12月7日は、コメディアン・タレント・俳優の小松政夫(こまつ まさお)の命日です。淀川長治のモノマネや「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」の番組で生まれた「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」のヒットなどで知られる。俳優としても活躍した。2020年12月7日、肝細胞がんのため死去した。78歳没。
小松 政夫(こまつ まさお、本名:松崎 雅臣(まつざき まさおみ)、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2020年〈令和2年〉12月7日)は、日本のコメディアン、タレント、俳優、声優。社団法人日本喜劇人協会会長(第10代)。福岡県福岡市瓦町(現:博多区上川端町)出身。
愛称は「親分さん」「小松の親分(自らのコントから)」「小松与太八左エ門」。所属事務所は有限会社ドン・タック。プロデューサーハウスあ・うんとスケジュール窓口で業務提携。
小松のコメディアンとしてのデビューは、付き人時に出演した『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)であった。
付き人兼運転手を約4年間務め上げた。
学校の担任やキャバレーでのホステスの会話など、これまで接してきた人たちからヒントを得たギャグや、レギュラー番組のコーナーからヒットした「電線音頭」(1976年発売)、「しらけ鳥音頭」(1978年発売、30万枚超え、または60万枚を売り上げた)、「タコフン音頭」(1980年発売)、淀川長治の物真似などで一躍人気コメディアンとなる。植木も認める観察眼の持ち主だったといい、それが数多くのギャグや物真似芸を生み出した原動力であったと評される。
正式なコンビというわけではなかったが、伊東四朗との息の合ったコンビ芸は、1970年代を代表するギャグの一つとして今もなお語り継がれている。
その後も小松はバラエティ番組やテレビドラマ、舞台など多方面で活躍した。1970年代後半から1990年代にかけては、『パナソニック ドラマシアター』(旧『ナショナル劇場』)や『月曜ドラマランド』の常連キャストでもあった。時代劇では悪党の子分役などが多かったが、後に善人役を多く演じるようになった。伊東は小松のことを「こんなに引き出しのある人はいないんだから」と評し、引き続き数多くのギャグの引き出しを保った。
2020年11月14日、容態悪化のため再入院。同年12月7日6時51分、肝細胞がんのため東京都三鷹市の病院で死去した。78歳没。引用元:小松政夫 - Wikipedia









