーカッションを担当していた、石川浩司(いしかわ こうじ)の誕生日です。坊主頭でランニングシャツ・半ズボンがトレードマークとなっている。

石川 浩司(いしかわ こうじ、1961年7月3日 - )は、日本のシンガーソングライター、空き缶収集家。東京農業大学第二高等学校卒業、和光大学人文学部中退。たま時代の通称はたまのランニング。

音楽仲間の山下由と共に、彼らの表現の場として定例イベント「地下生活者の夜」を主催。自身も山下やその場にいる観客を加えた「ころばぬさきのつえ」というバンドを結成する。このころ、石川のライブの観客だった柳原陽一郎が突然自宅に訪れ、麻雀仲間として付き合いが始まった。

「地下生活者の夜」の出演者は、ほとんどがソロアーティストだったため徐々にマンネリ化していく。そんな折、25回目のイベント開催時、出演者同士による即席バンド結成を提案される。この時に石川と組むことになったのが知久と柳原であり、のちの「たま」結成へ繋がった。

たまでは、パーカッショニストとして活動。太鼓の他に湯桶や鍋などを打楽器として用い、「マダムソース」の前掛けをあしらった独自のパーカッションセットを使用。その音楽はシュールな歌詞に、アコースティックなサウンドを合わせた個性的なものだった。楽曲によってはオルガンなども演奏する。TBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』出身バンド(イカ天バンド)の代表格となり、ヒット曲「さよなら人類」で1990年のNHK紅白歌合戦へ出場。バンド内では、テレビドラマ『裸の大将放浪記』にて芦屋雁之助演じる山下清に類似した、坊主頭と白のランニングシャツ(タンクトップ)・半ズボンの服装がトレードマークであった。

バンドブーム終焉後も地道な活動を続けたが、たまは2003年10月に解散し、新たな活動を模索していく。ソロや他ミュージシャンとの共演をはじめ、一般からの依頼による「出前ライブ」などを行った。そのほか、同じくたまのメンバーだった知久と共に音楽ユニット「パスカルズ」として活動。ヨーロッパなど多くの海外公演を行い、フランスの新聞「ル・モンド」で紹介され、現地の音楽チャートにて1位を獲得。日本では『凪のお暇』『妻、小学生になる。』などの劇伴音楽を担当している。

パーカッションを始めたきっかけは、20歳ごろイベント時にふざけて後ろで叩くのに良いだろうと、偶然燃えないごみの日に捨てられていたスネアドラムを拾ったことにはじまる。そのスネアドラムを所有するという理由からバンド結成の際にパーカッション担当となった。石川は「ちゃんとしたドラムは1回も叩いたことない」と発言している。

引用元:石川浩司 - Wikipedia














たま (バンド) - Wikipedia



2025年7月2日水曜日

浅丘ルリ子



7月2日は、女優の浅丘ルリ子(あさおか ルリこ)の誕生日です。昭和を代表する女優の一人である。

浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名:浅井 信子(あさい のぶこ)、1940年〈昭和15年〉7月2日 - )は、日本の女優。血液型はA型。前夫は石坂浩二。カラント(舞プロモーション関連)所属。

読売新聞に連載されていた北条誠の小説(挿絵は中原淳一)『緑はるかに』を水の江瀧子プロデュース・井上梅次監督で映画化するに当たって、ヒロインのルリコ役を募集しているのを千代田区立今川中学校在学中の1954年(昭和29年)夏に知り、両親賛成のもと応募。11月23日に面接が行われ約3,000人の中から中原淳一が浅丘のメイクを見て「この子だ」と言い、強力な推薦によって選ばれ銀幕デビュー。芸名は、『緑はるかに』のヒロインのルリコと、本人の本名から「浅」の1字をとり、『緑はるかに』のイメージから「丘」という字をつけて、「浅丘ルリ子」となった。「ルリコカット」が当時の女性たちの間で大流行し、瞳の大きな美少女として脚光を浴びる。

日本映画全盛期の日活アクション映画における代表的なヒロインであり、小林旭の『渡り鳥』『流れ者』『銀座旋風児』の三大アクション・シリーズや、石原裕次郎のムード・アクション・シリーズ(『赤いハンカチ』(1964年)、『夕陽の丘』(1964年)、『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)等)など多数の作品でヒロイン役を演じた。

1964年には「夕陽の丘」でレコードデビューした。日活の看板女優として数多くの映画に出演し、人気を博した。現在までの映画出演本数は150本以上。

1966年には日活との専属契約を解消し、石原プロへ入社。1972年、石原プロが劇場用映画製作から撤退したことにより石原プロ退社。また、映画の主題歌などを中心に歌手としても多くの曲を発表、1969年のシングル『愛の化石』はヒットした。

その他にも、『太平洋ひとりぼっち』、『水で書かれた物語』、『私が棄てた女』、『栄光への5000キロ』、『戦争と人間・第一部〜第三部』、『告白的女優論』、『鹿鳴館』、『博士の愛した数式』などの映画の話題作に出演した。特に、映画『男はつらいよシリーズ』で演じたクラブ歌手の「リリー」の役は大好評で、マドンナとしてシリーズ最多の4回の出演を数えた。渥美清の最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』でもマドンナ役を務めた。

1980年代以降は活動の中心を舞台に移し、泉鏡花の作品などに出演している。

引用元:浅丘ルリ子 - Wikipedia



























2025年7月1日火曜日

五代高之



7月1日は、俳優の五代高之(ごだい たかゆき)の誕生日です。「西部警察」などにも出演していたが、1981年に「太陽戦隊サンバルカン」にて二代目バルイーグル/飛羽高之役を演じたのが一般に最も有名。その後も俳優や声優として活動をしている。なお1982年の日活映画「軽井沢夫人」で「太陽戦隊サンバルカン」の嵐山美佐役の根本由美と共演している。

五代 高之(ごだい たかゆき、1956年7月1日 - )は、日本の俳優、声優。本名は大木 富夫。

東京都世田谷区出身。相模工業大学附属高等学校(現・湘南工科大学附属高等学校)卒業。キャストパワー所属。

学生時代に、日本テレビで放送されていた『金曜10時!うわさのチャンネル!!』『テレビ三面記事 ウィークエンダー』などで大道具のアルバイトを経験。そのときの先輩からの紹介で、滝恵一出演の養毛剤のCMに出演したことがきっかけとなり、俳優を志すこととなった。滝が主宰する俳優養成所「タキ塾」を経て、時代劇を学びたいと思い大川橋蔵の付き人となる。

1979年、『西部警察』のオーディションに合格し、石原プロモーションに所属。大門軍団の最若手の兼子刑事役で本格デビュー。芸名の「五代高之」の名付け親は石原裕次郎であり、1969年に石原プロで制作された映画『栄光への5000キロ』で、石原裕次郎が演じた主演の「五代高行」の「行」を「之」に変えた上で与えられている。

1981年、『月光仮面 THE MOON MASK RIDER』で映画デビューし、『仕掛人梅安』に浪人・小杉役で助演。 同年、川崎龍介に代わって演じた『太陽戦隊サンバルカン』でのバルイーグル / 飛羽高之役で初主演を果たした。

その後、映画、テレビドラマ、舞台のほか、NHK-FMのラジオドラマ『プラチナプラチナ』に主演するなど活躍。『教師びんびん物語』では、主演の田原俊彦と紺野美沙子ふんするヒロインを巡って恋のさやあてを展開する実業家役で出演。『暴れん坊将軍』シリーズではパート3からパート5まで5年間に亘って御庭番・才三役を演じた。

2022年にヒロ・プロダクション時代から所属してきたハーキュリーズからキャストパワーに移籍した。

特技は、剣道(三段)、合気道、乗馬。スキュ-バダイビングライセンス、小型船舶2級資格を所持。

妻は『科学戦隊ダイナマン』で王女キメラを演じていた元女優の香野麻里で、2人の子供がいる。また、俳優養成所「五代塾」の塾長も務めている。

引用元:五代高之 - Wikipedia














太陽戦隊サンバルカン - Wikipedia








軽井沢夫人 - Wikipedia



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