2024年6月15日土曜日

細川たかし



6月15日は、歌手の細川たかし(ほそかわ たかし)の誕生日です。

細川 たかし(ほそかわ たかし、本名:細川 貴志、1950年6月15日 - )は、日本の歌手。

1975年4月1日『心のこり』(作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士)で歌手デビューする。伸びやかな高音と民謡で鍛えられた肺活量で迫力を持った歌声は評価され、第6回日本歌謡大賞で放送音楽新人賞、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞など、同年の音楽新人賞を多数受賞。1位〜10位のすべてにランクされるという記録を樹立し、80万枚を売り上げ大ヒットした。

『心のこり』以降は長い間大きなヒットが出なかった。しかしながら、ヒットが出ないとはいえ当時、1作数十万枚の売れ行きがあったという。また、この頃に三橋美智也と出会い民謡も極め、三橋流「三橋美智貴」の名も貰った。『津軽山唄』に至っては、60歳を超えた現在でも、未だ変わらぬ凄まじい高音でのパフォーマンスを披露している。

1982年(昭和57年)3月1日、『北酒場』(作詞:なかにし礼、作曲:中村泰士)を発表。デビュー曲『心のこり』以来7年ぶりの大ヒットとなり、オリコンでは1982年度年間5位に入り、第24回日本レコード大賞を初受賞した。

1983年(昭和58年)2月21日、ちあきなおみが1976年に発表した『矢切の渡し』(作詞:石本美由起、作曲:船村徹)のカバーを発表。オリコン1983年度年間2位のヒットとなり、第25回日本レコード大賞を受賞。大賞受賞年の翌年は売れないというジンクスを打ち破り、史上初の2連覇を果たした。

1984年(昭和59年)8月21日、『浪花節だよ人生は』(作詞:藤田まさと、作曲:四方章人)を発表。第26回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。3冠達成となる。

『紅白歌合戦』(NHK)にはデビュー1年目の1975年(第26回)に初出場して以来、2006年(第57回)まで32回連続して出場していた。上述の円天問題による影響で2007年(第58回)の出演を辞退したことで連続出場はストップしたが、五木ひろし(1971年〜2020年限りで紅白勇退)、森進一(1968年〜2015年限りで紅白勇退)、石川さゆり(1984年〜2023年継続中)、小林幸子(1979年〜2011年)に次いで、歴代5位の紅白連続出場記録を持つ。

2009年の第60回に3年ぶりに返り咲いて通算33回目の出場を果たし、2015年(第65回)まで7年連続出場。通算39回の出場であった。細川自身は紅白出場の継続に関し、「倒れるまでやった方がいいんじゃない」と述べていた。

2016年の第67回に出場すれば40回出場の節目になるはずであったが、それを前に細川は11月21日に「(紅白も)世代交代が必要」として後身に道を譲るべく同年の第67回の出場を辞退し、2015年限りで紅白歌合戦から卒業(勇退)する意向を表明した。

2021年の第72回では特別枠で6年ぶりに紅白に出場し、通算40回出場となった。紅白のどちらの枠でもなく特別枠での出場だった。

引用元:細川たかし - Wikipedia



















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