2026年7月22日水曜日

オジー・オズボーン (ブラック・サバス)



7月22日は、イングランド出身のヘヴィメタル・ミュージシャン、シンガーソングライターである、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)の命日です。「ブラック・サバス」および自身のソロ・バンドでヴォーカリストを務めた。2025年7月22日に冠動脈疾患とパーキンソン病を患った末の心臓発作により死去。76歳没。

ジョン・マイケル・"オジー"・オズボーン(John Michael "Ozzy" Osbourne、1948年12月3日 - 2025年7月22日)は、イングランド出身のヘヴィメタル・ミュージシャン、シンガーソングライター。ブラック・サバスおよび自身のソロ・バンドでヴォーカリストを務めた。2023年に第65回グラミー賞において、最優秀ロック・アルバム賞(『ペイシェント・ナンバー9』)と最優秀メタル・パフォーマンス賞を受賞。2024年4月21日にはロックの殿堂の「パフォーマー部門」で殿堂入り。

1969年、アースの4人(担当パート:オジー・オズボーン=ヴォーカル、トニー・アイオミ=ギター、ギーザー・バトラー=ベース、ビル・ワード=ドラム)はバンド名をブラック・サバスへと改めた。この名はギーザー・バトラーが当時公開されていた映画『BLACK SABBATH』から命名。1970年2月13日金曜日、自費レコーディングによるアルバム『BLACK SABBATH(邦題:黒い安息日)』でデビュー。

1977年、一度脱退するがすぐに復帰。その後、1978年12月に正式に脱退(解雇)しソロに転向する。この時期オジーは「このころの記憶がほとんどない」といわれるほど酒や薬物に溺れ、重ねて父の死が精神的に大きなダメージを与え、日常生活にも支障をきたしかねない状態となっていた。

1979年、ソロ活動を開始。今は亡きギタリスト、ランディ・ローズともこのころ活動する。ソロ活動第一作目の『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』は、「ブリザード・オブ・オズ」がバンド名と勘違いされたこともあるが、厳密には勘違いではなく、契約上の問題やプロモーション戦略上の観点から最終的にクレジットしなかったバンド名である。ちなみに英国盤のファースト・シングルにはこの名がバンド名として記載されている。しかし、ランディは1982年3月19日、飛行機事故でその短い生涯を終える。その後はジェイク・E・リーを筆頭に有能な若手ギタリストを発掘してメンバーに加えることが慣例化する。

1997年、オリジナル・メンバーによるラインナップで再結成し、19年ぶりに復帰。オズフェストのヘッドライナーをはじめ欧米各地では大歓迎を持って迎えられた。1998年にライヴ盤『REUNION』を発表。

2004年、2005年、オズフェストのヘッドライナーを務める。前座に2004年はジューダス・プリースト、2005年はアイアン・メイデンが協力した。そして2017年、バンドは約50年に渡る活動の幕を閉じた。

2025年2月、オリジナル・メンバーによるブラック・サバスとして、またソロとしてのキャリアを締めくくる最後のコンサートの開催を正式に発表。

ラストライブから17日後の同年7月22日にイギリスで死去したことが家族によって公表された。死因について家族は公表していなかったが、ニューヨーク・タイムズ紙が死亡証明書を入手し、冠動脈疾患とパーキンソン病を患った末の心臓発作による死去であったと報じた。同年7月30日には故郷バーミンガムのブラック・サバス橋付近での葬列には大勢のファンが最後の別れを告げるために駆けつけ、地元のブラス・バンドによる「Iron Man」「Crazy Train」が演奏された。翌31日には家族葬がそれぞれ行われ、自宅付近の湖の近くに埋葬された。

引用元:オジー・オズボーン - Wikipedia





























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