2025年10月30日木曜日

奥野敦子 (イリア、ジューシィ・フルーツ)



10月30日は、日本の歌手・ギタリストである、奥野敦子(おくの あつこ)の誕生日です。本名よりも「イリア」という愛称でよく知られる。1977年に結成された「ガールズ」や近田春夫のバックバンド「BEEF」そして1980年に「ジューシィ・フルーツ」のギタリスト・ボーカリストで人気となり一世を風靡した。現在も活動中。

奥野 敦子(おくの あつこ、1957年10月30日 - )は、日本の歌手、ギタリスト。東京都中野区出身、女子美術大学卒業。本名よりもイリアという愛称で広く知られている。夫は俳優の山崎大輔。2児の母。自身には弟がいる。

ギャルズ・ロッカー抬頭の引き金となった先駆的存在。

高校時代のアイドルはロバート・フリップ。高校1年のとき、「ファンタス・マゴリア」というプログレバンドを結成したが、行き詰まりを感じ、高校2年の春に解散して一旦、ギターをやめる。高校3年のとき女の子だけのバンド「ライラック」に加入。すぐに解散するが、ピアノをやっていたメンバーと「サティン・オデッセイ」というバンドを作り、ここで初めてバドカンやツェッペリンなどハードロックを演った。「サティン・オデッセイ」は女の子だけのバンドで珍しがられ、ステージを観たレコード会社からスカウトされる。当時は女性ロッカーがプロになるのは現実味が薄いため、プロになろうという気持ちはなく、大学卒業も近づき、就職活動を始めていたが、親も反対せず、「まあなれるなら」と承諾する。この「サティン・オデッセイ」が1977年に「ガールズ」になった。

ガールズは「日本初の女性ロック・バンド」「日本の女性ロックバンドの先駆け」「日本における草分け的ガールズバンド」などと評価される。

『0011ナポレオン・ソロ』の登場人物イリヤ・クリアキンが好きだったことから「Illya」より拝借し、「イリア」を名乗った。バンド解散後も愛称はそのまま定着し、現在に至る。

ガールズでも引き続きギターを担当。ガールズは2年間活動したが、大学4年になり、卒業後は就職も考えていたため、ガールズも1979年解散する。

その後、近田春夫のバックバンドBEEFにギタリストとして参加する。1980年にBEEFがジューシィ・フルーツという名で再編成され、レコードデビューする。ジューシィ・フルーツではボーカルとリードギターを担当し、アミューズに所属していた。同事務所所属でサザンオールスターズの原由子とはデビュー当時からの仲良しである。

ジューシィ・フルーツで活躍していた時期、ギタリストの成毛滋のラジオ番組「ドクター・シーゲルとイリアちゃん」(文化放送)で、アシスタント兼生徒役(成毛の指導でギターの腕を高める)を務めた。

ジューシィ・フルーツ解散(1984年)後はソロでも活躍した。現在も主婦業の傍ら、音楽活動を行っている。また、2013年に復活したジューシィ・フルーツに参加している。

山崎敦子名義で画家としても活動しており、2004年から杉並区内の幼稚園にて園児に絵や工作を教える専任講師を務めている。2022年8月には赤坂のギャラリー&カフェJalonaにて「山崎敦子 色鉛筆画展 〜ありのままで 美しい〜」を開催。

引用元:奥野敦子 - Wikipedia























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