12月28日は、俳優・声優の岸田森(きしだ しん)の命日です。劇団出身でテレビドラマや映画、特撮作品までこなす独特な存在感を放つオールラウンダーな名バイプレイヤーだったが、1982年12月28日、食道ガンのため43歳で死去。劇作家、演出家の顔ももつ。1964年に女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚したが、1968年に悠木(樹木)と離婚。女優の岸田今日子とは従姉にあたる。
岸田 森(きしだ しん、1939年〈昭和14年〉10月17日 - 1982年〈昭和57年〉12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。
1960年(昭和35年)、21歳。文学座附属演劇研究所に研究生として入団。研究発表会のような内輪の演劇ばかりで、「年間収入が2〜3万円という暮らしが5〜6年続いた」と語っている。
1962年(昭和37年)、23歳。『光明皇后』の延臣役が初舞台となる。
1964年(昭和39年)、25歳。同期である女優・悠木千帆(のちの樹木希林)と結婚。
1965年(昭和40年)、26歳。文学座座員に昇格。
1966年(昭和41年)、27歳。年頭に退団。悠木、村松克己、草野大悟らと劇団「六月劇場」を結成し、以降は主に映画・テレビに活躍の舞台を移す。
同年の『氷点』(NET)が本格的なテレビ初出演と本人は語る。
1968年(昭和43年)、29歳。悠木(樹木)と離婚後、バーのマダムと再婚するがのちに離婚。その後は女優・三田和代と事実婚関係にあった。『怪奇大作戦』(TBS)が、円谷プロとの初仕事となる。この作品への出演が自身の芝居の一大転機になったと語り、以後「僕は円谷育ち」と公言している。
1971年(昭和46年)、32歳。東宝映画『呪いの館 血を吸う眼』(山本迪夫監督)で吸血鬼を演じ、和製ドラキュラとの評価を得る。この東宝『血を吸う』シリーズは代表作となった。『帰ってきたウルトラマン』では主人公の師で兄代わりでもある坂田健役を演じた。
1973年(昭和48年)、34歳。円谷プロのテレビ特撮『ファイヤーマン』(日本テレビ)に出演。脚本を手がけた第12話では、部分演出も行う。この年、天知茂主演のテレビ時代劇『無宿侍』(フジテレビ)第6話において兄弟役で共演。
1977年(昭和52年)、38歳。『歌麿 夢と知りせば』(太陽社)に主演。カンヌ映画祭でも上映され話題を集めた。生涯唯一のトップクレジットで遇された大作映画である。ほかに、主演作としてはほぼ出ずっぱりの『黒薔薇昇天』が、大役としては三船敏郎、勝新太郎の向こうを張る剣豪を演じた『座頭市と用心棒』があり、名バイプレイヤーとしてのフィルモグラフィのなかで異彩を放っている。
1980年(昭和55年)、41歳。テレビCMの演出を手がける。「エスビー食品」など水谷豊の主演するCFについては、「演出補助」と肩書きされるが、本人は「あれはすべて僕が演出しました」とコメントしている。
1982年(昭和57年)12月28日、食道ガンのため、43歳で死去。墓所は神奈川県鎌倉市にある鎌倉霊園。引用元:岸田森 - Wikipedia









