2025年8月8日金曜日

新井素子 (小説家)



8月8日は、小説家の新井素子(あらい もとこ)の誕生日です。当初は所謂SF小説を書いていたが後にライトノベルへ移行した。後続へ多大なる影響を与え、所謂「モトコシタン(新井素子ファン)」を各界に数多く生んだ。

新井 素子(あらい もとこ、1960年〈昭和35年〉8月8日 -)は、日本の小説家。

ライトノベル作家の草分け的存在として知られている。夫は、書評や文庫解説などを手がけている手嶋政明。結婚後の本名は手嶋素子。日本SF作家クラブ元会長。日本推理作家協会会員。

東京都練馬区生まれ。両祖父、両親が共に講談社に勤めており、実家には常に大量の本があったため、幼い頃から多くの本に接して育った。

1977年、東京都立井草高等学校2年生のときに、第1回奇想天外SF新人賞に応募した『あたしの中の……』が佳作入選した。審査員の星新一が絶賛し最優秀作に推したが、小松左京や筒井康隆らが目新しい文体に違和感を覚え反対したため佳作となった。星は入選決定後に、新井素子の父が東京大学農学部での同級生だったことを知った。また、新井も星のファンであり、初めて読んだSFが星の『妖精配給会社』であった(星の著書「未来いそっぷ」の解説文も書いている)。

高校2年生という若さでの受賞及びデビューは文学界にも衝撃を与え、『ふぁんろーど』の特集などで「SF界のプリンセス」と称された。北野勇作や久美沙織ら同世代の作家に強い影響を与えたといわれている。

立教大学文学部ドイツ文学科に在籍しながら作家活動を続け、1981年『グリーン・レクイエム』で第12回星雲賞日本短編部門を受賞、1982年『ネプチューン』で第13回星雲賞日本短編部門を受賞した。1999年には『チグリスとユーフラテス』で第20回日本SF大賞を受賞した。

2003年ごろから夫とともに囲碁をはじめ、日本棋院囲碁大使をつとめる。2009年から2011年まで日本SF作家クラブ会長。

デビューがSF誌『奇想天外』だったこともあり、しばらくはSFを中心に執筆していたが、1980年には高校生向け雑誌『高一コース』誌上で『星へ行く船』を連載した。また集英社文庫コバルトシリーズ(コバルト文庫)から『いつか猫になる日まで』を上梓するなど、活動の場をジュニア小説へも広げた。

同時代の口語表現を積極的に取り入れ、一段落を「が。」の2文字で終わらせて改行するなど規範を大きく逸脱した文体を高橋源一郎は『ラカンのぬいぐるみ』で「新口語文」と評価した。当時の口語表現を文体に反映した端的な例として、一人称「あたし」、二人称「おたく」という砕けた人称代名詞を多用したことなどが挙げられる。

引用元:新井素子 - Wikipedia



















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