2023年4月30日日曜日

ローランド・ラッツェンバーガー



4月30日は、オーストリア出身のレーシングドライバー、1994年にF1でも走ったが第3戦サンマリノGPにてクラッシュにより命を落とした、ローランド・ラッツェンバーガーの命日です。1994年4月30日没。33歳。

ローランド・ラッツェンバーガー(Roland Ratzenberger, 1960年7月4日 - 1994年4月30日)は、オーストリア出身のレーシングドライバー。日本では「ラッツェンさん」の愛称で親しまれていた。ドイツ語ではローラント・ラッツェンベルガーと発音する。

事故が起きた予選終了後に行われたインタビューにおいて、後述のヴィルヌーヴやアーバイン、マルティニ、クロスノフ、サロと同様に全日本F3000時代親交のあったハインツ=ハラルド・フレンツェンとジョニー・ハーバート、最後のチームメイトとなったデビッド・ブラバム、同郷で非常に仲が良かったというゲルハルト・ベルガー(後に葬儀へも参列)、ウイリアムズのアイルトン・セナ(自身も直後の決勝レース中の事故で他界)とデイモン・ヒルらドライバーをはじめ、チーム代表のニック・ワースが哀悼の意を表している。そしてシムテックチームは「レースに全てを捧げたローランドの遺志に応えたい」として、チーム全員が喪章を腕に決勝レースへ臨んだ。

事故死の前年まで日本を主体に活動し、その期間も4年と比較的長かったことから、突然の訃報は日本国内のレース関係者やファンにも大きな衝撃を与えた。全日本F3000選手権等で対戦した星野一義は、アイルトン・セナの事故死についてコメントを求められた際、「自身としては、セナ以上にラッツェンの死がショック。去年まで同じレースで闘った仲間だから」と語っている(「オートスポーツ」誌より)。

また日本で知り合ったジャック・ヴィルヌーヴ(1992年の全日本F3選手権に参戦)も、後年に「セナだけじゃない、ローランドのことも思い出して欲しい」「ローランドとは親友だったが、セナとは会ったことすらない。何故親友を無視して赤の他人の死を悲しまなければならないのか」等、その扱われ方の余りの違いに憤る発言をしている。

没年となった1994年は、ル・マン24時間レースにサード・トヨタから出場する予定だった。チームは、ラッツェンバーガーの友人だったエディ・アーバインを急遽代役として起用して参戦、マシンには実際に出場したアーバイン、マウロ・マルティニ、ジェフ・クロスノフの三人の名に並び、ラッツェンバーガーの名もプリントされていた。

恋人のカティーシャ・アダムは1984年にミス・ケニアに輝いたモデルであり、彼女とは結婚目前だった。

引用元:ローランド・ラッツェンバーガー - Wikipedia







2023年4月29日土曜日

アンジェラ芽衣



4月29日は、モデル・タレント・女優のアンジェラ芽衣の誕生日です。2020年に特撮ドラマ「仮面ライダーセイバー」にて神代玲花/仮面ライダーサーベラ役を務めた。

アンジェラ 芽衣(アンジェラ めい、欧文表記:Angela Mei、1997年4月29日 - )は、日本のモデル、タレント、女優。

埼玉県出身。ゼロイチファミリア所属。父親が日本人で、母親がフィリピン人のハーフである。

2017年に"リア・ディゾンの再来"、または"黒船再来"というキャッチコピーでグラビアデビュー。ただし、アメリカ合衆国出身のディゾンと違ってアンジェラは埼玉県で生まれ育ったため、「海外から来日してムーブメントを巻き起こした人物」という意味での"黒船"には該当しない。8月には日本テレビ『今夜くらべてみました』において、広瀬すずが注目する美女としてアンジェラが紹介され、注目を浴びた。

2018年にはモデルデビューも果たしている。「GirlsAward」や「東京ガールズコレクション」などのファッションショーに10頭身ハーフモデルとして出演する。

2018年10月22日、富山のさかな応援ガールに就任した。

2018年11月発売、集英社「ヤングジャンプ増刊号ヤングジャンプGOLD」では同じゼロイチファミリア所属の6名(川崎あや、アンジェラ芽衣、十味、青山ひかる、黒木ひかり、月野もも)で「YJ DREAM GiRLS」を結成し、掲載された。

2020年、『仮面ライダーセイバー』(テレビ朝日)の神代玲花 / 仮面ライダーサーベラ役で地上波のテレビドラマに初出演。

引用元:アンジェラ芽衣 - Wikipedia




仮面ライダーセイバー - Wikipedia






アンジェラ芽衣、今年のカニは「ちょっとリニューアルしておしゃれ」<ゼロイチ年末年始Interview> | WEBザテレビジョン



2023年4月28日金曜日

竹本孝之



4月28日は、シンガーソングライター・俳優の竹本孝之の誕生日です。元々アイドル歌手でデビューしたが現在は埼玉県にて花卉園芸農家を営みながらシンガーソングライターとして活動している。

竹本 孝之(たけもと たかゆき、1965年4月28日 - )は、長崎県出身のシンガーソングライター・歌手・俳優・花卉栽培農家。OFFICE TOMORROW所属。

1981年、「ミスターCBSソニーオーディション'81」で約3万人の中からグランプリを受賞。同年7月21日、「てれてZin Zin」でCBSソニーからレコードデビュー。

同期デビューの歌手に近藤真彦、沖田浩之、ひかる一平、堤大二郎、伊藤つかさ、尾形大作などがいる。第23回日本レコード大賞新人賞を受賞(サンミュージックプロダクション所属期)

80年代半ば頃からライブハウスなどでアイドルの枠にとどまらないロックバンド形式のLIVEを重ね、自作曲を多く演奏するようになった。

アイドルとしての活動や役者として活動する傍ら、自作曲中心のロック系アルバムを次々に発表し、LIVEツアーなども始めた。

26歳の時、音楽だけでやっていきたいという希望が強く、サンミュージックを退所。その後はテレビへの出演は激減した。収入的に大変な時期もあったが地道にLIVE活動を続け、自作曲で構成されたアルバムを制作発表し続けている。

竹本孝之は優れたソングライターである。とりわけメロディメイカーとしては素晴らしい才能を発揮している。彼は数多くのキャッチーで魅力的な楽曲を生み出したソングライターとしての顔を持つ。

テレビドラマ、映画、舞台など俳優として活動するかたわら、1996年から埼玉県にて花卉園芸農家を営んでいる。

引用元:竹本孝之 - Wikipedia








陽あたり良好! - Wikipedia 伊藤さやかと。



2023年4月27日木曜日

柴俊夫



4月27日は、俳優・歌手・タレントの柴俊夫の誕生日です。

柴 俊夫(しば としお、1947年〈昭和22年〉4月27日 - )は、日本の俳優・歌手・司会者・タレント。本名および旧芸名、柴本 俊夫(しばもと としお)。

東京都台東区鳥越出身。東京都立白鷗高等学校卒業、獨協大学中退。ケイダッシュ所属。

1970年、テレビドラマ『ゴールドアイ』で本名の「柴本 俊夫」名義で俳優デビュー。1971年、『ゴジラ対ヘドラ』で映画初出演し、円谷プロ制作の特撮ドラマ『ミラーマン』のパイロットフィルムで主人公を演じる。同年、テレビドラマ『シルバー仮面』で主演。TBSプロデューサーの橋本洋二に勧められて「柴 俊夫」に改名した。後年、『新・坊っちゃん』(1975年)で主演を務めているが、これは『シルバー』で知り合った脚本家の市川森一に招かれてのものだった。

『さわやかな男』(1977年)、『いのち燃ゆ』(1981年)などのテレビドラマで主演を務め、鋭い眼光とは裏腹に実直な好青年という役どころで注目を集める。1983年には『西部警察 PART-III』に「大将」こと山県新之助役でレギュラー出演。石原裕次郎と渡哲也の二大スターと共演したことは忘れがたい思い出だという。1985年、必殺シリーズ『必殺仕事人V・激闘編』では「はぐれ仕事人」壱役を演じ、映画『必殺! III 裏か表か』でも同役で出演した。

1988年に音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』、2003年には情報番組『レディス4』などで司会を担い、バラエティ番組などでも親しまれている。

1979年12月21日、『さわやかな男』で共演した真野響子と結婚。長女は女優の柴本幸で、『徹子の部屋』に出演した際には「娘が大河ドラマに出演して、感激して眠れなかった」と語っている。義妹は女優の眞野あずさ。

引用元:柴俊夫 - Wikipedia








シルバー仮面 - Wikipedia



2023年4月26日水曜日

風間杜夫



4月26日は、俳優の風間杜夫の誕生日です。

風間 杜夫(かざま もりお、本名および旧芸名:住田 知仁〈すみた ともひと〉、1949年4月26日 - )は、日本の俳優。東京都世田谷区三軒茶屋出身。

1957年、8歳の時に児童劇団『東童』に入団し、翌年に東映児童演劇研修所の一期生となる。すぐに子役としての頭角をあらわすと、マキノ雅弘や加藤泰などの日本映画監督による東映作品に多数出演し、少年雑誌の表紙を飾るほどの売れっ子になる。「小学校5年生の時にはまったく学校にも行けず、1年間京都の撮影所に通い詰めだった」と自身も語っている。

1971年秋、早野寿郎が所長を務める劇団「俳優小劇場」の養成所に通っていたが、幹部間に内紛が発生したために費用を返金してもらい、それを元手として22歳で劇団「表現劇場」を結成する。当時の仲間には後にシティボーイズを結成することとなる斉木しげる、きたろう、大竹まことがおり、共に特撮テレビドラマ『仮面ライダーV3』のアトラクションショーで日本全国を回る。

1972年、日活ロマンポルノの映画『艶説女侠伝 お万乱れ肌』の脇役として、「風間杜夫」の芸名での銀幕デビューを飾る。芸名を決めるにあたり同作の役名が「風間良吉」で、北杜夫のファンだった日活の事務スタッフから「芸名は“風間杜夫”でどう?」と提案されたことで決まった。1974年、『勝海舟』でテレビドラマに初出演し、1976年、『娘たちの四季』(フジテレビ)で初のドラマレギュラーを得る。

1977年2月、劇団「つかこうへい事務所」の『戦争で死ねなかったお父さんのために』に出演し、以降、つかこうへいの演劇作品の主要キャストとなる。

映画では『蒲田行進曲』に出演したことを契機に顔が知られ、テレビドラマでは『スチュワーデス物語』の村沢浩教官役で人気を獲得する。

声優としても幅広く活躍しており、12歳よりアニメ『安寿と厨子王丸』で声優を務め、近年ではドラマ『X-Files』(テレビ朝日放送分)のモルダー役などが知られている。日本テレビの深夜アニメ『闘牌伝説アカギ 〜闇に舞い降りた天才〜』では、関西弁を話すヤクザの代打ち・浦部の声を演じた。

引用元:風間杜夫 - Wikipedia






銭形平次 (風間杜夫) - Wikipedia


スチュワーデス物語 - Wikipedia





2023年4月25日火曜日

鶴田真由



4月25日は、女優の鶴田真由の誕生日です。

鶴田 真由(つるた まゆ、1970年4月25日 - )は、日本の女優である。本名:中山 真由(なかやま まゆ)。旧姓・鶴田。株式会社オフィスマイティー(東京都港区)所属。

神奈川県鎌倉市生まれ。成城学園高校を経て成城大学文芸学部を卒業。当時の講師に千足伸行がいた。

初めて芸能界と係わったのは高校生の頃で、広告代理店に勤務していた従兄の紹介でテレビコマーシャルの端役を務めた。

1988年(昭和63年)『あぶない少年II』(テレビ東京)で女優デビューし、以後数々のテレビドラマや映画に出演する。1992年(平成4年)日本石油のCM「日石レーサー100」で注目を集め、トレンディー女優としても注目される。1996年(平成8年)「きけ、わだつみの声」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。

2001年(平成13年)12月、芸術家の中山ダイスケと結婚。中山とは2000年(平成12年)、鶴田がニューヨークで長期休暇を過ごしている際に現地で知り合い、その直後に交際が始まったという。結婚後、鶴田は中山とともに一時ニューヨークに居住したが、2003年(平成15年)に帰国している。

番組の取材などでアフリカを訪れたことが契機となり、2008年(平成20年)2月、第4回アフリカ開発会議(TICAD)親善大使の委嘱を受けた。関連して、同年3月から4月にかけてケニアおよびスーダン南部を訪問、視察した。2010年からは出身地である鎌倉市の観光大使も務めている。

元TBSアナウンサーの雨宮塔子とは成城大学の同学部・同級生で親交が深い。

引用元:鶴田真由 - Wikipedia













2023年4月24日月曜日

菊池俊輔



4月24日は、作曲家・編曲家の菊池俊輔の命日です。主に映画やテレビドラマの劇伴やテレビアニメや特撮の主題歌等を多数担当されてきた。2021年4月24日没。89歳。

菊池 俊輔(きくち しゅんすけ、1931年11月1日 - 2021年4月24日)は、日本の作曲家・編曲家。青森県弘前市出身。日本大学藝術学部音楽学科卒業。
1961年に映画『八人目の敵』で映画音楽家としてのデビューを果たした後、1963年にはテレビドラマ『野菊の墓』で初のテレビ劇伴を担当した。
それ以来、テレビ番組や映画の劇伴・主題歌を手掛けてきた音楽界の巨匠の一人である。

1931年(昭和6年)、鮮魚店の長男として生まれる。幼少のころから映画好きで、弘前市内と青森市内の映画館をほとんどハシゴしたという。

青森県立弘前工業高等学校機械科を卒業後、日本大学藝術学部音楽学科に入学し作曲を専攻。大学卒業後、プロの映画音楽家を目指して木下忠司に師事。

1961年(昭和36年)、映画『八人目の敵』で劇伴デビュー。これ以降、東映作品を中心に映画音楽を手掛けるようになる。1973年(昭和48年)、「女囚さそりシリーズ」の主題歌「怨み節」がヒット。同曲は後年、ハリウッド映画『キル・ビル』でも使用された。1963年(昭和38年)にはテレビドラマ『野菊の墓』で初のテレビ劇伴を担当。『キイハンター』『Gメン'75』といったアクションドラマや「赤いシリーズ」『スクール☆ウォーズ』『暴れん坊将軍』『若大将天下ご免!』などのさまざまなジャンルの音楽を担当した。

1965年(昭和40年)の『宇宙パトロールホッパ』以降、アニメーション作品や特撮番組の音楽制作にも携わるようになり、『タイガーマスク』や「仮面ライダーシリーズ」『ドラえもん』などの作品を手掛けた。日本音楽著作権協会の「JASRAC賞」で、外国からの年間著作物利用料収入が最も多い作品に与えられる「国際賞」を複数の作品で受賞している。特に『ドラえもん』に関しては、第2作第1期が終了した2005年以降も多数の企業のCMやアメトーーク!や出川哲朗の充電させてもらえませんか?、5時に夢中!など多くのテレビ番組で使用される。

2000年代に入ってからは2005年にリメイク版『赤い疑惑』の音楽を担当したほか、「スーパー戦隊シリーズ」の一部の挿入歌の作曲を手掛けた。2017年に病気療養のため作曲活動を休止し、2021年4月24日、誤嚥性肺炎により東京都内の療養施設で死去した。89歳没。

引用元:菊池俊輔 - Wikipedia







2023年4月23日日曜日

叶和貴子



4月23日は、女優の叶和貴子(かのう わきこ)の誕生日です。

叶 和貴子(かのう わきこ、1956年4月23日 - )は、日本の女優。本名、高松 和貴子。

北海道函館市生まれ。中学・高校時代は陸上競技で活躍し、女子80mハードルで北海道記録をマークした。

1977年に桐朋学園短期大学音楽科を卒業後、ピンクレディーや郷ひろみのバックコーラスを務めた。女優への転身のきっかけは、「和服の似合う美人女優」を探していた久世光彦に郷が叶を紹介したことによる。1980年にTBSのテレビドラマ『源氏物語』の紫の上役でデビューした。芸名の由来は「自分の可能性を試すデビューだから」ということで「可能」を「叶」に変えて付けたという説がある。最初に所属していた事務所はバーニングプロダクション。

1982年1月2日放映のテレビ朝日系土曜ワイド劇場『天国と地獄の美女 江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」』(天知茂:主演 江戸川乱歩の美女シリーズ)で大胆なヌードを披露したほか、同時期にヌード写真集を上梓している。他にも子供向け特撮番組への出演や、自身のキャリアを生かした歌謡曲レコードの発売などの幅広い芸歴を持つ。

1991年に関節リウマチであることが判明、病状の悪化を受けて1997年にいったん芸能活動を休止し、治療に専念した。2000年に活動を再開。現在は、闘病経験をもとに健康をテーマにしたテレビ、ラジオのトーク番組出演や講演を中心とした活動を行っている。

引用元:叶和貴子 - Wikipedia






宇宙刑事ギャバン - Wikipedia ミミー役で出演。宇宙刑事シャリバンや宇宙刑事シャイダーにも同役で出演。







2023年4月22日土曜日

川越美和



4月22日は、元女優・アイドル歌手の川越美和の命日です。2008年4月22日没(死去後数日後に発見されたため詳しい死亡日時は不明だが、錦江町にある川越の墓碑には「平成二十年四月二十二日没」と記されている)。35歳。

川越 美和(かわごえ みわ、1973年1月3日 - 2008年4月22日)は、日本の元女優・アイドル歌手。鹿児島県肝属郡大根占町(現・錦江町)出身。本名同じ。

1988年10月26日、「Looking at You」で歌手デビュー。一正蒲鉾のCMソングのタイアップとなり、キャッチフレーズは「天然的美少女」だった。

1989年、テレビドラマ『時間ですよ・平成元年』(TBS)に7代目マドンナでレギュラー出演するなど、エキゾチックな顔立ちで、「ポスト後藤久美子」と言われ、ドラマでも活躍した。4枚目のシングルで同ドラマの挿入歌となった「夢だけ見てる」で、同年暮れの第31回日本レコード大賞新人賞を獲得した。以後、『スクールウォーズ2』(TBS)や『HOTEL2』(TBS)などのテレビドラマや、『カレンダー if just now』(1991年)、『男ともだち』(1994年)などの映画に出演する。

1996年頃から初瀬かおる名義で活動していた。『理想の結婚』出演当時、芸能活動休止後の事務所移籍を機にした心機一転の意味を込めての改名で、名前自体には特別な意味はなかったという。

その後本名に戻してからも、ドラマ・舞台・映画などで活躍を続けた。

2007年に所属事務所を辞め、芸能界を引退。

2017年5月30日発売の『週刊女性』(主婦と生活社) 2017年6月13日号で、引退後の2008年4月に東京都大田区内の自宅アパートで死亡しているのが発見され、その時点で死後数日経過していたことが報道された。同誌では、川越が引退後、都内不動産会社のテレフォンアポインターとして半年間勤めていたこと、住居を巡るトラブルがあったこと、郷里の家族とは絶縁状態にあったことなどが、元同僚の証言から明らかにされた。

引用元:川越美和 - Wikipedia




天までとどけ - Wikipedia 主題歌









2023年4月21日金曜日

プリンス (ミュージシャン)



4月21日は、アメリカ出身のミュージシャン・シンガーソングライター・俳優など多彩な才能を持つ、プリンスの命日です。2016年4月21日没。57歳。

プリンス・ロジャーズ・ネルソン(Prince Rogers Nelson、1958年6月7日 - 2016年4月21日)は、アメリカのミュージシャン、マルチ・インストゥルメンタリスト、シンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサー、俳優、映画監督。ファンク、ブルース、ゴスペル、ハード・ロック、サイケデリック・ロック、ダンス・ミュージック、ソウル、ジャズ、ポップ、ロックなどの音楽性を持ち、ミネアポリス・サウンドの中心的存在だった。

これまでに12作品のプラチナアルバムと30曲のトップ40シングルを生み出し、アルバム・シングルの総売り上げは1億5000万枚以上になる。後進のミュージシャンに影響を与えた存在として知られた。

プリンスは多作で知られており、生涯で39枚のアルバムをリリースし、未発表のプロジェクトも数多くあった。 彼の死後、スタジオにある金庫室(ボールト)から、他のさまざまなメディアとともに、完全に制作された数十のアルバムと、これまでにリリースされたことのない50を超えるミュージックビデオが残されているのが見つかった。自分名義と複数のペンネームで数百曲をリリースしており、書いた曲の総数の見積もりは1,000をはるかに超える。

代表曲として、「パープル・レイン」「戦慄の貴公子」「KISS」「サイン・オブ・ザ・タイムズ」「バットダンス」「セクシーMF」「アイ・ヘイト・ユー」「1999」「リトル・レッド・コルヴェット」「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」「ラズベリー・ベレー」「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」「ソフト・アンド・ウェット」などがある。

2010年発表の「ローリング・ストーンの選んだ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第27位。「ローリング・ストーンの選んだ史上最も過小評価されているギタリスト」において第1位。

2016年4月15日、プリンスは移動中の自家用ジェット機内にてインフルエンザにより体調不良が悪化し、病院に緊急搬送された。だが、翌日16日には地元ミネアポリスのプリンスの所有する「ペイズリー・パーク・スタジオ」にて催行されているダンス・パーティでファンの前に姿を現した。ところが4月21日の早朝、「ペイズリー・パーク・スタジオで誰かが亡くなったようだ」と米ゴシップ・サイトのTMZが第一報で報じ、その後、「発見された遺体がプリンスのものである」とAP通信など複数のメディアが報じた。CNNはその時「ペイズリー・パーク・スタジオ内で何が起こったか警察が現在調べている」と報じており、発見時の状況について「スタジオ内のエレベーターの中で意識不明の状態」とされていたが、6月2日にミネソタ州の検視当局により死因は鎮痛剤のフェンタニルの過剰投与による中毒死である報告書が公表された。

引用元:プリンス (ミュージシャン) - Wikipedia











2023年4月20日木曜日

加瀬邦彦 (ザ・ワイルドワンズ)



4月20日は、ミュージシャン(ギタリスト)・作曲家・プロデューサーの加瀬邦彦の命日です。グループサウンズ「ザ・ワイルドワンズ」の活躍で一世を風靡した。2015年4月20日没。74歳。

加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日)は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。

慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらとバンド「キャノンボール」を結成。1963年には事務所の指示により、かまやつと共にザ・スパイダースに加入するも、寺内タケシの誘いで約3か月後に脱退し、寺内タケシとブルージーンズに加入した。

1966年、ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることになったが、警備上の措置として、前座のバンドは演奏終了後、楽屋に監禁され、ビートルズを見ることや演奏を聴くことが出来ない状態になっていたため、客席からビートルズを見たかった加瀬はブルージーンズを脱退した。

所属していたホリプロはそれでも、加瀬を引きとめ給料を支払い続けていたが、「タダで給料をもらうのも申し訳ない」と同年7月に、加山が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成、渡辺プロダクションに移籍する。得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワイルドワンズ・サウンドの要となる。解散後は、作曲家としてだけでなく、沢田研二の音楽プロデューサーとなり、全盛期の沢田を支えた。

1981年1月、日本劇場取り壊しに伴う最後の日劇ウエスタンカーニバルにザ・ワイルドワンズ(加瀬、鳥塚繁樹、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹)のメンバー5名が集結して出演したことを契機として、ザ・ワイルドワンズの再結成話が持ち上がり、仕事の都合で参加を辞退した渡辺を除くメンバー(加瀬、鳥塚、島、植田)4名でザ・ワイルドワンズを再結成した。一時期、渡辺と共にタイガース・メモリアル・クラブバンドにも在籍した。

“ケネディハウス銀座”のオーナーや、加山雄三&ハイパーランチャーズの音楽プロデューサーとしても活躍した。

1994年に食道癌の手術をしたことを著書で明かしていた。2014年には下咽頭癌を発症し、手術後は自宅療養していた。

2015年4月20日午後9時、自宅にて自殺を図り、死亡した。74歳没。呼吸用のチューブが塞がれた状態で発見された。通夜は同月27日に葬儀委員長をザ・ワイルドワンズのメンバーが務め護国寺で営まれ、音楽仲間の寺内タケシ、高木ブー、中村あゆみ、モト冬樹、エド山口、江木俊夫らが参列した。翌28日葬儀・告別式が営まれ、岸部一徳、森本太郎、瞳みのる、つのだ☆ひろなど関係者300人が参列。仕事の都合で葬儀に参列できなかった加山は音声メッセージで加瀬を哀悼した。戒名は常樂院悠照清邦居士。同年、第57回日本レコード大賞・特別功労賞が贈られた。

引用元:加瀬邦彦 - Wikipedia






ザ・ワイルドワンズ - Wikipedia



2023年4月19日水曜日

村野武範



4月19日は、俳優・タレントの村野武範の誕生日です。

村野 武範(むらの たけのり、1945年〈昭和20年〉4月19日 - )は、日本の俳優、タレント。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)

1969年、NHKで放送されたテレビドラマ『走れ玩具』(文化庁芸術祭優秀賞受賞)の主演でデビュー。1971年、映画『八月の濡れた砂』に出演し脚光を浴びる。

1972年2月から1年間日本テレビ系で放映された学園ドラマ『飛び出せ!青春』の熱血教師役で人気を不動のものにする(『八月の濡れた砂』セル版DVD(2004年発売版)には、上記の2作品で共演した剛たつひととのオーディオコメンタリーが収録されている)。

以後、多くの映画、テレビドラマ、バラエティ番組、CMに出演。また、料理番組『くいしん坊!万才』(フジテレビ)の七代目くいしん坊(レポーター)を1988年1月から1990年12月にわたって務めた。赤坂・溜池山王にある割烹《ぐるめダイニング むらの》のオーナーだが、この店は『くいしん坊!万才』で数多くの美味しいものを味わった経験を活かせばいいのではという友人からのアドバイスを受け、その友人との共同経営で始めたとの事である。

フジテレビの『ゴールデン洋画劇場』(後に『ゴールデンシアター』に改名)ではブルース・ウィリスの吹き替えを専属で担当していた。

安泉純二郎首相役を演じた映画『日本以外全部沈没』のDVD版特典のオーディオコメンタリーでは、監督の河崎実とともに饒舌トークを繰り広げている。ちなみに役名は小泉純一郎と安倍晋三をモデルとしているが、周囲からは「菅直人そっくり」といわれたという。そのため、『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)3時間スペシャル内の「痛快!永田町時代劇」コーナーに、菅をモデルにした“菅隼人”将軍役で出演した。なお、2000年に放送された連続ドラマ『レッツ・ゴー!永田町』(日本テレビ)では、福田康夫をモデルとした花田官房長官役を演じている。

引用元:村野武範 - Wikipedia




飛び出せ!青春 - Wikipedia


くいしん坊!万才 - Wikipedia




日本沈没 - Wikipedia



2023年4月18日火曜日

真夏竜



4月18日は、俳優の真夏竜の誕生日です。1974年に特撮ドラマ「ウルトラマンレオ」に主人公・おゝとりゲン役として抜擢され有名になる。

真夏 竜(まなつ りゅう、1950年4月18日 - )は、日本の俳優、元アニメプロデューサー。本名は、瀬戸 幹雄(せと みきお)。旧芸名は、真夏 竜吾(まなつ りゅうご)。

神奈川県横浜市出身。日本大学高等学校卒業。たむらプロ所属。ナレーターとしては、ヴォイスガレージに所属(業務提携)している。

幼少のころより役者にあこがれ、高校の先輩である坂本九のように歌から入れば役者になれると思い、横浜市内のクラブで専属シンガーとなった。1972年、本名でテレビドラマ『剣道一本!』にレギュラー出演が決まりデビュー。

1974年には『ウルトラマンレオ』の主人公・おゝとりゲン役に抜擢(ばってき)される。横浜のクラブで働いていたころ、客として来ていたウルトラシリーズなどの監督・真船禎からの紹介だった。この作品から芸名も「真夏 竜」とし、同作の主題歌も担当した。

その後、『敬礼!さわやかさん』『破れ傘刀舟悪人狩り』などに出演。1986年、NHK新大型時代劇『武蔵坊弁慶』出演時に芸名を「真夏 竜吾」に改める。

1988~98年の間、30代後半になっていたのに20代の青年の役しか来ず「(気持ちの)」切り替えが難しいな」と感じたことが理由で役者をやめ、アニメ制作会社・スタッフ21および子会社のアニメーション21でプロデューサー業に就く。本名または「瀬戸美季夫」名義で『ダッシュ!四駆郎』『炎の闘球児 ドッジ弾平』といった作品に関わった。その後両社が廃業したのを機にふたたび「真夏 竜」の芸名で役者に復帰。

俳優活動の再開以降は大河ドラマや『キッズ・ウォー』シリーズでバイプレーヤーとして活躍し、時代劇の悪役(悪徳商人など)も多く演じている。また、渋い声を生かしたアニメ声優としての活動もある。

趣味は、テニス、ゴルフ、水泳。特技は、少林寺拳法(初段)、剣道、ボクシング。既婚で一男あり。

2004年に胃がんを患い、すでに末期の状態だったが、これを克服し自身が一番やりたかった民話を始めるために「真夏座」を設立。俳優業と並行しながら文化庁「学校への芸術家派遣事業」協力芸術家として、全国の幼稚園、小学校、中学校、高等学校などにて民話語りの講演を行っている。

引用元:真夏竜 - Wikipedia









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