2025年7月4日金曜日

山本コウタロー



7月4日は、シンガーソングライター・タレント・政治活動家の山本コウタロー(やまもと コウタロー)の命日です。1969年から「ソルティー・シュガー」で活動、「走れコウタロー」をヒットさせ、1974年に「山本コウタローとウィークエンド」を組み「岬めぐり」をヒットさせる。後にタレントやテレビ番組の司会等で活躍。2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。

山本 コウタロー(やまもと コウタロー、本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)、1948年〈昭和23年〉9月7日 - 2022年〈令和4年〉7月4日)は、日本のシンガーソングライター、タレント、政治活動家、環境学者。白鷗大学名誉教授。オフィスプロフィット所属。芸名は山本 コウタロー(コータローではない)だが、作曲や大学で教鞭を執るときは本名で行っていた。

大学在学中からフォーク・グループソルティー・シュガーのメンバーとして活動。日本におけるコミックソングの代表作の一つともいえる「走れコウタロー」を1970年にリリース。その面白さから第12回日本レコード大賞新人賞を受賞するヒットソングとなった。1971年、ソルティー・シュガー解散後、高田渡、シバらとともに武蔵野タンポポ団のメンバーとして、第3回全日本フォークジャンボリーに参加。歴史の転換点として伝説化しているサブステージでの吉田拓郎の「人間なんて」の長時間演奏ではステージに上がり、バックコーラスを務めた。この頃からなぎらけんいち(現:なぎら健壱)らと親交を持つ。 1972年、一橋大学社会学部卒業。卒論は「たくろう・スーパースター」という題名で、後に『誰も知らなかったよしだ拓郎』(八曜社、1974年)として出版された。

その後ソロ活動を経て、1974年に森一美(男性、元・黒崎とかずみ)、板垣秀雄(元・ピピ&コット)とフォークグループ「山本コウタローとウィークエンド(1976年以降はウィークエンドに改称)」を結成。1974年6月1日(土曜日)に発売されたデビュー曲「岬めぐり」がオリコン5位の大ヒット。「走れコウタロー」と並んで、現在でも歌い継がれるスタンダードとなっている(2008年には京急三崎口駅の電車到着メロディ、2017年2月10日より京急三浦海岸駅の電車到着メロディに採用されている)。

1971年から1978年までTBSラジオの深夜放送『パック・イン・ミュージック』金曜日の第1部パーソナリティを担当、第2部は後に山本のパートナーとなった吉田真由美(DJ、映画評論家)が担当。『パック・イン・ミュージック』終了後、単身アメリカに渡り、約2年間生活。帰国後『アメリカあげます』(ほんの木社)を書き上げた。その後は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の火曜日と金曜日のレギュラーとテレビ番組の司会(『午後は○○おもいッきりテレビ』初代司会者)、タレント、役者などで活躍。ニッポン放送『バイタリス・フォーク・ビレッジ→ライオン・フォーク・ビレッジ』のパーソナリティも担当した。

2022年7月4日、脳内出血のため死去。73歳没。訃報は同月15日に公表された。

引用元:山本コウタロー - Wikipedia



























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